Ⅰ.公的年金制度に期待される機能 Ⅱ 日本の公的年金制度の仕組みと現状 Ⅲ 日本の公的年金制度の問題点
Ⅳ 基礎年金・公費負担方式化が世論の動向 Ⅴ 公的年金制度のゆくえ
[講師] 佛教大学 社会福祉学部
教授 里見 賢治 氏
■日時:2008年7月30日(水)
■場所:大阪府社会福祉会館5階第1会議室
『基礎年金・公費負担方式の提案―皆保障体制をめざして』
おはようございます。
今、津村会長からお話がありましたように、年金制度が最近非常に注目をされています。
私は1960年代に大学生だったのですが、その頃は国民年金がすでに始まっていました。私は、その頃は社会保障論はやっていませんでした。学部は経済学部にいましたが、国民年金制度があるということすらその当時は知りませんでした。ですから、その頃の学生は任意加入で、加入してもいいし、しなくてもいいということになっていましたので、学生の年金加入率というのは0.1%、1,000人に1人入っていればいいかというくらいのものでした。私の女房に聞きますと、私の女房は入っていたというのです。女房の実家が自営業でしたので、そのせいだろうと思うのです。女房のお母さんが保険料を払ってくれていたと言うので、びっくり仰天したというようなそんな時代だったのです。
それから比べると最近あんまりいい意味で注目されているとは言えないのですが、年金制度について関心が高まってきたということ自体はいいことだろうと思います。特にこの1年ぐらいを振り返ってみますと、基礎年金制度を今後どうして行くかということについて、明らかに大きな動きが生まれつつあります。そこで私もこの機会を捉えないとなかなか制度というものは動かないということもあって、基礎年金制度をどう改革するかということについて半年ほどこの仕事に集中しております。それで、その間書いた論文等を4ページの下のところに〈参考文献〉という形で挙げさせていただいておりますが、少しマイナーな雑誌ですので、なかなか皆さん方のお目に触れることは少ないかと思います。1番上は、私が去年書いた本で、年金制度も含めて社会保障全般を書いているのですが、2、3、4、5、6というのがこの間集中的に書いてきている論文でして、この秋には7番目に書いていますように、年金について本(拙著『希望の新年金宣言 ― 基礎年金を公費負担方式に』(仮題、山吹書店)を出そうということで、その原稿に追われているというところであるわけです。
Ⅰ 公的年金制度に期待される機能
① ナショナル・ミニマムの普遍的保障
最初に戻っていただきまして、「基礎年金・公費負担方式の提案」ということで少しお話をさせていただきます。
最初に「年金制度」を考えます場合に、公的年金制度というのに人々はどういうことを期待しているか。あるいは、われわれは公的年金制度というのはどういうものでなければならないと考えているかというお話を簡単にしておきたいと思うのです。
1つは、公的年金制度という場合は、現代ではそこに書いておきましたように、ナショナル・ミニマムを普遍的に保障してくれるということを期待されていると思います。年金とはご承知のとおり老齢・障害・遺族の3つのケースで出るのですが、その場合に例えばどの程度の水準である必要があるかと言うと、すぐにわかるように歳をとった、障害を負った、一家の働き手が亡くなったという場合に、それ以後の生活の基本的な部分を支えてくれる。これをナショナル・ミニマムというふうにそこには書いているのですが、ナショナル・ミニマムとはご承知の通り日本国憲法第25条です。日本国憲法とは9条の関係で非常に注目されていますが、私たちは社会保障をやっていますと25条というのも非常に大事なわけです。その第1項で「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とこういうふうに言っているわけですね。これは社会保障の場合にひとつのベースになります。ここで言っているナショナル・ミニマムというのは、文字通り具体的に日本国憲法第25条がそれに当たります。つまり健康で文化的な最低限度の生活ということですね。そうすると、健康で文化的な最低限度の生活がせめて出来る程度の年金給付水準を確保する。具体的にいうと、日本では健康で文化的な最低限度の生活というのはどの程度だというのを示しているのは生活保護基準しかないわけです。従って、あの生活保護基準で大丈夫かという問題はありますが、とりあえず生活保護基準を下回らない程度の水準を公的年金として保障する必要があるだろうということです。
もう1つは、普遍的というふうに書いていますが、普遍的というのは全ての人に保障するという意味です。ですから、例えば健康で文化的な最低限度の生活をして、そんなに贅沢な水準を要求するというのではなくて、生活保護基準、生活扶助基準程度を要求するとすると、これをどの程度に取るかというのはいろいろ論者によって違いますが、取りあえず私は8万程度というふうにおさえているわけです。8万円程度をすべての人に保障するということがまず期待されているわけです。そうでなければ年金制度というのは意味を失くします。
