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大阪府生協連合会「社会福祉問題研修会」講演録 「高齢社会における地域福祉の活動を考える」

1.Connecting Communities  2.恐るべき尼崎医療生協
3.大阪府生活協同組合連合会の可能性
講演:立命館大学 産業社会学部教授 リム ボン氏
■日時:2006年7月20日(木)  ■場所:大阪府社会福祉会館3階第2会議室

1. Connecting Communities


おはようございます。
只今、ご紹介いただきました立命館大学のリムでございます。
今日皆さんのお手元にレジメが1枚だけ用意してございます。タイトルを見ていただいたらわかると思いますが、意図的に変えております。『高齢社会における地域福祉の活動を考える』というテーマなのですが、私は「超高齢化社会」ということと「地域福祉活動」だけでなくて、もっと広い「地域活動」という視点でみた方が面白いのではないかと思いまして『超高齢社会における地域活動を考える』に修正させていただきました。
今日私のお話させていただく内容は、レジメにありますように、3点です。時間をたくさんいただいているのですが、なるべく皆さんとディスカッションする時間を作りたいと思っております。
まず1点目ですが、Connecting Communitiesと書いてあるのですが、これが今日の私の報告の中心的な課題なのです。実は6月11日~18日にニューヨークのJapan Societyという組織がありまして、そこでやったミーティングがこのテーマです。今日の講演のためにネタを仕入れてきたようなもので、まずこの話を皆さんにご紹介したいと思います。
「コミュニティーをつなぐ」というテーマで、ニューヨークとサンフランシスコで3日ずつ、朝から晩まで、専門家同士が缶詰になってワークショップで議論するという会議でした。
まず、Japan Societyとは何なのか? これは日本語に訳すと「日本協会」と書かれているのですが、これはニューヨークだけではなくて、全米に何ヶ所もあるのですが、それぞれが独立した団体です。このニューヨークのJapan Societyというのは、来年百周年を迎えるという古い歴史をもっていて、私は日本人が作った団体かと思っていたら、実はそうではなくて、アメリカ人が作った団体だったのです。
少しその背景を紹介しますと、日露戦争でバルチック艦隊を壊滅させて、日本が勝ったじゃないですか。当時の歴史をみますと、やはりあの時日本がロシアに勝ったというのは、アジアの国々にとっては、当時の時代としてはものすごい勇気を与えたのです。欧米列挙に対して、唯一アジアの中では日本が近代化に先んでていて日露戦争に勝ったと。日露戦争で勝った時に、正式名称はわかりませんが、闇社会の用語で、手打ち式というものがあって、アメリカ合衆国のルーズベルトの介在によって、手打ち式が行われたわけです。非常に良いタイミングで日本はこの戦争を終わることができた。それに対するお礼ということで、日本の政府が特使をアメリカに派遣したらしいです。その特使たちをお迎えするセレモニーがニューヨークで百年前に開催されました。そこに、政財界のかなり大物の人たちが集まった。さらに、すでに百年まえに日系移民の中で、アメリカでかなり成功している経済人が何名かいらした。母国がこういう風にして迎えられているということで、その人たちもすごく喜んだわけです。このアジアの中でロシアを破るような、国土として小国だけれども、すごい力のある国、近代化に進んでいる日本いう国の文化というものを、もっとアメリカ人に知らせて、日米の交流をするべきだという風に考えた人たちが作った団体が、このJapan Societyだったということです。
しかし、第二次世界大戦の時には、アメリカと日本というのはお互い敵国になるわけですから、不幸なことに、この活動が中断される。ところが、1950年代になりサンフランシスコ講和条約では、経済界からロックフェラー3世という人がそこに参加し、彼は日本の文化にものすごい興味を持っていて、自ら自腹を切って、当時の大統領夫人とかを日本にツアーに連れて来たりとかで、非常に親日派になったわけです。それで、日本は面白いということで、自ら理事長に就任して、1953年にJapan Societyをニューヨークで復活させたわけです。
それで、47丁目の1番街と2番街の間の、ニューヨークの国連センターから歩いて行けるすぐ近くのところに、ロックフェラー3世が土地と建物を提供してJapan Societyのすごくいい建物を造っています。当時の日本を代表する建築家の吉村順三さんという人が設計した5階建てのビルなんですけれども、鉄筋コンクリートで造られているのですが、非常に日本的な和の文化も取り入れた建築でした。この間、そこに行ってきたわけです。
このJapan Societyというのは非常に財産もたくさん持っていて、おそらく数十億円はいつでも使える資産を持っているということです。
このニューヨークのJapan Societyは五階建てと言いましたが、真隣に90階建てのビルが建っています。トランプタワーと言いまして、トランプさんという有名な不動産屋さんがいるのですが、この人のタワーなんです。5階建ての横に90階、普通都市計画規制でそういうことがあまり出来ないのですが、ニューヨークの場合非常に面白い法律がありまして、空中権という考え方があります。
たとえば、この土地には10階建てのビルが建てられる、でも今はJapan Societyは5階しか建てない。あと5階分建てられるけれども当面はいらない、隣にトランプさんがものすごく高いビルを建てたいけれど、10階までしか建てれない。どうするかというと、隣の5階分のまだ使っていない空中の権利は売れるんですよ。トランプさんは周辺の空中権をいっぱい買って90階を建てて、Japan Societyはそれでまたお金をごそっと儲けて、それで資産運用しようと思って、株に投資して失敗したとか言っていました。(笑)
そのトランプタワーに松井秀喜がすんでいて、最上階はビルゲイツが買っているそうです。ビルゲイツは50歳で引退して、個人資産4兆円ありますから、それでこれから奉仕活動に専念するということで、その舞台がニューヨークのトランプタワーあたりだろうということです。話がどんどん脇道にそれていってすいません。
このJapan Societyが来年百周年を迎えるのですが、百周年記念事業を何かしなければいけないと、でもスタッフだけではアイデアは出ない。ここで何らかのアイデアを出したい。しかしやらなければいけないことはConnecting Communities、これなのです。いろんなCommunitiesをつなぐということです。そこまではいいのですが、では目玉として何をしたらいいのかわからない。そこで、Communitiesに関する様々な方面で、ものすごい影響力を持っているイノベーターズたちを日米で双方集めて、交流させる。そこで議論を戦わせてアイデアを出させて、ただでアイデアを貰ってしまう。これがJapan Societyの今回の戦略だったわけです。
去年はアメリカから6名程日本に招いて、日本の地域をいろいろ見てもらってディスカッションする。今年は逆で、日本から6名位をアメリカに招いて、アメリカで向うの人と交流する。どういうわけか、その6名の中に私も指名されて入っています。別に自慢しているわけではないのですが。(笑)客観的事実を述べているだけです。
とにかく行ってみて大学関係者は私だけで、やっぱり私以外はみんな、実践的活動をしているイノベーターで、私だけが浮いていました。非常に私にとっては勉強になりました。
どういう人が来ていたかと言いますと、アメリカ側からは、後で少し説明しますが、Common Ground Communityという、ホームレスの住宅と福祉と職業支援と医療、メンタルにやられている人たちが多いので、そういう人たちを支える、そういったことを一括してやっている、非常にすごい団体なのですけれども、そこのプレジデントがロザンヌハガティさんという人です。ロザンヌハガティさんという方は、ハリウッド女優みたいな人ですごくかっこいいのです。それから、皆さんもご存知のインターネットの検索とかをするグーグルの営業本部長をやっている、40歳そこそこの女性の方。それから、IBMの営業部長をやっている、この方は日系3世の男性でした。それから、ヒューレッドパッカードというコンピュータ会社の前副社長、この方も女性です。
