Ⅰ.貧困を考えることの意味 Ⅱ 現代の貧困の特徴
Ⅲ 現代の貧困化の構造
Ⅳ 突き当たった「最低生活の岩盤」 Ⅴ ナショナル・ミニマムの体系
Ⅵ ナショナル・ミニマムの機軸としても「最低生計費」
講師: 佛教大学 社会学部 教授 金澤 誠一 氏
■日時:2007年7月9日(月) ■場所:大阪府社会福祉会館3階第3会議室
『現代の貧困と「最低生活の岩盤」』
Ⅱ 現代の貧困の特徴
現代の貧困の特徴について分析してまとめてみたいわけですが、今日の貧困の第1は、生活保護法の規定する「貧困ライン」=保護基準の存在の下で、それ以下の生活はあり得ないはずなのに、広く存在する「貧困」であるということです。保護基準以下の貧困が広まっているということです。
具体的に言えば、失業であるとか非正規就業層や名目的自営業層が増えているということです。それを現代においてはワーキングプアというふうに言われています。ワーキングプアという言葉そのものは19世紀の末に言われた言葉でありまして、今日と同じように格差、貧困という問題が広く表われた時代であります。それまでは、貧困の原因をどういう風に考えていたかと言いますと、人格の欠陥、つまり怠惰によるものと考えられていたわけです。当時19世紀の末に、チャールス・ブースやラウントリーという貧困研究者がいました。彼らは労働者階級ではなく資本者階級だったのです。彼らは貧困というのは巷ではよく言われているが、本当に存在するのかというような疑問から調査をして、結果的には3割にも上る貧困者の存在と、その貧困の原因が決して怠惰によるものではないということを発見していくわけであります。これを象徴的にワーキングプアと言われているのです。ワーキングというのは働くという意味ですが、勤勉なという意味もあります。勤勉に働いている貧困で、不良怠惰ではないわけです。働かない人が貧困ではなくて、一生懸命働いているのに何故貧困なんだということが、この言葉の中には含まれていたのです。ですから、19世紀の末に貧困の原因が客観的に発見されているのです。ですから、19世紀から20世紀はその貧困の原因をいかにして除去するのかというのが、近代的社会保障制度として確立していくことになるわけです。近代的社会保障制度が確立していくためには、貧困の原因を客観的に発見する必要があったわけです。貧困の原因が発見されれば,それを撲滅することが社会福祉につながる。つまり貧困のない社会につながっていくということです。 そして、こうしてワーキングプアが現在においてまた現れて来ているということですけれども、その原因については後でお話します。
第2の特徴は、低所得層における社会保障・社会福祉諸制度から遠ざけられ排除され顕在化していく貧困。現在における新しい絶対的貧困の進展ではないかと私は思っているわけです。
国民健康保険の滞納世帯が2006年度480万世帯を突破したわけです。滞納世帯が約2割にも増大し、その制裁措置として、滞納が1年以上に及ぶ場合は資格証明書の発行や1年未満の場合でも短期保険証の発行というのがあります。資格証明書においては35万1千世帯、短期保険証では122万5千世帯にも上っているということで、こうした世帯が増えて来ているということであります。
また、国民年金の未納率についても、みなさん新聞などでご存知と思いますが、4割近い状況は今日においても改善されていないという状況であります。また介護保険や障害者自立支援制度による福祉サービスから排除されているような人々がかなり今日存在するようになり、介護殺人というような悲惨な状況まで起こっています。
あるいは、就学援助制度を受けている児童生徒が膨大に存在するということです。就学援助制度というのはみなさんご存知だと思うのですけれども、義務教育を受けている子供たちがすべて完全に無償だと法律ではうたわれていますが実際にはそうではないわけです。学校給食費にしても、課外活動費にしても、修学旅行費にしても、さまざまなものが授業料・教科書代以外にかかるわけで、低所得層はそういうものが払えない。経済的理由で就学困難になることがないように、こうした就学援助制度が設けられているわけです。生活保護世帯はもちろんのこと、生活保護基準の大体1.4倍位のそういう低所得層が対象になっている。そういうふうな若いお父さんお母さんが膨大に存在するということであります。2005年には133万7千人、実に全国平均で12.8%、つまり8人に1人位の割合で就学援助を受けている児童生徒が存在するということです。地域によってはかなり高い比率になっています。大阪では27%位、東京で25%位です。大都会が多いというのはあります。それから、特に足立区は4割を越えていまして、ここは低家賃の公営住宅が多いところで、そういうところがどうしても増えていますね。こういう就学援助を受けている児童生徒の膨大な存在ということも、我々は考えなければいけないのではないかと思います。今高校への進学率が9割を超えている、大学への進学率が5割を超えているわけです。こういった進学の機会というのが、お金によって損なわれる可能性がかなりあるということですね。子どもたちが、こういった貧困世帯で育っていくということが、どういうふうな影響を与えていくかということも我々は考えなければならないと思っているわけです。