私たちはもし公的年金制度というものがなければ、現役の時代の間に老後に備えて延々と貯蓄をする必要があるわけですね。我々がリタイアした以後にどの程度の資金が必要かと考えてみますと、例えば夫婦世帯の生活保護基準で考えますと、大体月額14万円くらいです。14万では計算がややこしいので少し多めに15万と考えますと、年額180万ですよね。60歳でリタイアした人が平均的にどの程度生きるかという平均余命というのがありますが、これを見ますと60歳まで生きた男というのは平均的には23年と言われています。女の場合は、60歳時点であと何年生きるかということになりますと28年ないし29年と言われています。そうしますと、まず夫婦を平均して25年程度生きるというふうに抑えますと、年180万で25年ということは4500万円になります。生活保護基準程度の生活をするためだけでも、リタイアして以降4500万円の貯蓄がなければ安心して老後を暮らすことが出来ないというのが現実です。そうすると、公的年金制度がもしなければ、我々はリタイアする時点で夫婦が生活扶助基準程度の健康で文化的な最低生活を営むためには4500万の貯蓄を持っていなければ、とてもじゃないけれど安心していられないということになるわけです。公的年金制度はそれを代替するものです。つまり、我々が現役時代に爪に火を灯すようにして、子供たちも大学まで行きたいと言っても高校ぐらいで止めとけと学費も出さないで、けちけちとやってやっと貯めたとして4500万……すべての人が貯められるかというと、これはもう無理ですね。従って、公的年金制度というのはそれを保障しようというものです。ただし、4500万をドンとくれるのではなくて、毎月年金という形で保障しようという制度です。その事によって我々は爪に火を灯すような不安定な生活を日々強いられるのではなくて、ある程度安心して安定した生活の下でそれぞれが努力をするということが可能になるわけです。ですから、そういう機能が期待されているということです。
② 従来所得比例保障
今は基礎年金について何が期待されるかということをお話したわけですが、年金制度というのは基礎年金だけではなくて、その上に所得比例年金というのがありますね。現行制度で言いますと、民間の事業所に勤めている人については厚生年金、公務員それから私学の教職員については共済年金とこういうことになっているわけですね。こういう所得比例年金については何が期待されているかと言いますと、②に書いてありますように従来所得比例保障といいますが、現役時代の所得に比例して保障する。だから現役時代所得が高かった人は高い年金をもらう。低かった人は低い年金で我慢するというような制度ですね。ですから基礎年金の上にそういうものが積み上げられているということで、こういう2つの機能が期待されている。1番重要なのは、私は①の方だと思っているのですが、こういうことを現代の年金制度として実現出来ているかということが一番大きな問題だろうと思います。
Ⅰ.公的年金制度に期待される機能 Ⅱ 日本の公的年金制度の仕組みと現状 Ⅲ 日本の公的年金制度の問題点
Ⅳ 基礎年金・公費負担方式化が世論の動向 Ⅴ 公的年金制度のゆくえ
[講師] 佛教大学 社会福祉学部
教授 里見 賢治 氏
■日時:2008年7月30日(水)
■場所:大阪府社会福祉会館5階第1会議室
『基礎年金・公費負担方式の提案―皆保障体制をめざして』
おはようございます。
今、津村会長からお話がありましたように、年金制度が最近非常に注目をされています。
私は1960年代に大学生だったのですが、その頃は国民年金がすでに始まっていました。私は、その頃は社会保障論はやっていませんでした。学部は経済学部にいましたが、国民年金制度があるということすらその当時は知りませんでした。ですから、その頃の学生は任意加入で、加入してもいいし、しなくてもいいということになっていましたので、学生の年金加入率というのは0.1%、1,000人に1人入っていればいいかというくらいのものでした。私の女房に聞きますと、私の女房は入っていたというのです。女房の実家が自営業でしたので、そのせいだろうと思うのです。女房のお母さんが保険料を払ってくれていたと言うので、びっくり仰天したというようなそんな時代だったのです。
それから比べると最近あんまりいい意味で注目されているとは言えないのですが、年金制度について関心が高まってきたということ自体はいいことだろうと思います。特にこの1年ぐらいを振り返ってみますと、基礎年金制度を今後どうして行くかということについて、明らかに大きな動きが生まれつつあります。そこで私もこの機会を捉えないとなかなか制度というものは動かないということもあって、基礎年金制度をどう改革するかということについて半年ほどこの仕事に集中しております。それで、その間書いた論文等を4ページの下のところに〈参考文献〉という形で挙げさせていただいておりますが、少しマイナーな雑誌ですので、なかなか皆さん方のお目に触れることは少ないかと思います。1番上は、私が去年書いた本で、年金制度も含めて社会保障全般を書いているのですが、2、3、4、5、6というのがこの間集中的に書いてきている論文でして、この秋には7番目に書いていますように、年金について本(拙著『希望の新年金宣言 ― 基礎年金を公費負担方式に』(仮題、山吹書店)を出そうということで、その原稿に追われているというところであるわけです。
Ⅰ 公的年金制度に期待される機能
① ナショナル・ミニマムの普遍的保障
最初に戻っていただきまして、「基礎年金・公費負担方式の提案」ということで少しお話をさせていただきます。
