HOME > 活動のご紹介 > 震災支援・防災・減災等 > 東日本大震災被災地支援バス活動報告

東日本大震災被災地支援バス活動報告

第4回
第5回

○第4回


9月5日(木)から8日(日)の日程で、「東日本大震災被災地支援バス第4回」を運行しました。今回は4会員生協から18名の組合員さんが参加されました。今回は女性が多く14名、男性4名の構成で、30歳代~60歳代の夫婦、親子と幅広い年代層から参加いただきました。
9月5日(木)の夜7時に大阪を出発し、翌6日(金)の朝8時45分に、宮城県南三陸町に到着しました。この日も宮城県漁協志津川支所さんを訪ね養殖カキの作業のお手伝いです。午前、午後の作業は、カキの種付け用の原版づくりで、ホタテの貝殻への穴あけと、ワイヤーに貝殻を通す作業です。午前の作業後漁船に乗せていただき志津川湾を周遊しました。カキの養殖の行程を学び、原版作業後の行程、カキの養殖の生育行程などを見せていただき、実物のカキ、ほたて、ホヤを見せていただきました。とてもいい天気でしたので、沖合いまできれいな志津川湾を船の上から一望できました。午後の作業を終え、宮城県漁協志津川支所の事務所で交流会を開催しました。初めて参加したボランティアの方からは、被災地の現状と現地の人の思いを、1人でも多くの人に伝えて行きたいとの思いなど話されました。その後カキ部会の遠藤部会長の案内で南三陸町の市街地をバスで周りました。建物の土台から整理し更地化する町、地盤沈下で海水に浸かっている地域、骨組みだけの姿の防災対策庁舎、街を一望できる丘で震災前の同じ場所からの写真との見比べをして、変わり果てた町を見ているだけでした。
9月7日(土)は、朝8時にホテルを出発し、午後12時すぎに福島県いわき市役所で「原発事故の完全賠償をさせる会」の佐藤さんと合流し、広野町、楢葉町、富岡町を周り、被災の状況や現状についてバスの車窓から視察しました。
広野町に入ると閑静な住宅街、広がる畑、のどかな農家など、普通の街並みが広がっていました。畑、道路のすみずみに大きな黒い袋があり、除染した土、草が1トン入る袋で「トン袋」と言われているようです。このトン袋が畑等の一角に集めて仮置き場として高く積み上げられている光景が何ケ所もありました。
避難指示解除準備区域の楢葉町は原則として寝泊まりが出来ない地域で、住民の方は昼間だけ家の片づけ等で戻ることが出来る地域です。この地域の宝鏡寺を訪ねて、住職の奥さんの早川千枝子さんからお話を聞くことができました。避難していると自宅に泥棒が何度も入り現金、テレビなどをとっていくので、本堂の本尊も避難しているが、お葬式のあげれない等のお骨がありご家族のために本堂を開放しているそうです。
次に、富岡町に入るとショックな光景が目に飛び込んできました。2011年の2年半前のまま止まったままの光景でした。海が広がり、その前に破壊されたままの冨岡駅、駅周辺の街並みが広がっていました。窓のない民家、飛び込んだ自動車、あの日のままで止まった時計、折れ曲がった建物と柱。この光景にみんな唖然と、結構な時間たたずんでいました。
短い期間でしたが、被災地の現状を知り、少しづつ復興している南三陸町と、震災当時のままの姿や2年半放置された町の福島県。同じ、日本で起こっている現実の姿に、今一度被災地に対し私たちが出来ることは何か考える機会となりました。