それから、多重債務者の問題であります。5件以上の債務を抱えている人を多重債務者と言いますが、2005年には230万人に上り、これらの人たちの平均借入額が約230万円であります。あるいは自己破産者は2005年には約18万4千人に上っておりまして、1995年の4万3千人に比べたら、その差は歴然としていることが良く分かります。更に自殺者が1995年までは大体2万1千人程度であったわけですが、1995年の構造改革によってリストラが進んでいきます。この過程において1998年には急上昇いたしまして3万2千人に至るわけで、今日においてもほぼこの状況を維持しているわけであります。こうした問題が社会問題化されて来ているということで、マスメディアで取り上げられるなどして社会的にも顕在化しているのが今日の状況であるということになります。
このような保護基準以下の所得で、社会制度から遠ざけられ排除されていく、そういった顕著化されていく貧困というのは、現代の「絶対的貧困」と呼ぶにふさわしいものであるのではないかと思います。
第3の特徴は、低所得層の問題だけではなくて、国民一般階層においても滞在的な「相対的貧困化」が進展している点にあります。一般階層においても、賃金・収入の低下がみられ、95年から構造改革が進みまして、97年頃から影響がみられるようになりまして、今日におきましては大体10%、約1割の所得減ということになります。他方においては税金や保険料負担が増加し、そればかりではなく住宅や教育といった生活基盤確保のための負担がローン返済という形で増加している。これらの支出は長期的生活の継続と安定にとって必要欠くべからざるものであり、それだけ選択の余地の非常に狭く、したがって社会的に強制され固定された、いわば「社会的固定費目」であるわけで、こうした社会固定費目が増大しているということであります。つまり一方で収入が減少し、他方で社会的固定費目が増大しているということは、収入から社会的固定費目を差し引いた、実質的に自由に使える可処分所得が低下することになりまして、それは食費や被服費といった労働力の肉体的再生産費の節約・削減、教養娯楽費や交際費などの社会的体裁維持費の節約・削減となって現れています。それは、人間の自由な発展や自立した生活を損ねて、きわめてゆとりのない従属的な生活となっていることを意味しているということです。現代の貧困は、このように国民一般階層をも巻き込んで進んでいるという部分に特徴があるといえます。
第4の特徴は、低所得層、貧困層の多くが未組織な存在であるということです。労働組合が広範に形成され、社会運動がさまざまな形で広い地域で行われている発展した民主主義社会の中でありますが、貧困層の多くは未組織のまま置かれているのであります。それはまた、日常的継続的に政治に参加し、自らの経済的状態を改善する手段が奪われていることを意味しています。それは結局自らの最低生活が底抜けになり、下へ下へと押し下げられる可能性が理論的にも実際的にも十分ありうることを意味しております。憲法などで生活と労働の最低限を守るべき法が明文をもって記され、その意味で権利が与えられていても、それを実行するべき力が自らにはないということです。この層は、どこへも訴える相手を持ちえず、いわば「無告の民」として「無権利」の中に放置されているのであります。
第5の特徴は、貧困層は、社会生活や地域生活の中でも、その存在が忘れ去られ社会的に孤立し排除される可能性が高いということです。孤独死にみられるように、大都会の中で、自分の名前を呼んでくれる人が誰もいないとか、自分の話を聞いてくれる人が誰もいない。自分が歩んできた人生の価値に共感してくれる人が誰もいない。そういった勇気や希望を持ち得ないような状態に陥り易いということです。人はおそらく自分の生きがいを求めて生きていくのであると思いますが、それを失って長くは生きていくことは出来ないであろうと考えられます。
このように、現在の貧困はただ単に所得が低いという事だけではなくて、様々な社会制度から排除され、しかも孤立し分散している状況にあると言っていいのではないかと思うわけです。