私はこの8年間ほど毎年ニューヨークで調査をしていて、そういうNPOのプレジデントの人たちにインタービューしているのですが、今アメリカで大ブレイクしているNPOのプレジデントで、私が今回会った人たちは、全員女性でした。優秀な事務局長や副社長がだいたい男性ですね。あまりにも不思議なので一度聞いてみたのです。「なんで、ニューヨークのすごいNPOの社長はみんな女性なんだ?」と言うと、みんな言うのは「I don't know」わからないと言うのです。でも、終わってから僕を呼んで「さっき、わからないと言ったけれど、本当のことを言うわよ。男より女の方が頭がいいのよ」(笑)そうですかと、それを言われると何も言えなくなってしまいました。
それで、日本側から行ったイノベーターズで、この人すごいなと思うのは、有名な人ですけれども、下村満子さんという方です。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、元朝日新聞の記者で、朝日ジャーナルの編集長をやっていた人で、もう70歳ずっと過ぎの方です。
「朝まで生テレビ」という田原総一郎の番組があるのですが、あの中で従軍慰安婦問題が出たときに、下村満子さんという人は、決してフェミニズムの活動家ではないのですが、自分の問題として一生懸命取組んでいらっしゃいました。
下村さんは、お母さんがお医者さんで、満州で幼い頃育ちました。終戦直後、まだ引揚げる前に、庭に出たら遺体が転がっているという、中国の内戦の渦中にいて、お母さんは銃弾の間をかいくぐって治療に専念していた。そういった子どもの頃の原風景があるものですから、従軍慰安婦問題も自分の問題として考えるということで、10年ぐらい活動をされていて、その問題を朝まで生テレビで取り上げた時に、それに対する批判勢力の舛添要一とか渡部昇一とか、新しい歴史の教科書をつくる会の小林よしのりとか、彼らが、非常に捲くし立てるわけですね。それに対して「そういうことを言うんだったら、あなた達の発言を全部証拠つきで……」なんて言ったら、何も言えなくなったわけですよね。私、その番組を見ていて、その時下村さんのファンになったんですけれども、そういう凄いジャーナリストなわけです。
下村満子さんが、朝日新聞社を定年退職される時に、お母さんが医療法人を経営されていて、今93歳でまだすごく元気だそうなんですが、この間「徹子の部屋」を必ず見ろと言われて、6月29日に下村さんが出ていたのですが、93歳で週に1回の理事会を朝から晩まで出て、名誉理事長ということでコメントする。ハワイに一緒に行ったら、真っ先にステーキを食べたいと言う。しかし、もう組織を経営するのは大変なので、下村さんに後を継いでくれということで、医師でも何でもないジャーナリストの下村さんですが、理事長として後を継がれたわけです。
その継がれた医療法人の名前を変えたのですが、これも厚生労働省と1年間戦ったのですが、「こころとからだのげん氣プラザ」と名前が面白いんです。6、7階建てのビルで、一箇所だけですが経営してらして、5階のフロアーは女性だけの検診をする。これが、ビビとかいう雑誌なんかで、今大ブレイクをしているそうで、6ヶ月先まで予約がいっぱいです。
僕が下村さんに「金持ちばかり相手にしてるんですか?」と言ったら、激怒して「冗談じゃあないわよ。誰でも来れるわよ」「保険証持ってくれば、誰でもみるわよ」って言ってましたけれども。この下村さんがやったのは、基本的には男性の体をモデルにして、男性の疾患を基準にいろんな診察をしていたらしいのですが、ところが、アメリカのコロンビア大学の医学部の教授で、名前を忘れましたが女性の先生が、ジェンダー医療と言いますか、女性には女性特有の疾患があって、女性にしかわからない病気もたくさんあって、それを男性をモデルにした診療をやっている医療ではだめだということで、その方と意気投合して、日本でもこれをやろうというので、取り入れたのが「こころとからだのげん氣プラザ」だそうです。他のフロアはもちろん男性もいけるのですが、特別に、医師もスタッフも全部女性だけでやっているのが、そのフロアです。
いまだに、本を出されたりとかのジャーナリストもやると同時に、日本の医療を変えたいということで、そういう取り組みもしていらっしゃいます。
そういう凄い人だからでしょうけれども、直接お会いして、自己顕示力が凄かったですね。成田を出る時から車椅子に乗っていて、ニューヨークに到着した時も車椅子ですよ。ところが、1週間なのに巨大な真っ赤なスーツケースを3つ。荷物が先に出てきて、本人は車椅子で、どうするのかと思っていたら、我々のような人たちが、1つずつ持たされて、「これに一体何が入っているのですか?」と尋ねると、毎日の着替えの衣装とお土産だと。それで、Japan Societyでお土産を全部配ったら、スーツケースが空きました。どうするのかなと思ったら、五番街にフィフスアベニューという中高年の女性たちをターゲットにした有名な百貨店があるんですけれども、フェラガモの靴を買うんだとか言って、そこに買い物に行って、袋にいっぱい買って、その時は車椅子使わないんですよ。(笑)むちゃくちゃ元気で「元気になっちゃったわよ」と言って、またスーツケースがいっぱいになってしまったので、どうして運ぶのと言うと「あなた達、運びなさいよ」と、私たちが運ばされたのですけれど。(笑)半分、下村さんの弟子になっていたという、そういう会議でした。
今日は地域福祉の話ですから、今の健康の話。もう一つは、Common Ground CommunityというNPOのプレジデントのロザンヌハガティさんの話ですが、実はこの人とはニューヨークにいて、6年ぐらい前から知り合って、日本にも来てもらったり、向うに行った時には一緒に議論したりして、その関係で、私がJapan Societyに今回呼んで貰えたのは、ロザンヌハガティさんが紹介してくれたので、一回来てみろということで行ったのです。
タイムズスクエアというのがニューヨークにあります。必ず大晦日の夜にカウントダウンしますよね。タイムズスクエアという所はブロードウェイが南北に走っていまして、そのブロードウェイを軸にしたタイムズスクエア界隈というのは、ブロードウェイのミュージカルの劇場が集積している所で、毎日、世界中からミュージカルを見るために人々が集まる所です。なぜ、タイムズスクエアというのかと言うと、43丁目とタイムズスクエアの交差点のすぐ近くにニューヨークタイムズ社の本社がある。ですから、タイムズスクエアといいます。
ニューヨークタイム社の本社の隣にタイムズスクエアホテルというのがあったのです。このホテルはすごく豪華なホテルで、19世紀の末にできたホテルなのです。1階のロビーなんかは金ぴかの装飾で、お金持ちが世界から集まってきて、そこに滞在してブロードウェイを見る、そういうホテルだったのです。ところが、ホテルが経営破たんしまして、どういう訳か地元のマフィアの手に渡りまして、1970年代から大変な状況になります。まず、そのホテルが廃墟になりまして、そこに誰が住むかといいますと、ホームレスの人たちや麻薬患者の人たち。それから、麻薬をそのホテルの中で売買するのです。恐ろしくて警察官も入れないのです。警察官が入ったら殺されるんです。1970年代から80年代にかけてのタイムズスクエアというのは、人が寄り付けなかったのです。ブロードウェイのミュージカルがあるにも係らず、レストランにお客さんも来なくなった。だんだんその周辺が荒れていくのです。でもニューヨークタイムズの本社があります。下村満子さんは実は、日本人で初めて朝日新聞の記者として、ニューヨークの特派員として、その時期タイムズスクエアにいたのです。だから、その時期のタイムズスクエアのことも良く知っていると言っていました。隣がニューヨークタイムズ社の本社で新聞記者たちが出入りするじゃあないですか。それから、いろんな新聞を配達するための物資を運ぶために人が出入りしますよね。その人たちが、入り口でしょっちゅう刺されるのです。考えられます?それで、たまに死ぬんです。そんな事が日常茶飯事なんです。なぜかと言いますと、刺して、お金を取って、隣のタイムズスクエアに入って行って、ドラッグを買うのです。どういう状況かというと、朝日新聞社が東京の銀座にありますよね。その朝日新聞の本社の隣のホテルが廃墟になって麻薬とホームレスの人たちがいて、しょっちゅう朝日新聞の記者たちが刺されている、こういう状態を考えてくれたらいいのです。そういうことが1970年代から80年代後半にかけてのニューヨークでは起こってきたわけです。90年代に入ってまだその状況は続いていました。私も10年ぐらい前にタイムズスクエアに行った時は凄かったですよ。ポルノショップがいっぱいあって、路上は危ないなと思ったのですが、次の年に行ったら、全部無くなっていました。なぜかというと、当時の市長のジュリアーニという共和党の人ですけれども、ニューヨーク市の検事をやっていて、物凄いやり手で、警察官を倍増して、ドラッグの取引を一斉検挙したのです。町からそういう犯罪者がいなくなったのです。ホームレスでさえ検挙して、高校生でもダブダブのジーンズでへそより下まで垂れ下がっていてチェーンをぶら下げて歩いていると検挙されるのです。そうやって町から犯罪者がいなくなったのです。これで一気にニューヨークは実際犯罪が減りました。あの犯罪者たちはどこに行ったんだと、刑務所に入ったか殺されたかだという噂が流れるくらい、ニューヨークは治安が良くなりました。