○第5回


9月26日(木)から29日(日)の日程で、「東日本大震災被災地支援バス第5回」を運行しました。今回は5会員生協から16名の組合員さんが参加されました。女性が10名、男性6名の構成でした。
9月26日(木)の夜7時に大阪を出発し、翌27日(金)の朝8時30分に、宮城県南三陸町の宮城県漁協志津川支所カキ処理場に到着しました。養殖カキの作業のお手伝いで、カキの種付け用の原版づくりを漁協の方達と一緒に行いました。ホタテの貝殻に先のとがった金槌で穴をあけて、ワイヤーに70枚の貝殻を35枚毎で向きを変えて通す作業です。枚数や向きを間違えないように作業をしました。約2時間の作業の後は、漁協の方と交流をしました。震災前の南三陸町の写真パネルを見ながら、震災当時の体験をお聞きしました。午後からはカキ部会の遠藤部会長、行場副部会長の案内で南三陸町の市街地を周りました。更地になってしまったお二人の住居跡、先日解体が決まった防災対策庁舎、大昔の津波被害が地域の名前の由来となっている入谷大舟沢地域、海岸線から約1キロも奥まった高台にありながら被害を受けた特別養護老人ホーム跡地などを案内いただきました。
9月28日(土)は、朝8時にホテルを出発し、4時間かけて福島県いわき市に移動しました。前回企画でもご案内いただいた「原発事故の完全賠償をさせる会」の佐藤三男さんと合流し、いわき市、広野町、楢葉町、富岡町と福島第一原子力発電所から半径30~10㎞圏内の被災の状況や現状について視察しました。
いわき市では久ノ浜町の津波による被害を見て、近くの小学校内にある仮設商店会に立ち寄り、被災当時の写真や画像を見学しお店の方から当時のお話をお聞きしました。楢葉町では東電の復興本部となっているJヴィレッジ跡地を車窓から見学しました。移動途中にバスから見えたあちこちにある放射能汚染物質置場とその膨大な量に唖然としました。福島第二原子力発電所の横を通過し、富岡町に入りました。バスを降りて富岡駅周辺の商店街を歩きました。ほぼ被災当時のままの町の姿にあらためて津波の被害の大きさを実感しました。また岩手や宮城とは違う放射能被害による福島の状況を目の当たりにしました。
今回は絶好の秋晴れでした。朝夕の澄み切った空気、青い空、真っ赤な夕日、壮大な山々、水平線まで見渡せる海、黄金色の稲穂、本当にきれいな東北の風景を見て、なおさらに一日でも早い復興を願わずにはいられませんでした。

○第4回


9月5日(木)から8日(日)の日程で、「東日本大震災被災地支援バス第4回」を運行しました。今回は4会員生協から18名の組合員さんが参加されました。今回は女性が多く14名、男性4名の構成で、30歳代~60歳代の夫婦、親子と幅広い年代層から参加いただきました。
9月5日(木)の夜7時に大阪を出発し、翌6日(金)の朝8時45分に、宮城県南三陸町に到着しました。この日も宮城県漁協志津川支所さんを訪ね養殖カキの作業のお手伝いです。午前、午後の作業は、カキの種付け用の原版づくりで、ホタテの貝殻への穴あけと、ワイヤーに貝殻を通す作業です。午前の作業後漁船に乗せていただき志津川湾を周遊しました。カキの養殖の行程を学び、原版作業後の行程、カキの養殖の生育行程などを見せていただき、実物のカキ、ほたて、ホヤを見せていただきました。とてもいい天気でしたので、沖合いまできれいな志津川湾を船の上から一望できました。午後の作業を終え、宮城県漁協志津川支所の事務所で交流会を開催しました。初めて参加したボランティアの方からは、被災地の現状と現地の人の思いを、1人でも多くの人に伝えて行きたいとの思いなど話されました。その後カキ部会の遠藤部会長の案内で南三陸町の市街地をバスで周りました。建物の土台から整理し更地化する町、地盤沈下で海水に浸かっている地域、骨組みだけの姿の防災対策庁舎、街を一望できる丘で震災前の同じ場所からの写真との見比べをして、変わり果てた町を見ているだけでした。
9月7日(土)は、朝8時にホテルを出発し、午後12時すぎに福島県いわき市役所で「原発事故の完全賠償をさせる会」の佐藤さんと合流し、広野町、楢葉町、富岡町を周り、被災の状況や現状についてバスの車窓から視察しました。
広野町に入ると閑静な住宅街、広がる畑、のどかな農家など、普通の街並みが広がっていました。畑、道路のすみずみに大きな黒い袋があり、除染した土、草が1トン入る袋で「トン袋」と言われているようです。このトン袋が畑等の一角に集めて仮置き場として高く積み上げられている光景が何ケ所もありました。
避難指示解除準備区域の楢葉町は原則として寝泊まりが出来ない地域で、住民の方は昼間だけ家の片づけ等で戻ることが出来る地域です。この地域の宝鏡寺を訪ねて、住職の奥さんの早川千枝子さんからお話を聞くことができました。避難していると自宅に泥棒が何度も入り現金、テレビなどをとっていくので、本堂の本尊も避難しているが、お葬式のあげれない等のお骨がありご家族のために本堂を開放しているそうです。
次に、富岡町に入るとショックな光景が目に飛び込んできました。2011年の2年半前のまま止まったままの光景でした。海が広がり、その前に破壊されたままの冨岡駅、駅周辺の街並みが広がっていました。窓のない民家、飛び込んだ自動車、あの日のままで止まった時計、折れ曲がった建物と柱。この光景にみんな唖然と、結構な時間たたずんでいました。
短い期間でしたが、被災地の現状を知り、少しづつ復興している南三陸町と、震災当時のままの姿や2年半放置された町の福島県。同じ、日本で起こっている現実の姿に、今一度被災地に対し私たちが出来ることは何か考える機会となりました。

