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[講演録]大阪府生協大会「感じる食育、楽しい食育」

[講師]フード・コンサルタント
    食の探偵団・団長
    サカイ優佳子 氏
 平成19年度 大阪府消費生活協同組合大会
 記念講演 感じる食育 楽しい食育~新しい食育の視点~

●食育って何?

みなさま、こんにちは。今ご紹介いただきましたフードコンサルタントのサカイと申します。今日は、感じる食育・楽しい食育と題して、お話をさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
食育と言った時よく言われるのは、「食育って昔から家で行われてきたのではないか」ということです。それがちゃんとできていないのは困るというわけです。特に少し年上の方々からすると、今の時代のお母さんたちが悪いというような方向に話が集約してしまうことが少なくありません。昔から家庭で行われていた食育というのは、例えば季節ごとのおかずがちゃんと食卓にのぼるとか、伝統的な家庭料理が継承されるとか、あるいは食卓でのマナーについて知らず知らずのうちに身に付いているとかといったことだと思います。そうした大切なことが家庭の中でうまく行われていないといわれているのです。
確かにそれは食育の大切な柱のひとつですが、今の時代に於いては、家庭の中で今まで行われてきた食育だけでなく、実は食育という範囲はもっと広くて、もっとたくさんのことを考えていかなくてはいけなくなっているのではないか?そんなふうに私は思っています。
今日はまず「食育って何なんだろう?」と私なりに考えてみたことをお話させていただきたいと思っています。
食育とは何だろう、ですが、先ほどご紹介いただいた中にもありましたように、私は2002年に「食の探偵団」というワークショップを立ち上げました。住んでいる横浜で、1年生から6年生までを男女混合で集めて、小学生を対象にしたワークショップとして始めたのです。
その後、横浜市の施設で声をかけていただいて3回連続の講座を行なうことになりました。施設の館長さんは講座中一度もお顔をみせてくださいませんでした。ところが最後の日、講座が終わったあとで私に声をかけていらしたんです。70代ぐらいの方だと思うのですが、「実は、僕は食育というものに反対だ。自分は戦後の食糧難を経験しているのだが、食育というのは、これを食べちゃあだめ、こんなものを食べた方がいいと、そういうことを教えているんだろう。そんなものは贅沢だ。そんなことを子供たちに教えて何になるんだ。」と私に向かっておっしゃいました。実際には、私のワークショップでは、何を食べてはいけないとか何を食べたらいいとか一言も言いません。ただ一般の方が持っている食育のイメージとはそういう感じなのかなと、その時思ったのです。私もまだワークショップを始めて間もなかったこともあって、自分の考えがきちっとまとまっていませんでした。その方にそういうふうに批判された時に、そのままそれを飲み込んで家に帰ってしまったのです。

●私たちは何をすればいいの?