1つはジュリアーニ市長の功績があります。実際にニューヨークというのは、アメリカの百万人以上の都市の中の凶悪犯罪がもっとも低い都市になったのです。昔は一番だったのに、今一番安全な町、安全といっても、1日3件くらい殺人は起こりますけれども、それでもアメリカで一番安全な都市になっています。もう1つは、ニューヨーク市やニューヨーク州政府の自治体行政というものが、もう破綻していたのです。財政も破綻していましたが、行政というのは地域のホームレスの問題ですとか、エイズの問題ですとか、非行の問題ですとか、こういった事には、もう手が付けられない。行政までどうしようもない。これをCommunityが引き受けているのです。
さっきのタイムズスクエアホテルなんですが、当時30歳そこそこで、乳飲み子の男の子を一人抱えていたロザンヌハガティさんが、隣のブルックリンというところのNPOで不動産関係の仕事をしてたのですが独立して、このタイムズスクエアホテルをなんとかしたい。なぜそういう事を思ったのかと言うと、この人はカトリックで敬虔なクリスチャンで、社会のために何かしたいという思いがあったのです。この麻薬の取引をしているタイムズスクエアホテルにある日1人で入っていったのです。1人で行くのが怖いからどうしたかというと、赤ん坊を連れて行ったというのです。余計危ないと思うのですが。中に入って行ったら、ホームレスがたむろしているし、地下は水道管が破裂していて水浸しになっているし、ホテルに一歩踏み込むと、足の踝までプラスチックに浸かる。何かと思ったら、麻薬のアンプルの使い捨てがいっぱいに捨ててあって、それが踝が埋まるぐらいにまで床一面にあって、それでいて中の空間をみて、何となく直感として「これは何とかできる」と思ったというのです。考えられない話ですよ。
その時に、NPOを立ち上げて、このホテルを買い取って、改装して、ここに来ているホームレスの人たちを もう一度社会に復帰させるというプログラムの企画書を作って、それを提出したのです。ビジネスがどんどん衰退して行き、不動産価値もどんどん低下して行きましたから、ニューヨーク州政府とニューヨーク市と、それからタイムズスクエアの、もちろんニューヨークタイムズ社をはじめ、ホテル経営者や劇場経営者とか、レストランの経営者たちとかの企業がみんな困ってたんですよ。これをCommunityみんなで再生させようと立ち上げたNPOが、Common Ground Communityです。
それで、補助金が40億円、その辺の額が違いますね。40億円でこのタイムズスクエアホテルを再生させなさい。まず、何をしたかと言いますと、マフィアがここを資金源にしていますから、マフィアが持っているこの物件をどうやって取り上げるかという時に、そこがアメリカと日本の制度の違うところなんでしょうけれども、裁判を起こして、この不動産所有者はここで、こういう犯罪行為をさせていると、ここでこの人が、この不動産を所有する権利は無いと、そんな資格は無いと裁判をして、裁判に勝って、それは司法当局とぐるでやってますから、勝つようにしてるんでしょうね。勝って、まずそれを取り上げて、そのタイムズスクエアホテルを修復します。
ニューヨークのこのCommon Ground Communityの凄いのは、そういうホテルを修復する時に、百年前に出来た凄い豪華なホテルですから、廃墟になっているところを、元の歴史的建造物に復元するんですね。アメリカの法律では歴史的建造物に修復すると、税制を優遇してもらえるのです。それから、ホテルの部屋はちょうど良く、もともと個室になっています。80室ぐらいの単身者ホームレス用のアパートにするんですね。小さなキッチンが付いた、もちろんトイレもバスルームも付いている。1LDKぐらいの凄くいいホテルです。私は4回訪れました。この間も行ったのですが、ニューヨークのタイムズスクエアの相場でいうと、「この部屋を賃貸で借りようと思うと、いくらですか?」と言うと、5000ドル、日本円にして60万円になります。それが、ホームレスの人たちのための住宅になっているのです。それだけではないのです。いつかは自立しなさいということですから、職業訓練もしています。タイムズスクエアで、凄くいい場所ですから、1階に何が入っているかといいますと、ベン・アンド・ジェリーという有名なアメリカのアイスクリーム会社の店舗。それから、スターバックス、それからマクドナルドが入っています。
アメリカの企業は社会奉仕もしないといけないという事で、どうしているかというと、タイムズスクエアホテルで預っているホームレスの人たちに訓練をして、店員として雇うわけです。ですから、やっぱりちょっと仕事が遅いです。注文しても2分ぐらいかかります。僕もアイスクリームのただ券を貰って、買いに行って「このアイスクリーム下さい」と言ったら、店員さん二人いて、どっちの仕事かって喧嘩し出すんですよ。(笑) いきなり背景を知らずに来たお客さんは、怒り出すと思うのですが、それでも育ててやるということで、段々段々トレーニングして行きます。そしたら、中にはそのホテルの管理人も出来るようになるぐらい本当に立ち直る人がいたり、よそでNPOを立ち上げて、そこの事務局長をする人が出てきたりしています。
それから、高齢者のデイサービスセンターをしたり、フィットネスジムなんかも持ってますし、HIVに感染した人たちを支える。だから、凄く大事なのは、住宅が無い人に住宅を供給しましょう。というのが1対1なんです。HIVの人たちを支えましょう、これも1対1です。それから高齢者のデイサービスをしましょう、これも1対1です。職業訓練をしましょう、これも1対1です。縦割りの、行政がしているのは全部そうだったんですけれど、このCommon Ground Communityがやった凄いのは、住宅を供給することと、仕事をすることと、メンタルに回復することと、これが全部セットになっているという事です。それをセットでやる事によって、トータルに人は回復していくという事です。
家賃なんですが、必ず何らかの形で支払います。仕事が出来ない人に関しては、無理にさせませんけれど、仕事が徐々に出来るようになって来ると、年収の30%を家賃にして下さい。だから、年収100万円稼いだ人は30万円を家賃にする。だから月々にしたら2万いくら位ですよね。60万円の家賃に対したらただみたいなもんだけど、1000万円になったら300万円です。そういう風に、自分の働いた分の何十%と決めてやってるんです。