Ⅰ.貧困を考えることの意味 Ⅱ 現代の貧困の特徴
Ⅲ 現代の貧困化の構造
Ⅳ 突き当たった「最低生活の岩盤」 Ⅴ ナショナル・ミニマムの体系
Ⅵ ナショナル・ミニマムの機軸としても「最低生計費」
講師: 佛教大学 社会学部 教授 金澤 誠一 氏
■日時:2007年7月9日(月) ■場所:大阪府社会福祉会館3階第3会議室
『現代の貧困と「最低生活の岩盤」』
Ⅱ 現代の貧困の特徴
現代の貧困の特徴について分析してまとめてみたいわけですが、今日の貧困の第1は、生活保護法の規定する「貧困ライン」=保護基準の存在の下で、それ以下の生活はあり得ないはずなのに、広く存在する「貧困」であるということです。保護基準以下の貧困が広まっているということです。
具体的に言えば、失業であるとか非正規就業層や名目的自営業層が増えているということです。それを現代においてはワーキングプアというふうに言われています。ワーキングプアという言葉そのものは19世紀の末に言われた言葉でありまして、今日と同じように格差、貧困という問題が広く表われた時代であります。それまでは、貧困の原因をどういう風に考えていたかと言いますと、人格の欠陥、つまり怠惰によるものと考えられていたわけです。当時19世紀の末に、チャールス・ブースやラウントリーという貧困研究者がいました。彼らは労働者階級ではなく資本者階級だったのです。彼らは貧困というのは巷ではよく言われているが、本当に存在するのかというような疑問から調査をして、結果的には3割にも上る貧困者の存在と、その貧困の原因が決して怠惰によるものではないということを発見していくわけであります。これを象徴的にワーキングプアと言われているのです。ワーキングというのは働くという意味ですが、勤勉なという意味もあります。勤勉に働いている貧困で、不良怠惰ではないわけです。働かない人が貧困ではなくて、一生懸命働いているのに何故貧困なんだということが、この言葉の中には含まれていたのです。ですから、19世紀の末に貧困の原因が客観的に発見されているのです。ですから、19世紀から20世紀はその貧困の原因をいかにして除去するのかというのが、近代的社会保障制度として確立していくことになるわけです。近代的社会保障制度が確立していくためには、貧困の原因を客観的に発見する必要があったわけです。貧困の原因が発見されれば,それを撲滅することが社会福祉につながる。つまり貧困のない社会につながっていくということです。 そして、こうしてワーキングプアが現在においてまた現れて来ているということですけれども、その原因については後でお話します。
第2の特徴は、低所得層における社会保障・社会福祉諸制度から遠ざけられ排除され顕在化していく貧困。現在における新しい絶対的貧困の進展ではないかと私は思っているわけです。
国民健康保険の滞納世帯が2006年度480万世帯を突破したわけです。滞納世帯が約2割にも増大し、その制裁措置として、滞納が1年以上に及ぶ場合は資格証明書の発行や1年未満の場合でも短期保険証の発行というのがあります。資格証明書においては35万1千世帯、短期保険証では122万5千世帯にも上っているということで、こうした世帯が増えて来ているということであります。
また、国民年金の未納率についても、みなさん新聞などでご存知と思いますが、4割近い状況は今日においても改善されていないという状況であります。また介護保険や障害者自立支援制度による福祉サービスから排除されているような人々がかなり今日存在するようになり、介護殺人というような悲惨な状況まで起こっています。
あるいは、就学援助制度を受けている児童生徒が膨大に存在するということです。就学援助制度というのはみなさんご存知だと思うのですけれども、義務教育を受けている子供たちがすべて完全に無償だと法律ではうたわれていますが実際にはそうではないわけです。学校給食費にしても、課外活動費にしても、修学旅行費にしても、さまざまなものが授業料・教科書代以外にかかるわけで、低所得層はそういうものが払えない。経済的理由で就学困難になることがないように、こうした就学援助制度が設けられているわけです。生活保護世帯はもちろんのこと、生活保護基準の大体1.4倍位のそういう低所得層が対象になっている。そういうふうな若いお父さんお母さんが膨大に存在するということであります。2005年には133万7千人、実に全国平均で12.8%、つまり8人に1人位の割合で就学援助を受けている児童生徒が存在するということです。地域によってはかなり高い比率になっています。大阪では27%位、東京で25%位です。大都会が多いというのはあります。それから、特に足立区は4割を越えていまして、ここは低家賃の公営住宅が多いところで、そういうところがどうしても増えていますね。こういう就学援助を受けている児童生徒の膨大な存在ということも、我々は考えなければいけないのではないかと思います。今高校への進学率が9割を超えている、大学への進学率が5割を超えているわけです。こういった進学の機会というのが、お金によって損なわれる可能性がかなりあるということですね。子どもたちが、こういった貧困世帯で育っていくということが、どういうふうな影響を与えていくかということも我々は考えなければならないと思っているわけです。