■食育という言葉は100年前にすでにあった
それからしばらく、私が食育をすすめる意味って何なんだろうと考えました。そのことをこれからお話したいのですが、やはりその方の言葉を私は真摯に受け止めなければいけないなと思いました。何を食べるかとか、何を食べてはいけないとか、そういうことを議論できる私たちは、やはり恵まれた立場にいます。そのことを忘れてはいけないなと思いました。
皆さんもご存じの通り2005年の7月に食育基本法という法律ができました。この中では食育の定義として、「食の知識と食を選択する力を習得し、健全な食生活を実践できる人間を育てるもの」とあるのです。お読みになった方もいらっしゃると思うのですが、それを読んで、具体的に何をしたらよいのかを皆さんがイメージできるかというと、なかなか難しいところがあると思うのです。食育という言葉は、実は1903年、もう100年以上も前にベストセラーになった小説の中で使われていました。神奈川県の平塚市に住んでいた村井弦斎さんが書いた「食道楽」というレシピ付きの小説が当時ベストセラーになったそうです。春・夏・秋・冬とありまして、その内の秋の巻の中で食育ということに触れています。食育というのは、知育や体育よりも大事だと、そういったようなことが書かれています。そのまわりを読んでいきますと、村井さんが考えている食育というのは、自分の体の為に、自分が健康に生きていく為にどんな物を食べたらいいのか、ある意味栄養学的なこと、それがこの本の中では食育として捉えられていることがわかります。

■食を巡る状況は、100年前と今とではちがうところがいっぱい
100年前と今とでは、いろいろなことが変わってきています。食を巡る状況の変化ということで言いますと、例えば家族のありかた。私の娘も中学受験を経験しましたけれども、塾に夜遅くまで通って、例えば夜ご飯を週に3回ぐらい塾で済ませるという小学生のお子さんも、周りに珍しくありません。お父さんが仕事で遅いというだけではなくて、お母さんもフルタイムで働いているお宅もありますし、朝ご飯を食べる時間もそれぞれバラバラというお宅もあります。だんだん食卓で顔を合わせる時間は少なくなります。夜ご飯を家族みんなで食べたいと思っても、お父さんが毎晩11時過ぎに帰って来るので、どうやって子供たちと一緒に食べられるっていうんだ、そういった思いを持ってらっしゃる方がこの中にもきっといらっしゃると思います。そのように、家族のあり方というのは変わってきています。
次に、社会のしくみということを考えてみます。例えば私が子供の頃には、8時にもなればお店はみんな閉まってしまいました。夜になってお腹が空いたなといっても、お家に何かがあって、それを作って食べるということをしなければいけなかったのに、今だと、マンションの下のコンビニに行って何か買って来ようかなというだけで、夜食が食べられてしまうわけです。例えば中学生・高校生になると学校帰りにお腹が空いたら、お小遣いさえあれば好きな物を買って食べられますし、お父さんお母さんにしても、お店にいけば美味しいお惣菜が揃っていますから、今日は面倒くさいからとなれば、買ってきたものを食べることもできます。日本は今、手軽に世界中の美味が手に入る、そういう社会になっています。私の母の世代ですと、今日は疲れたから外食にしたいなと思ってもお姑さんの目も気になるし、なかなかそういうことはできなかったと思うのです。いい悪いはあると思うのですが、今の時代にあっては疲れたから、面倒だからと外食や中食にすることに対する罪悪感は、とても希薄になってきているのではないかと思うのです。また、外食グルメは、勿論楽しいことですが、今の日本ではそれが必要以上に強調されているようにも思えるのです。それから、例えば先ほど会長のお話の中にもありましたが、「赤福」、「白い恋人」、「ミートホープ」の話ですとか、溯れば雪印さんですとか、問題になりました。食品会社が大きくなるにつれて、人が食べるものを作っているんだという意識が薄弱になっている中で、食品会社全体のモラルの低さというのも今かなり取り沙汰されて来ていますし、注目を集めています。
3つめの「溢れる食情報」というところに話を進めさせていただきます。例えば棒寒天を食べると痩せるらしいという話が、去年テレビで盛んに言われていました。食の探偵団のワークショップで棒寒天を使おうと思って、お店に行きましたらどこに行っても無いんですね。みなさんもたぶんご経験なさっていると思うのですが、テレビで「何々が体にいい」とか「これを食べると体に効く」とか言うと、あっという間にスーパーの棚からその食べ物が姿を消すというのは、最近では普通のこととされています。テレビ放映があるということになると、関係の業者さんは前の日からお店に余分に入れる為に準備をしているという話も聞くぐらいです。それで、100年前はどうだったかというと、グルメ情報ですとか栄養情報といったようなものが、少なくともこれ程までに広く伝わるということは無かったと思うのです。