○第5回


9月26日(木)から29日(日)の日程で、「東日本大震災被災地支援バス第5回」を運行しました。今回は5会員生協から16名の組合員さんが参加されました。女性が10名、男性6名の構成でした。
9月26日(木)の夜7時に大阪を出発し、翌27日(金)の朝8時30分に、宮城県南三陸町の宮城県漁協志津川支所カキ処理場に到着しました。養殖カキの作業のお手伝いで、カキの種付け用の原版づくりを漁協の方達と一緒に行いました。ホタテの貝殻に先のとがった金槌で穴をあけて、ワイヤーに70枚の貝殻を35枚毎で向きを変えて通す作業です。枚数や向きを間違えないように作業をしました。約2時間の作業の後は、漁協の方と交流をしました。震災前の南三陸町の写真パネルを見ながら、震災当時の体験をお聞きしました。午後からはカキ部会の遠藤部会長、行場副部会長の案内で南三陸町の市街地を周りました。更地になってしまったお二人の住居跡、先日解体が決まった防災対策庁舎、大昔の津波被害が地域の名前の由来となっている入谷大舟沢地域、海岸線から約1キロも奥まった高台にありながら被害を受けた特別養護老人ホーム跡地などを案内いただきました。
9月28日(土)は、朝8時にホテルを出発し、4時間かけて福島県いわき市に移動しました。前回企画でもご案内いただいた「原発事故の完全賠償をさせる会」の佐藤三男さんと合流し、いわき市、広野町、楢葉町、富岡町と福島第一原子力発電所から半径30~10㎞圏内の被災の状況や現状について視察しました。
いわき市では久ノ浜町の津波による被害を見て、近くの小学校内にある仮設商店会に立ち寄り、被災当時の写真や画像を見学しお店の方から当時のお話をお聞きしました。楢葉町では東電の復興本部となっているJヴィレッジ跡地を車窓から見学しました。移動途中にバスから見えたあちこちにある放射能汚染物質置場とその膨大な量に唖然としました。福島第二原子力発電所の横を通過し、富岡町に入りました。バスを降りて富岡駅周辺の商店街を歩きました。ほぼ被災当時のままの町の姿にあらためて津波の被害の大きさを実感しました。また岩手や宮城とは違う放射能被害による福島の状況を目の当たりにしました。
今回は絶好の秋晴れでした。朝夕の澄み切った空気、青い空、真っ赤な夕日、壮大な山々、水平線まで見渡せる海、黄金色の稲穂、本当にきれいな東北の風景を見て、なおさらに一日でも早い復興を願わずにはいられませんでした。
第4回
第5回