その事に対する批判も出てきました。タイムズスクエアホテルという由緒正しいホテル、しかも超一等地の場所で、ホームレスのための住宅をそういうただみたいな家賃で供給するとはどういう事かという批判が出てきます。現に「ここをホームレスの住宅にするのは勿体ないわねえ」と言う女性研究者がいました。この方は、その後急きょ「私はなんてとんでもない事を言ってしまったんだろう」と訂正していました。でも、素直に考えたらそういう事です。ところが、ハガティーさん曰く、もしこの人たちが犯罪者になって刑務所に入ってたとしたら、しょっちゅうその前までは出たり入ったりしてたんですよね。刑務所に入ったら、どうも一人当たり年間600万円いるというのですよ。それに対してCommon Groundだったら3分の1ぐらいで済んでるという事です。具体的にはわかりませんけれども。だから、これはバーゲンなんだと、連合政府も州政府も市政府も、まったく安上がり福祉をやってるではないかという事を主張するのです。現にそうなのです。本来行政がやっていると、おそらくCommon Ground Communityがやる数倍のお金を投入しないと事業が出来ない。しかも、行政がやると、やったからと言って成果がほとんど出ないのです。即ち、みんなザルのような政策しか出来ない。NPOがやると上手くいく。なぜ、上手くいくかというと、たとえば、Common Ground Communityもそうなんですけれども、ハーレムに半年間毎日通って、2回ぐらい殺されそうになりました。それ以来、根性がつきまして怖いものがなくなったんですけれども、そのハーレムもNPOも同じことをやっていて、住宅を募集したら、応募倍率が2000倍、そのくらい人気があるんです。彼らはどういうことをするかというと、入居者に決められたルールで、もし入居者に暴力をふるうとか、家賃を滞納するとかしたら即刻追い出すと面接の段階で言えるのです。地域のCommunityを担っている人たちがやっているのですから、そこまで自信をもって言える。これを、たとえばニューヨーク市の住宅局の行政官がそういうことを言ったら人権問題で大問題になります。特に、アフリカアメリカ系は政治的にも非常に強いですから、ちょっとでもそういう言葉を言うと大糾弾するわけですね。だけど、地元のCommunityたちが自らのルールで自分たちがそういうルールを作っていますから、キツイ事も平気で言うし、受け入れる側も素直に受け入れる。行政は何をやっているかというと、制度をちゃんと作るというのと、補助金がちゃんとそこに行くような仕組みを作るという、行政の役割はそれだけなんです。それ以外のことは口出しするなと。だから、お金を出して、制度を作ってくれて、口出しはするなと、こういう関係が出来るのが実は成功の秘訣なんですね。なぜ、そうなったかというと、幸か不幸か、アメリカの場合は、70年代80年代にもう地方自治体の行政能力が破綻してしまった事がわかってしまったわけですから、NPOがそういう力を持ったという事です。
それから、このニューヨークとサンフランシスコのワークショップに日本側から、たとえばこういう人が来ていました。エレファントデザインという会社の社長さんで西山さんというのですが、この人はスペイン語と日本語と英語が完璧。日系移民として18歳までコロンビアにいた人なんですが、今何をしているかといいますと、無印良品って皆さんご存知ですよね。たとえば、あそこが作っているいろんな商品を開発した人なんです。たとえば、無地ソファーとかと言って、大ヒットしたそうなんですけれども、非常に安いけれども、いいソファーを作っている。この人のやり方はどういうのかと言いますと、たとえば、共働きの若い夫婦が仕事を終えて、夜8時ぐらいに二人とも家に帰ってきて、お腹が空いていてご飯が食べたいけれど、しかし、もうどっちもやりたくない。その時にロボットがいてくれて冷蔵庫からレトルトを持ってきて、電子レンジでチンして、運んでくれたらどんなにいいだろうというニーズが仮にあったとしたら、このロボットを作ろうとするんです。しかし、1人で作ると何億円もする。これが、1千人、あるいは1万人に達したら、百万円台で出来る。あるいは他の商品でも、1人でやったら百万円になるけど、何人来たら、千円で出来る。この人はそういう商品をデザインして、インターネットを使って、乗りませんかという募集をするわけですよ。それで100%に達したら事業化するんです。ですから絶対に失敗しないんです。その事業で成功したら15%はうちの会社がもらいます。後の儲けは無印良品さんが取ればいいでしょうという事です。70%ぐらいで伸びなかったら、この企画は没にしますという事で、これもまた大ヒットしています。お金儲けのメチャメチャ才能がある人です。その時にも、我々が日本に帰ろうとした時に、自分はテキサスに300億円の商談に行くんだと言っておりました。
それから、アニメーションのプロデューサーの石川さんという人も来ていました。この人は、日本人で初めてカンヌ映画祭のアニメ部門で賞を取った人です。劇場エバーゲリオンをプロデュースしたり、アニメの監督と作品を作ってグランプリを取ったのですが、その後、ハリウッドからタランティーノ監督が自ら、キルビルという女殺し屋の映画のアニメの部分をやってくれないかと事務所に来たのです。今はハリウッドにもオフィスを持っています。
そういった人たちが集まって議論をしてたのですが、もう一つ衝撃的なことがありました。サンフランシスコのワークショップの時に、ゲストとして、子どもたちの教育に携わっているNPOのプレジデントが来ました。47歳の女性です。もと中学校の先生なんですが、教員は辞めて教育関係のNPOを立ち上げたのです。その先生は中国系アメリカ人で、12歳のアフリカ系アメリカ人の少女と2人で来ました。「今から私たち、2種類の会話をやるんでよく聞いて下さい」と言ったのですが、これが衝撃的だったんです。まず最初の会話です。先生の方が「私はチャイニーズアメリカンです」そしたら、12歳の少女が「私はアフリカアメリカンです」、先生が「私はお父さんが事業で大成功して大金持ちです」少女は「うちのお父さんは失業していて非常に貧乏です」、今度は先生が「うちのお父さんは教育を受けていて、私たちは高学歴です。兄弟みんな高学歴です」「私はもう中学校で中退しようと思っています」それで話しは終わってしまいます。次の話しが、先生の方が「私は9人兄弟です」、そしたら少女は「うちは6人兄弟です」と。「私は兄弟を非常に愛しています」「私も愛してる」、先生が「でも、今うちはお姉さんが病気で非常に苦しんでる」そしたら、少女は「うちはお母さんが、今ドラッグのせいで麻薬中毒とうつ病で困っています。だけど何とかしてあげたいです」そしたら「こういうところに行けば、みんな仲良く交流できますよ」と話していました。今の会話は何が違うのかと言うと、まず最初の会話です。「私はチャイニーズアメリカンです」同じアメリカンでも、民族が違います。そしたら「私はアフリカアメリカンです」とワアーと壁が出来てしまいます。「うちは金持ちです」と言うと「うちは貧乏です」また壁が出来てしまうのです。「私は高学歴です」「いや、私は中卒です」壁ができてしまうのですね。後者の方の会話、「私は9人兄弟です」「お宅も多いけど、うちも6人兄弟で多いよ」、「私は兄弟みんな愛してるのに、お姉さんが病気で困ってるのよ」「うちもお母さんが、今病気なのよ」 前者と後者のどこが違うかというと、前者の会話は対立から始まるのです。壁から入る会話。後者の方は共有するものがあるわけですね。兄弟が居ようが居まいが、兄弟に関してどう思うのかという話、家族の中で病気の人がいたら、お互いどうやったら支えられるだろうか、共通の悩みを持つ。つまり、共通の何かを持つということが非常に大事なんですね。
冒頭の話が非常に長くなりましたが、このConnecting Communitiesということで、Communitiesとは何かということを書いたのですが、実は社会学者たちは50年ぐらいこれを議論していますが、Communitiesとは何かという定義はないという結論です。しかし、この時のワークショプで出てきた話しは、Communitiesを定義しました。何かを共有している集団だということです。何かをというのは、たとえば、購買生協ですと、「商品を共同購入する」というものを共有して集まってくる。医療生協でしたら、「病院、診療所を自分たちで経営しましょう」という人たちが集まってくる集団です。学校ですと、この学校で学びたいという人たちが集まってくるということです。そういう風にして、何かを共有する集団であることがCommunitiesです。その何かを共有するというのは、1つだけではなく、おそらく、1人の人が1つだけでなくて、誰かと何かを共有していることは、いっぱいあると思うんですね。それをどう繋ぐかということが非常に大事だということです。
それと、今言った教育NPOの先生の話ではないですけれども、その時に大事なのは、まず、対立とか壁から入って行くのではなくて、まさに共有するべきものは何かから入っていく。ここが、今アメリカのNPOが成功している非常に大事なポイントだということです。