私の名前は片仮名で「サカイ」というのですが、これが本名です。夫が日系のアメリカ人なので、片仮名のサカイというわけです。そんなこともございまして、外国人のお友達が家にくることがとても多いのです。特に日本に長くいる外国人の方々は、日本のテレビも見ています。様々な国の方がおっしゃるには、「日本のテレビ番組には食べ物の情報が多い」とのことなのです。今は100年前と、ということで歴史的に見て話をしているのですが、実は地理的に見ても、日本のテレビ・雑誌その他に於ける食の情報量の多さは際立っているといわれています。これはマスコミ論を研究していらっしゃる大学の先生のデータでも出ています。もちろん悪い面ばかりではありませんが、今の日本における食情報の量の多さは、歴史的にも、地理的も、特異なことと考えられます。

■食べるっていうことにはいろいろな意味がある
さて、食育は、食の教育とか、食を育むとか言いかえられますけれども、食べるということの意味がどのように変わったか、変わらないかということについて、もう少し触れないと食育とは何かというのは分からないと思いますので、このように3つに分けてみました。
1つ目は、生理的・物理的な意味の食べるということ。ちゃんと食べ物を食べないと生きていけないとか、ある程度のバランスをもって食べていかないと健康でいられないというのは、100年前と変わっていないことです。
2つ目、情緒的というところで言いますと、「みなさんコショクという言葉を耳にしたことがある方いらっしゃいますか?」たくさんの方の手が上がっています。ありがとうございます。「コショク」の中でも、特に2つの「コショク」が大きく問題にされています。個人の個と書いて「個食」。それから孤独の孤と書いて「孤食」、2つが特に注目されています。私もこういった食育の仕事をしていますと、学校の栄養士の先生方とお話をする機会が多いのです。そうした方々が、10年以上前から学校の現場で問題になっている事の1つに、「共食観」、共に食べると書いて共食観、この共食観がない子たちがすごく増えているんだとおっしゃるんです。この共食観ってどんなことかと言うと、一緒に食べると美味しいとか、人と一緒に食卓を囲むと楽しいという気持ちで、そういう気持ちを持てないお子さんが年々増えているというふうにおっしゃるんです。先ほど言いました塾通いで夜遅くて、週に3回も外でお弁当を食べている。塾のお友達と食べているとは思いますが、家族で食卓を囲むことはその分少なくなっています。
先ほど個人の個とかいて個食というお話をさせていただきましたが、これは私の中の想定としては、例えば「おばあちゃまが季節の食べ物を作ってくれるんだけれども、茶色っぽい煮物ばかりで、子供たちがあんまりそういうものを好かないから、しかたがない、子供にだけはスパゲティーを茹でてあげるか」といったような状況だと思っていました。少し前に小学生男女8人の少人数の1週間空けて2回ワークショップを行ないました。それで、「来週までに、1週間のうちに食べたお味噌汁の具を書いてきてください」とお願いしたんです。そうしたら、その内の1人の男の子から「はい!」と手が上がりまして、「団長、お父さんが食べた味噌汁とお母さんのと、僕のと違ったらどうしたらいいですか?」というのです(会場笑)。笑いが出たということは、みなさんどういう状況かだいたいお分かりだと思うのですが、今はお湯さえ沸しておけば、私はあさり、私はほうれん草、私はわかめということができてしまうわけですよね。さらに言えば、今晩パスタにしようと言った時に、大鍋でお湯を沸かしてパスタを茹でておけば、私はボンゴレ、私はミートソースができてしまう。これは、立派な個食ですよね。そういうことが普通にできてしまう社会になっているのです。