最初に「年金制度」を考えます場合に、公的年金制度というのに人々はどういうことを期待しているか。あるいは、われわれは公的年金制度というのはどういうものでなければならないと考えているかというお話を簡単にしておきたいと思うのです。
1つは、公的年金制度という場合は、現代ではそこに書いておきましたように、ナショナル・ミニマムを普遍的に保障してくれるということを期待されていると思います。年金とはご承知のとおり老齢・障害・遺族の3つのケースで出るのですが、その場合に例えばどの程度の水準である必要があるかと言うと、すぐにわかるように歳をとった、障害を負った、一家の働き手が亡くなったという場合に、それ以後の生活の基本的な部分を支えてくれる。これをナショナル・ミニマムというふうにそこには書いているのですが、ナショナル・ミニマムとはご承知の通り日本国憲法第25条です。日本国憲法とは9条の関係で非常に注目されていますが、私たちは社会保障をやっていますと25条というのも非常に大事なわけです。その第1項で「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とこういうふうに言っているわけですね。これは社会保障の場合にひとつのベースになります。ここで言っているナショナル・ミニマムというのは、文字通り具体的に日本国憲法第25条がそれに当たります。つまり健康で文化的な最低限度の生活ということですね。そうすると、健康で文化的な最低限度の生活がせめて出来る程度の年金給付水準を確保する。具体的にいうと、日本では健康で文化的な最低限度の生活というのはどの程度だというのを示しているのは生活保護基準しかないわけです。従って、あの生活保護基準で大丈夫かという問題はありますが、とりあえず生活保護基準を下回らない程度の水準を公的年金として保障する必要があるだろうということです。
もう1つは、普遍的というふうに書いていますが、普遍的というのは全ての人に保障するという意味です。ですから、例えば健康で文化的な最低限度の生活をして、そんなに贅沢な水準を要求するというのではなくて、生活保護基準、生活扶助基準程度を要求するとすると、これをどの程度に取るかというのはいろいろ論者によって違いますが、取りあえず私は8万程度というふうにおさえているわけです。8万円程度をすべての人に保障するということがまず期待されているわけです。そうでなければ年金制度というのは意味を失くします。
私たちはもし公的年金制度というものがなければ、現役の時代の間に老後に備えて延々と貯蓄をする必要があるわけですね。我々がリタイアした以後にどの程度の資金が必要かと考えてみますと、例えば夫婦世帯の生活保護基準で考えますと、大体月額14万円くらいです。14万では計算がややこしいので少し多めに15万と考えますと、年額180万ですよね。60歳でリタイアした人が平均的にどの程度生きるかという平均余命というのがありますが、これを見ますと60歳まで生きた男というのは平均的には23年と言われています。女の場合は、60歳時点であと何年生きるかということになりますと28年ないし29年と言われています。そうしますと、まず夫婦を平均して25年程度生きるというふうに抑えますと、年180万で25年ということは4500万円になります。生活保護基準程度の生活をするためだけでも、リタイアして以降4500万円の貯蓄がなければ安心して老後を暮らすことが出来ないというのが現実です。そうすると、公的年金制度がもしなければ、我々はリタイアする時点で夫婦が生活扶助基準程度の健康で文化的な最低生活を営むためには4500万の貯蓄を持っていなければ、とてもじゃないけれど安心していられないということになるわけです。公的年金制度はそれを代替するものです。つまり、我々が現役時代に爪に火を灯すようにして、子供たちも大学まで行きたいと言っても高校ぐらいで止めとけと学費も出さないで、けちけちとやってやっと貯めたとして4500万……すべての人が貯められるかというと、これはもう無理ですね。従って、公的年金制度というのはそれを保障しようというものです。ただし、4500万をドンとくれるのではなくて、毎月年金という形で保障しようという制度です。その事によって我々は爪に火を灯すような不安定な生活を日々強いられるのではなくて、ある程度安心して安定した生活の下でそれぞれが努力をするということが可能になるわけです。ですから、そういう機能が期待されているということです。
② 従来所得比例保障
今は基礎年金について何が期待されるかということをお話したわけですが、年金制度というのは基礎年金だけではなくて、その上に所得比例年金というのがありますね。現行制度で言いますと、民間の事業所に勤めている人については厚生年金、公務員それから私学の教職員については共済年金とこういうことになっているわけですね。こういう所得比例年金については何が期待されているかと言いますと、②に書いてありますように従来所得比例保障といいますが、現役時代の所得に比例して保障する。だから現役時代所得が高かった人は高い年金をもらう。低かった人は低い年金で我慢するというような制度ですね。ですから基礎年金の上にそういうものが積み上げられているということで、こういう2つの機能が期待されている。1番重要なのは、私は①の方だと思っているのですが、こういうことを現代の年金制度として実現出来ているかということが一番大きな問題だろうと思います。
[講師]佛教大学 里見賢治教授