1.Connecting Communities  2.恐るべき尼崎医療生協
3.大阪府生活協同組合連合会の可能性
講演:立命館大学 産業社会学部教授 リム ボン氏
■日時:2006年7月20日(木)  ■場所:大阪府社会福祉会館3階第2会議室

1. Connecting Communities


おはようございます。
只今、ご紹介いただきました立命館大学のリムでございます。
今日皆さんのお手元にレジメが1枚だけ用意してございます。タイトルを見ていただいたらわかると思いますが、意図的に変えております。『高齢社会における地域福祉の活動を考える』というテーマなのですが、私は「超高齢化社会」ということと「地域福祉活動」だけでなくて、もっと広い「地域活動」という視点でみた方が面白いのではないかと思いまして『超高齢社会における地域活動を考える』に修正させていただきました。
今日私のお話させていただく内容は、レジメにありますように、3点です。時間をたくさんいただいているのですが、なるべく皆さんとディスカッションする時間を作りたいと思っております。
まず1点目ですが、Connecting Communitiesと書いてあるのですが、これが今日の私の報告の中心的な課題なのです。実は6月11日~18日にニューヨークのJapan Societyという組織がありまして、そこでやったミーティングがこのテーマです。今日の講演のためにネタを仕入れてきたようなもので、まずこの話を皆さんにご紹介したいと思います。
「コミュニティーをつなぐ」というテーマで、ニューヨークとサンフランシスコで3日ずつ、朝から晩まで、専門家同士が缶詰になってワークショップで議論するという会議でした。
まず、Japan Societyとは何なのか? これは日本語に訳すと「日本協会」と書かれているのですが、これはニューヨークだけではなくて、全米に何ヶ所もあるのですが、それぞれが独立した団体です。このニューヨークのJapan Societyというのは、来年百周年を迎えるという古い歴史をもっていて、私は日本人が作った団体かと思っていたら、実はそうではなくて、アメリカ人が作った団体だったのです。
少しその背景を紹介しますと、日露戦争でバルチック艦隊を壊滅させて、日本が勝ったじゃないですか。当時の歴史をみますと、やはりあの時日本がロシアに勝ったというのは、アジアの国々にとっては、当時の時代としてはものすごい勇気を与えたのです。欧米列挙に対して、唯一アジアの中では日本が近代化に先んでていて日露戦争に勝ったと。日露戦争で勝った時に、正式名称はわかりませんが、闇社会の用語で、手打ち式というものがあって、アメリカ合衆国のルーズベルトの介在によって、手打ち式が行われたわけです。非常に良いタイミングで日本はこの戦争を終わることができた。それに対するお礼ということで、日本の政府が特使をアメリカに派遣したらしいです。その特使たちをお迎えするセレモニーがニューヨークで百年前に開催されました。そこに、政財界のかなり大物の人たちが集まった。さらに、すでに百年まえに日系移民の中で、アメリカでかなり成功している経済人が何名かいらした。母国がこういう風にして迎えられているということで、その人たちもすごく喜んだわけです。このアジアの中でロシアを破るような、国土として小国だけれども、すごい力のある国、近代化に進んでいる日本いう国の文化というものを、もっとアメリカ人に知らせて、日米の交流をするべきだという風に考えた人たちが作った団体が、このJapan Societyだったということです。
しかし、第二次世界大戦の時には、アメリカと日本というのはお互い敵国になるわけですから、不幸なことに、この活動が中断される。ところが、1950年代になりサンフランシスコ講和条約では、経済界からロックフェラー3世という人がそこに参加し、彼は日本の文化にものすごい興味を持っていて、自ら自腹を切って、当時の大統領夫人とかを日本にツアーに連れて来たりとかで、非常に親日派になったわけです。それで、日本は面白いということで、自ら理事長に就任して、1953年にJapan Societyをニューヨークで復活させたわけです。
それで、47丁目の1番街と2番街の間の、ニューヨークの国連センターから歩いて行けるすぐ近くのところに、ロックフェラー3世が土地と建物を提供してJapan Societyのすごくいい建物を造っています。当時の日本を代表する建築家の吉村順三さんという人が設計した5階建てのビルなんですけれども、鉄筋コンクリートで造られているのですが、非常に日本的な和の文化も取り入れた建築でした。この間、そこに行ってきたわけです。
このJapan Societyというのは非常に財産もたくさん持っていて、おそらく数十億円はいつでも使える資産を持っているということです。
このニューヨークのJapan Societyは五階建てと言いましたが、真隣に90階建てのビルが建っています。トランプタワーと言いまして、トランプさんという有名な不動産屋さんがいるのですが、この人のタワーなんです。5階建ての横に90階、普通都市計画規制でそういうことがあまり出来ないのですが、ニューヨークの場合非常に面白い法律がありまして、空中権という考え方があります。
たとえば、この土地には10階建てのビルが建てられる、でも今はJapan Societyは5階しか建てない。あと5階分建てられるけれども当面はいらない、隣にトランプさんがものすごく高いビルを建てたいけれど、10階までしか建てれない。どうするかというと、隣の5階分のまだ使っていない空中の権利は売れるんですよ。トランプさんは周辺の空中権をいっぱい買って90階を建てて、Japan Societyはそれでまたお金をごそっと儲けて、それで資産運用しようと思って、株に投資して失敗したとか言っていました。(笑)
そのトランプタワーに松井秀喜がすんでいて、最上階はビルゲイツが買っているそうです。ビルゲイツは50歳で引退して、個人資産4兆円ありますから、それでこれから奉仕活動に専念するということで、その舞台がニューヨークのトランプタワーあたりだろうということです。話がどんどん脇道にそれていってすいません。
このJapan Societyが来年百周年を迎えるのですが、百周年記念事業を何かしなければいけないと、でもスタッフだけではアイデアは出ない。ここで何らかのアイデアを出したい。しかしやらなければいけないことはConnecting Communities、これなのです。いろんなCommunitiesをつなぐということです。そこまではいいのですが、では目玉として何をしたらいいのかわからない。そこで、Communitiesに関する様々な方面で、ものすごい影響力を持っているイノベーターズたちを日米で双方集めて、交流させる。そこで議論を戦わせてアイデアを出させて、ただでアイデアを貰ってしまう。これがJapan Societyの今回の戦略だったわけです。
去年はアメリカから6名程日本に招いて、日本の地域をいろいろ見てもらってディスカッションする。今年は逆で、日本から6名位をアメリカに招いて、アメリカで向うの人と交流する。どういうわけか、その6名の中に私も指名されて入っています。別に自慢しているわけではないのですが。(笑)客観的事実を述べているだけです。
とにかく行ってみて大学関係者は私だけで、やっぱり私以外はみんな、実践的活動をしているイノベーターで、私だけが浮いていました。非常に私にとっては勉強になりました。

どういう人が来ていたかと言いますと、アメリカ側からは、後で少し説明しますが、Common Ground Communityという、ホームレスの住宅と福祉と職業支援と医療、メンタルにやられている人たちが多いので、そういう人たちを支える、そういったことを一括してやっている、非常にすごい団体なのですけれども、そこのプレジデントがロザンヌハガティさんという人です。ロザンヌハガティさんという方は、ハリウッド女優みたいな人ですごくかっこいいのです。それから、皆さんもご存知のインターネットの検索とかをするグーグルの営業本部長をやっている、40歳そこそこの女性の方。それから、IBMの営業部長をやっている、この方は日系3世の男性でした。それから、ヒューレッドパッカードというコンピュータ会社の前副社長、この方も女性です。