これからお話することの方がもっと深刻です。孤独の孤と書いて孤食。私がこの仕事を初めてすぐくらいに、東京都の板橋区という所の小学校で栄養士をされている方とお話をしていた時のことです。初めてそういった事例を耳にしたものですから、今でも本当に忘れられません。彼女が私と会う前の日に、小学校4年生のある女のお子さんに元気がないことに気づいたのだそうです。それでいろいろ話を聞いていたら、夕食の話になったそうなんです。そのお宅ではお父さんがどうされているのか私もまた聞きで分からないのですが、お母さんはお仕事でもないのに、毎日家を留守にしているというのです。女の子が家に帰ると500円が置いてあって、その500円でその子は1人で夜ご飯を食べている。まだ4年生なので、たいしたものは作れないので基本的にはコンビニなどで買ってきて食べている。栄養士さんが聞いた話では、それがほぼ毎日だそうなんです。プライバシーの問題もあるので、「お母さんは一体何をやっているんですか?」と本人に尋ねるわけにもいかないし、そこまで立ち入ることができない。じゃあどうしようと思った時に、その子に500円の中でどんなふうに食べていったらいいのか、どうやったら栄養バランスが整って自分の体を作っていけるのか、どんなお店で買ったらいいのかといった話をするしかなかったとおっしゃるのです。
実は北欧の食育というのは、こういうパターンです。離婚も多いですし、共働きの率も高いので、3歳、4歳といった小さい子供のうちから、最低限これだけは食べないといけない、これは食べ過ぎてはいけないといった栄養の知識を身につけさせる。それから調理の知識、技術を身につけさせるというのが北欧の食育のメインになっています。
日本でもこうした食育が必要になってきているのではないかと思ってしまった事例です。板橋区というのは東京の中でも下町なんですね。ですから、ご両親とも実は商売をしてらっしゃるとか、そういうこともあってなのかなあと考えたり、やはり都会の場合はいろいろあるなあとも思ったりもしていました。ですが、その後、地方をいろいろ歩いている内に、例えば福島の山の奥に伺った時もそんな話を伺いましたし、新潟の田園地帯でも学校の先生から似たようなお話を伺ったんです。そういうことを考えると日本全国で、孤食というのも、実は私たちが思っている以上に多くなっているのではないかと、そういう思いを持ちました。
私たち以上の世代ですと、例えば接待で飲みに行った時に何か旨いものでも食わせれば、その後の商談がスムーズにいくかなと考えるとか、同じ釜の飯を食べるという言葉もあるくらい、食がコミュニケーションを育む手段だということが、言葉にしなくてもわかっていたと思うんです。ところが今は「食はコミュニケーションを育むものでもあるんですよ」という話をしないといけない時代になってしまったのかなと、そんな思いも私の中にはあります。
次の3つ目に行きます。社会的な意味での食べるについて例をあげてみます。私が朝ごはんに焼き鮭を食べたとします。そうすると、その鮭はチリから来ているかもしれないし、アラスカから来ているかもしれないし、ノルウェーから来ているかもしれないわけですよね。チリからの鮭ってみなさん召し上がったことがありますよね。この間みつけたデータですが、チリが輸出している鮭の90%以上が日本向けなんだそうです。凄いですよね。日本人が鮭を食べなくなってしまったら、チリの鮭業者さんのほとんどが失業してしまうわけです。
例えば私たちがエビを食べる。そのエビはインドネシアから来ているかもしれないし、フィリピンから来ているかもしれない。仮に、そういった国々に行ったことがあっても、じゃあエビの養殖をしているところを見たことがあるかとかというと、ほとんどの日本人がないと思うのです。たぶん100年前だと、もっと近くて小さな経済圏の中で私たちの食というのは終始していたと思うのです。あの辺りの港で上がったお魚を食べているとか、あの辺のお米を食べているとかが分かる状態だった。その漁師さんの顔が見えないまでも、なんとなく「あの辺の」という所までは分かっていたと思うのですが、今はそれが見えにくくなっていると思うのです。
そんな状況中で、今の時代だからこそ必要とされる視点ということで、2つ挙げてみました。食育ということを考える時に、今までにももちろん、例えば家庭科の時間など、様々な機会に、子供だけでなくて大人にも、栄養のバランスをちゃんと取りましょうという栄養教育ですとか、あるいは調理がちゃんとできないといけないねということで、―最近はもうそろそろ定年退職される年代の男性向けの料理教室もできているくらいですが―、調理の技術を身につけるということは、行なわれてきている食育です。
それから、例えば農業体験しよう、水産の現場を見てみようといったような体験。生協さんでもツアーを組んでやってらっしゃるところが沢山あると思うのですが、そういった体験型の食育もあります。あるいは最近ですと、食の安心・安全にかかわる講座。そういった食育も多く行なわれるようになりました。それもすべて大事なことなんですが、でもその中に視点としてこういったことがあるともっといいだろうなと思うことがこの2つなんです。

■今だからこその食育って?