それから、多重債務者の問題であります。5件以上の債務を抱えている人を多重債務者と言いますが、2005年には230万人に上り、これらの人たちの平均借入額が約230万円であります。あるいは自己破産者は2005年には約18万4千人に上っておりまして、1995年の4万3千人に比べたら、その差は歴然としていることが良く分かります。更に自殺者が1995年までは大体2万1千人程度であったわけですが、1995年の構造改革によってリストラが進んでいきます。この過程において1998年には急上昇いたしまして3万2千人に至るわけで、今日においてもほぼこの状況を維持しているわけであります。こうした問題が社会問題化されて来ているということで、マスメディアで取り上げられるなどして社会的にも顕在化しているのが今日の状況であるということになります。
このような保護基準以下の所得で、社会制度から遠ざけられ排除されていく、そういった顕著化されていく貧困というのは、現代の「絶対的貧困」と呼ぶにふさわしいものであるのではないかと思います。
第3の特徴は、低所得層の問題だけではなくて、国民一般階層においても滞在的な「相対的貧困化」が進展している点にあります。一般階層においても、賃金・収入の低下がみられ、95年から構造改革が進みまして、97年頃から影響がみられるようになりまして、今日におきましては大体10%、約1割の所得減ということになります。他方においては税金や保険料負担が増加し、そればかりではなく住宅や教育といった生活基盤確保のための負担がローン返済という形で増加している。これらの支出は長期的生活の継続と安定にとって必要欠くべからざるものであり、それだけ選択の余地の非常に狭く、したがって社会的に強制され固定された、いわば「社会的固定費目」であるわけで、こうした社会固定費目が増大しているということであります。つまり一方で収入が減少し、他方で社会的固定費目が増大しているということは、収入から社会的固定費目を差し引いた、実質的に自由に使える可処分所得が低下することになりまして、それは食費や被服費といった労働力の肉体的再生産費の節約・削減、教養娯楽費や交際費などの社会的体裁維持費の節約・削減となって現れています。それは、人間の自由な発展や自立した生活を損ねて、きわめてゆとりのない従属的な生活となっていることを意味しているということです。現代の貧困は、このように国民一般階層をも巻き込んで進んでいるという部分に特徴があるといえます。
第4の特徴は、低所得層、貧困層の多くが未組織な存在であるということです。労働組合が広範に形成され、社会運動がさまざまな形で広い地域で行われている発展した民主主義社会の中でありますが、貧困層の多くは未組織のまま置かれているのであります。それはまた、日常的継続的に政治に参加し、自らの経済的状態を改善する手段が奪われていることを意味しています。それは結局自らの最低生活が底抜けになり、下へ下へと押し下げられる可能性が理論的にも実際的にも十分ありうることを意味しております。憲法などで生活と労働の最低限を守るべき法が明文をもって記され、その意味で権利が与えられていても、それを実行するべき力が自らにはないということです。この層は、どこへも訴える相手を持ちえず、いわば「無告の民」として「無権利」の中に放置されているのであります。
第5の特徴は、貧困層は、社会生活や地域生活の中でも、その存在が忘れ去られ社会的に孤立し排除される可能性が高いということです。孤独死にみられるように、大都会の中で、自分の名前を呼んでくれる人が誰もいないとか、自分の話を聞いてくれる人が誰もいない。自分が歩んできた人生の価値に共感してくれる人が誰もいない。そういった勇気や希望を持ち得ないような状態に陥り易いということです。人はおそらく自分の生きがいを求めて生きていくのであると思いますが、それを失って長くは生きていくことは出来ないであろうと考えられます。
このように、現在の貧困はただ単に所得が低いという事だけではなくて、様々な社会制度から排除され、しかも孤立し分散している状況にあると言っていいのではないかと思うわけです。