私はこの8年間ほど毎年ニューヨークで調査をしていて、そういうNPOのプレジデンとの人たちにインタービューしているのですが、今アメリカで大ブレイクしているNPOのプレジデントで、私が今回会った人たちは、全員女性でした。優秀な事務局長や副社長がだいたい男性ですね。あまりにも不思議なので一度聞いてみたのです。「なんで、ニューヨークのすごいNPOの社長はみんな女性なんだ?」と言うと、みんな言うのは「I don't know」わからないと言うのです。でも、終わってから僕を呼んで「さっき、わからないと言ったけれど、本当のことを言うわよ。男より女の方が頭がいいのよ」(笑)そうですかと、それを言われると何も言えなくなってしまいました。
それで、日本側から行ったイノベーターズで、この人すごいなと思うのは、有名な人ですけれども、下村満子さんという方です。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、元朝日新聞の記者で、朝日ジャーナルの編集長をやっていた人で、もう70歳ずっと過ぎの方です。
「朝まで生テレビ」という田原総一郎の番組があるのですが、あの中で従軍慰安婦問題が出たときに、下村満子さんという人は、決してフェミニズムの活動家ではないのですが、自分の問題として一生懸命取組んでいらっしゃいました。
下村さんは、お母さんがお医者さんで、満州で幼い頃育ちました。終戦直後、まだ引揚げる前に、庭に出たら遺体が転がっているという、中国の内戦の渦中にいて、お母さんは銃弾の間をかいくぐって治療に専念していた。そういった子どもの頃の原風景があるものですから、従軍慰安婦問題も自分の問題として考えるということで、10年ぐらい活動をされていて、その問題を朝まで生テレビで取り上げた時に、それに対する批判勢力の舛添要一とか渡部昇一とか、新しい歴史の教科書をつくる会の小林よしのりとか、彼らが、非常に捲くし立てるわけですね。それに対して「そういうことを言うんだったら、あなた達の発言を全部証拠つきで……」なんて言ったら、何も言えなくなったわけですよね。私、その番組を見ていて、その時下村さんのファンになったんですけれども、そういう凄いジャーナリストなわけです。
下村満子さんが、朝日新聞社を定年退職される時に、お母さんが医療法人を経営されていて、今93歳でまだすごく元気だそうなんですが、この間「徹子の部屋」を必ず見ろと言われて、6月29日に下村さんが出ていたのですが、93歳で週に1回の理事会を朝から晩まで出て、名誉理事長ということでコメントする。ハワイに一緒に行ったら、真っ先にステーキを食べたいと言う。しかし、もう組織を経営するのは大変なので、下村さんに後を継いでくれということで、医師でも何でもないジャーナリストの下村さんですが、理事長として後を継がれたわけです。
その継がれた医療法人の名前を変えたのですが、これも厚生労働省と1年間戦ったのですが、「こころとからだのげん氣プラザ」と名前が面白いんです。6、7階建てのビルで、一箇所だけですが経営してらして、5階のフロアーは女性だけの検診をする。これが、ビビとかいう雑誌なんかで、今大ブレイクをしているそうで、6ヶ月先まで予約がいっぱいです。
僕が下村さんに「金持ちばかり相手にしてるんですか?」と言ったら、激怒して「冗談じゃあないわよ。誰でも来れるわよ」「保険証持ってくれば、誰でもみるわよ」って言ってましたけれども。この下村さんがやったのは、基本的には男性の体をモデルにして、男性の疾患を基準にいろんな診察をしていたらしいのですが、ところが、アメリカのコロンビア大学の医学部の教授で、名前を忘れましたが女性の先生が、ジェンダー医療と言いますか、女性には女性特有の疾患があって、女性にしかわからない病気もたくさんあって、それを男性をモデルにした診療をやっている医療ではだめだということで、その方と意気投合して、日本でもこれをやろうというので、取り入れたのが「こころとからだのげん氣プラザ」だそうです。他のフロアはもちろん男性もいけるのですが、特別に、医師もスタッフも全部女性だけでやっているのが、そのフロアです。
いまだに、本を出されたりとかのジャーナリストもやると同時に、日本の医療を変えたいということで、そういう取り組みもしていらっしゃいます。
そういう凄い人だからでしょうけれども、直接お会いして、自己顕示力が凄かったですね。成田を出る時から車椅子に乗っていて、ニューヨークに到着した時も車椅子ですよ。ところが、1週間なのに巨大な真っ赤なスーツケースを3つ。荷物が先に出てきて、本人は車椅子で、どうするのかと思っていたら、我々のような人たちが、1つずつ持たされて、「これに一体何が入っているのですか?」と尋ねると、毎日の着替えの衣装とお土産だと。それで、Japan Societyでお土産を全部配ったら、スーツケースが空きました。どうするのかなと思ったら、五番街にフィフスアベニューという中高年の女性たちをターゲットにした有名な百貨店があるんですけれども、フェラガモの靴を買うんだとか言って、そこに買い物に行って、袋にいっぱい買って、その時は車椅子使わないんですよ。(笑)むちゃくちゃ元気で「元気になっちゃったわよ」と言って、またスーツケースがいっぱいになってしまったので、どうして運ぶのと言うと「あなた達、運びなさいよ」と、私たちが運ばされたのですけれど。(笑)半分、下村さんの弟子になっていたという、そういう会議でした。
今日は地域福祉の話ですから、今の健康の話。もう一つは、Common Ground CommunityというNPOのプレジデントのロザンヌハガティさんの話ですが、実はこの人とはニューヨークにいて、6年ぐらい前から知り合って、日本にも来てもらったり、向うに行った時には一緒に議論したりして、その関係で、私がJapan Societyに今回呼んで貰えたのは、ロザンヌハガティさんが紹介してくれたので、一回来てみろということで行ったのです。
タイムズスクエアというのがニューヨークにあります。必ず大晦日の夜にカウントダウンしますよね。タイムズスクエアという所はブロードウェイが南北に走っていまして、そのブロードウェイを軸にしたタイムズスクエア界隈というのは、ブロードウェイのミュージカルの劇場が集積している所で、毎日、世界中からミュージカルを見るために人々が集まる所です。なぜ、タイムズスクエアというのかと言うと、43丁目とタイムズスクエアの交差点のすぐ近くにニューヨークタイムズ社の本社がある。ですから、タイムズスクエアといいます。
ニューヨークタイム社の本社の隣にタイムズスクエアホテルというのがあったのです。このホテルはすごく豪華なホテルで、19世紀の末にできたホテルなのです。1階のロビーなんかは金ぴかの装飾で、お金持ちが世界から集まってきて、そこに滞在してブロードウェイを見る、そういうホテルだったのです。ところが、ホテルが経営破たんしまして、どういう訳か地元のマフィアの手に渡りまして、1970年代から大変な状況になります。まず、そのホテルが廃墟になりまして、そこに誰が住むかといいますと、ホームレスの人たちや麻薬患者の人たち。それから、麻薬をそのホテルの中で売買するのです。恐ろしくて警察官も入れないのです。警察官が入ったら殺されるんです。1970年代から80年代にかけてのタイムズスクエアというのは、人が寄り付けなかったのです。ブロードウェイのミュージカルがあるにも係らず、レストランにお客さんも来なくなった。だんだんその周辺が荒れていくのです。でもニューヨークタイムズの本社があります。下村満子さんは実は、日本人で初めて朝日新聞の記者として、ニューヨークの特派員として、その時期タイムズスクエアにいたのです。だから、その時期のタイムズスクエアのことも良く知っていると言っていました。隣がニューヨークタイムズ社の本社で新聞記者たちが出入りするじゃあないですか。それから、いろんな新聞を配達するための物資を運ぶために人が出入りしますよね。その人たちが、入り口でしょっちゅう刺されるのです。考えられます?それで、たまに死ぬんです。そんな事が日常茶飯事なんです。なぜかと言いますと、刺して、お金を取って、隣のタイムズスクエアに入って行って、ドラッグを買うのです。どういう状況かというと、朝日新聞社が東京の銀座にありますよね。その朝日新聞の本社の隣のホテルが廃墟になって麻薬とホームレスの人たちがいて、しょっちゅう朝日新聞の記者たちが刺されている、こういう状態を考えてくれたらいいのです。そういうことが1970年代から80年代後半にかけてのニューヨークでは起こってきたわけです。90年代に入ってまだその状況は続いていました。私も10年ぐらい前にタイムズスクエアに行った時は凄かったですよ。ポルノショップがいっぱいあって、路上は危ないなと思ったのですが、次の年に行ったら、全部無くなっていました。なぜかというと、当時の市長のジュリアーニという共和党の人ですけれども、ニューヨーク市の検事をやっていて、物凄いやり手で、警察官を倍増して、ドラッグの取引を一斉検挙したのです。町からそういう犯罪者がいなくなったのです。ホームレスでさえ検挙して、高校生でもダブダブのジーンズでへそより下まで垂れ下がっていてチェーンをぶら下げて歩いていると検挙されるのです。そうやって町から犯罪者がいなくなったのです。これで一気にニューヨークは実際犯罪が減りました。あの犯罪者たちはどこに行ったんだと、刑務所に入ったか殺されたかだという噂が流れるくらい、ニューヨークは治安が良くなりました。
1つはジュリアーニ市長の功績があります。実際にニューヨークというのは、アメリカの百万人以上の都市の中の凶悪犯罪がもっとも低い都市になったのです。昔は一番だったのに、今一番安全な町、安全といっても、1日3件くらい殺人は起こりますけれども、それでもアメリカで一番安全な都市になっています。もう1つは、ニューヨーク市やニューヨーク州政府の自治体行政というものが、もう破綻していたのです。財政も破綻していましたが、行政というのは地域のホームレスの問題ですとか、エイズの問題ですとか、非行の問題ですとか、こういった事には、もう手が付けられない。行政までどうしようもない。これをCommunityが引き受けているのです。
さっきのタイムズスクエアホテルなんですが、当時30歳そこそこで、乳飲み子の男の子を一人抱えていたロザンヌハガティさんが、隣のブルックリンというところのNPOで不動産関係の仕事をしてたのですが独立して、このタイムズスクエアホテルをなんとかしたい。なぜそういう事を思ったのかと言うと、この人はカトリックで敬虔なクリスチャンで、社会のために何かしたいという思いがあったのです。この麻薬の取引をしているタイムズスクエアホテルにある日1人で入っていったのです。1人で行くのが怖いからどうしたかというと、赤ん坊を連れて行ったというのです。余計危ないと思うのですが。中に入って行ったら、ホームレスがたむろしているし、地下は水道管が破裂していて水浸しになっているし、ホテルに一歩踏み込むと、足の踝までプラスチックに浸かる。何かと思ったら、麻薬のアンプルの使い捨てがいっぱいに捨ててあって、それが踝が埋まるぐらいにまで床一面にあって、それでいて中の空間をみて、何となく直感として「これは何とかできる」と思ったというのです。考えられない話ですよ。
その時に、NPOを立ち上げて、このホテルを買い取って、改装して、ここに来ているホームレスの人たちを もう一度社会に復帰させるというプログラムの企画書を作って、それを提出したのです。ビジネスがどんどん衰退して行き、不動産価値もどんどん低下して行きましたから、ニューヨーク州政府とニューヨーク市と、それからタイムズスクエアの、もちろんニューヨークタイムズ社をはじめ、ホテル経営者や劇場経営者とか、レストランの経営者たちとかの企業がみんな困ってたんですよ。これをCommunityみんなで再生させようと立ち上げたNPOが、Common Ground Communityです。
それで、補助金が40億円、その辺の額が違いますね。40億円でこのタイムズスクエアホテルを再生させなさい。まず、何をしたかと言いますと、マフィアがここを資金源にしていますから、マフィアが持っているこの物件をどうやって取り上げるかという時に、そこがアメリカと日本の制度の違うところなんでしょうけれども、裁判を起こして、この不動産所有者はここで、こういう犯罪行為をさせていると、ここでこの人が、この不動産を所有する権利は無いと、そんな資格は無いと裁判をして、裁判に勝って、それは司法当局とぐるでやってますから、勝つようにしてるんでしょうね。勝って、まずそれを取り上げて、そのタイムズスクエアホテルを修復します。
ニューヨークのこのCommon Ground Communityの凄いのは、そういうホテルを修復する時に、百年前に出来た凄い豪華なホテルですから、廃墟になっているところを、元の歴史的建造物に復元するんですね。アメリカの法律では歴史的建造物に修復すると、税制を優遇してもらえるのです。それから、ホテルの部屋はちょうど良く、もともと個室になっています。80室ぐらいの単身者ホームレス用のアパートにするんですね。小さなキッチンが付いた、もちろんトイレもバスルームも付いている。1LDKぐらいの凄くいいホテルです。私は4回訪れました。この間も行ったのですが、ニューヨークのタイムズスクエアの相場でいうと、「この部屋を賃貸で借りようと思うと、いくらですか?」と言うと、5000ドル、日本円にして60万円になります。それが、ホームレスの人たちのための住宅になっているのです。それだけではないのです。いつかは自立しなさいということですから、職業訓練もしています。タイムズスクエアで、凄くいい場所ですから、1階に何が入っているかといいますと、ベン・アンド・ジェリーという有名なアメリカのアイスクリーム会社の店舗。それから、スターバックス、それからマクドナルドが入っています。
アメリカの企業は社会奉仕もしないといけないという事で、どうしているかというと、タイムズスクエアホテルで預っているホームレスの人たちに訓練をして、店員として雇うわけです。ですから、やっぱりちょっと仕事が遅いです。注文しても2分ぐらいかかります。僕もアイスクリームのただ券を貰って、買いに行って「このアイスクリーム下さい」と言ったら、店員さん二人いて、どっちの仕事かって喧嘩し出すんですよ。(笑) いきなり背景を知らずに来たお客さんは、怒り出すと思うのですが、それでも育ててやるということで、段々段々トレーニングして行きます。そしたら、中にはそのホテルの管理人も出来るようになるぐらい本当に立ち直る人がいたり、よそでNPOを立ち上げて、そこの事務局長をする人が出てきたりしています。
それから、高齢者のデイサービスセンターをしたり、フィットネスジムなんかも持ってますし、HIVに感染した人たちを支える。だから、凄く大事なのは、住宅が無い人に住宅を供給しましょう。というのが1対1なんです。HIVの人たちを支えましょう、これも1対1です。それから高齢者のデイサービスをしましょう、これも1対1です。職業訓練をしましょう、これも1対1です。縦割りの、行政がしているのは全部そうだったんですけれど、このCommon Ground Communityがやった凄いのは、住宅を供給することと、仕事をすることと、メンタルに回復することと、これが全部セットになっているという事です。それをセットでやる事によって、トータルに人は回復していくという事です。
家賃なんですが、必ず何らかの形で支払います。仕事が出来ない人に関しては、無理にさせませんけれど、仕事が徐々に出来るようになって来ると、年収の30%を家賃にして下さい。だから、年収100万円稼いだ人は30万円を家賃にする。だから月々にしたら2万いくら位ですよね。60万円の家賃に対したらただみたいなもんだけど、1000万円になったら300万円です。そういう風に、自分の働いた分の何十%と決めてやってるんです。
その事に対する批判も出てきました。タイムズスクエアホテルという由緒正しいホテル、しかも超一等地の場所で、ホームレスのための住宅をそういうただみたいな家賃で供給するとはどういう事かという批判が出てきます。現に「ここをホームレスの住宅にするのは勿体ないわねえ」と言う女性研究者がいました。この方は、その後急きょ「私はなんてとんでもない事を言ってしまったんだろう」と訂正していました。でも、素直に考えたらそういう事です。ところが、ハガティーさん曰く、もしこの人たちが犯罪者になって刑務所に入ってたとしたら、しょっちゅうその前までは出たり入ったりしてたんですよね。刑務所に入ったら、どうも一人当たり年間600万円いるというのですよ。それに対してCommon Groundだったら3分の1ぐらいで済んでるという事です。具体的にはわかりませんけれども。だから、これはバーゲンなんだと、連合政府も州政府も市政府も、まったく安上がり福祉をやってるではないかという事を主張するのです。現にそうなのです。本来行政がやっていると、おそらくCommon Ground Communityがやる数倍のお金を投入しないと事業が出来ない。しかも、行政がやると、やったからと言って成果がほとんど出ないのです。即ち、みんなザルのような政策しか出来ない。NPOがやると上手くいく。なぜ、上手くいくかというと、たとえば、Common Ground Communityもそうなんですけれども、ハーレムに半年間毎日通って、2回ぐらい殺されそうになりました。それ以来、根性がつきまして怖いものがなくなったんですけれども、そのハーレムもNPOも同じことをやっていて、住宅を募集したら、応募倍率が2000倍、そのくらい人気があるんです。彼らはどういうことをするかというと、入居者に決められたルールで、もし入居者に暴力をふるうとか、家賃を滞納するとかしたら即刻追い出すと面接の段階で言えるのです。地域のCommunityを担っている人たちがやっているのですから、そこまで自信をもって言える。これを、たとえばニューヨーク市の住宅局の行政官がそういうことを言ったら人権問題で大問題になります。特に、アフリカアメリカ系は政治的にも非常に強いですから、ちょっとでもそういう言葉を言うと大糾弾するわけですね。だけど、地元のCommunityたちが自らのルールで自分たちがそういうルールを作っていますから、キツイ事も平気で言うし、受け入れる側も素直に受け入れる。行政は何をやっているかというと、制度をちゃんと作るというのと、補助金がちゃんとそこに行くような仕組みを作るという、行政の役割はそれだけなんです。それ以外のことは口出しするなと。だから、お金を出して、制度を作ってくれて、口出しはするなと、こういう関係が出来るのが実は成功の秘訣なんですね。なぜ、そうなったかというと、幸か不幸か、アメリカの場合は、70年代80年代にもう地方自治体の行政能力が破綻してしまった事がわかってしまったわけですから、NPOがそういう力を持ったという事です。
それから、このニューヨークとサンフランシスコのワークショップに日本側から、たとえばこういう人が来ていました。エレファントデザインという会社の社長さんで西山さんというのですが、この人はスペイン語と日本語と英語が完璧。日系移民として18歳までコロンビアにいた人なんですが、今何をしているかといいますと、無印良品って皆さんご存知ですよね。たとえば、あそこが作っているいろんな商品を開発した人なんです。たとえば、無地ソファーとかと言って、大ヒットしたそうなんですけれども、非常に安いけれども、いいソファーを作っている。この人のやり方はどういうのかと言いますと、たとえば、共働きの若い夫婦が仕事を終えて、夜8時ぐらいに二人とも家に帰ってきて、お腹が空いていてご飯が食べたいけれど、しかし、もうどっちもやりたくない。その時にロボットがいてくれて冷蔵庫からレトルトを持ってきて、電子レンジでチンして、運んでくれたらどんなにいいだろうというニーズが仮にあったとしたら、このロボットを作ろうとするんです。しかし、1人で作ると何億円もする。これが、1千人、あるいは1万人に達したら、百万円台で出来る。あるいは他の商品でも、1人でやったら百万円になるけど、何人来たら、千円で出来る。この人はそういう商品をデザインして、インターネットを使って、乗りませんかという募集をするわけですよ。それで100%に達したら事業化するんです。ですから絶対に失敗しないんです。その事業で成功したら15%はうちの会社がもらいます。後の儲けは無印良品さんが取ればいいでしょうという事です。70%ぐらいで伸びなかったら、この企画は没にしますという事で、これもまた大ヒットしています。お金儲けのメチャメチャ才能がある人です。その時にも、我々が日本に帰ろうとした時に、自分はテキサスに300億円の商談に行くんだと言っておりました。
それから、アニメーションのプロデューサーの石川さんという人も来ていました。この人は、日本人で初めてカンヌ映画祭のアニメ部門で賞を取った人です。劇場エバーゲリオンをプロデュースしたり、アニメの監督と作品を作ってグランプリを取ったのですが、その後、ハリウッドからタランティーノ監督が自ら、キルビルという女殺し屋の映画のアニメの部分をやってくれないかと事務所に来たのです。今はハリウッドにもオフィスを持っています。
そういった人たちが集まって議論をしてたのですが、もう一つ衝撃的なことがありました。サンフランシスコのワークショップの時に、ゲストとして、子どもたちの教育に携わっているNPOのプレジデントが来ました。47歳の女性です。もと中学校の先生なんですが、教員は辞めて教育関係のNPOを立ち上げたのです。その先生は中国系アメリカ人で、12歳のアフリカ系アメリカ人の少女と2人で来ました。「今から私たち、2種類の会話をやるんでよく聞いて下さい」と言ったのですが、これが衝撃的だったんです。まず最初の会話です。先生の方が「私はチャイニーズアメリカンです」そしたら、12歳の少女が「私はアフリカアメリカンです」、先生が「私はお父さんが事業で大成功して大金持ちです」少女は「うちのお父さんは失業していて非常に貧乏です」、今度は先生が「うちのお父さんは教育を受けていて、私たちは高学歴です。兄弟みんな高学歴です」「私はもう中学校で中退しようと思っています」それで話しは終わってしまいます。次の話しが、先生の方が「私は9人兄弟です」、そしたら少女は「うちは6人兄弟です」と。「私は兄弟を非常に愛しています」「私も愛してる」、先生が「でも、今うちはお姉さんが病気で非常に苦しんでる」そしたら、少女は「うちはお母さんが、今ドラッグのせいで麻薬中毒とうつ病で困っています。だけど何とかしてあげたいです」そしたら「こういうところに行けば、みんな仲良く交流できますよ」と話していました。今の会話は何が違うのかと言うと、まず最初の会話です。「私はチャイニーズアメリカンです」同じアメリカンでも、民族が違います。そしたら「私はアフリカアメリカンです」とワアーと壁が出来てしまいます。「うちは金持ちです」と言うと「うちは貧乏です」また壁が出来てしまうのです。「私は高学歴です」「いや、私は中卒です」壁ができてしまうのですね。後者の方の会話、「私は9人兄弟です」「お宅も多いけど、うちも6人兄弟で多いよ」、「私は兄弟みんな愛してるのに、お姉さんが病気で困ってるのよ」「うちもお母さんが、今病気なのよ」 前者と後者のどこが違うかというと、前者の会話は対立から始まるのです。壁から入る会話。後者の方は共有するものがあるわけですね。兄弟が居ようが居まいが、兄弟に関してどう思うのかという話、家族の中で病気の人がいたら、お互いどうやったら支えられるだろうか、共通の悩みを持つ。つまり、共通の何かを持つということが非常に大事なんですね。
冒頭の話が非常に長くなりましたが、このConnecting Communitiesということで、Communitiesとは何かということを書いたのですが、実は社会学者たちは50年ぐらいこれを議論していますが、Communitiesとは何かという定義はないという結論です。しかし、この時のワークショプで出てきた話しは、Communitiesを定義しました。何かを共有している集団だということです。何かをというのは、たとえば、購買生協ですと、「商品を共同購入する」というものを共有して集まってくる。医療生協でしたら、「病院、診療所を自分たちで経営しましょう」という人たちが集まってくる集団です。学校ですと、この学校で学びたいという人たちが集まってくるということです。そういう風にして、何かを共有する集団であることがCommunitiesです。その何かを共有するというのは、1つだけではなく、おそらく、1人の人が1つだけでなくて、誰かと何かを共有していることは、いっぱいあると思うんですね。それをどう繋ぐかということが非常に大事だということです。
それと、今言った教育NPOの先生の話ではないですけれども、その時に大事なのは、まず、対立とか壁から入って行くのではなくて、まさに共有するべきものは何かから入っていく。ここが、今アメリカのNPOが成功している非常に大事なポイントだということです。