1.食を楽しむ
まずは、食を楽しむ姿勢を養う。それから2つ目は食卓以前と以後に目を向ける。すでになされているところもあると思うのですが、今後さらに強調して行ければなと考えています。
それで、1番目の食を楽しむ姿勢を養う食育についてです。息子が小学校4年生なんですが、彼が幼稚園の時のことです。ポケモンってみなさんご存じですよね。その頃息子はポケモンがすごく好きで、ポケモンの名前を読みたいがために片仮名をあっという間に憶えてしまったんです。ポケモンの名前はみんな片仮名なんです。それで平仮名は読めないのに片仮名を先に憶えてしまったんです。ところが、小学校に上がってみましたら、漢字のポケモンがいないものですから、今漢字テストは手こずっています。やはり好きっていうのは大事ですよね。
例えばプロ野球が好きなお父さんですと、自分が好きな球団だと10年も前の試合を事細かにしゃべれる方っていらっしゃいますよね。それも一生懸命勉強したからではなくて、好きだから自然に頭に入って来てしまう、そういうものだと思うのです。私も食いしん坊なので、食べ物の名前だけはよく入るんです。食を楽しむ姿勢を養うためには、食に興味や関心を持てるように、そのきっかけを作るということが大事です。栄養学が専門のどんなに偉い先生がいらして、どんなに素晴らしい授業をなさっても、食に全然興味が無いとしたら、その授業を受けたところで何も入ってこないと思うのです。右から左に抜けて行ってしまう。でも、例えば病気を抱えている時に、その病気にはこれを食べるといいといったことを教えてくれる講演会に行ったとします。そうしたら、きっと逐一メモして全部覚えて帰ろうとすると思うのです。興味関心の強さが、成果に大きな影響を与えると思うのです。ということで、食を楽しむ姿勢を養うということを1番目に挙げています。
食卓の以前と以後に目を向けるということについては後ほどお話させていただきます。その前に食育への入り口を増やそうということで、少しお話をさせていただきますと、学校の授業の中でも言えることなんですが、真正面から真面目に説明をされても「……ん?」と思っていたのが、全然違う方向からアプローチした時に、同じことが急に面白く感じられることってあると思うんです。例えば英語の勉強をしている時に、文法は面白くないなと思っていても、お隣に外国の方が越してきて、その方が英語を話すとなると、一生懸命話そうとしますよね。それから、好きなハリウッドの俳優さんがいて、その俳優さんの映画を見て、そのセリフをそのまま聞き取れるようになりたいと思ったら、一生懸命やりますよね。例えば、それは入口が映画だったり隣の人だったりということがあると思うのですが、自分の好きな話題だったら、同じに英語を勉強してもすごく入ってくることがあると思うんです。
ところで、今朝の朝日新聞の朝刊だったか昨日の夕刊だったか忘れてしまったんですけれども、学校の総合学習の時間がゆとり教育の見直しからだんだん短くされようとしているとありました。総合学習の時間すべてとは言わないのですが、これを食育に充てていた学校もずいぶんあったと思うんです。栄養士さんや学校の食育の担当者の方から「総合学習の時間がなくなってしまったら食育もしぼんでしまうのかなあ」というようなご相談を受けることがあります。食育を独立させて時間がとれないのなら、他の教科とのチームティーチングをやったらどうですかとお話しています。私も、学校での食育を想定して、授業案をお出ししたりもしているのです。
例えば「ゆで卵の体積を測るのはどうやったらいいかな」って、すぐ思い浮かびますか?体積を測るという勉強が学校であるとすると、「ゆで卵の体積ってどうやって測るのだろう?」という授業は興味をひくと思います。お水をビーカーの中に入れておいて、外にお水を受ける入れ物を置いておきます。ビーカーの中にゆで卵を入れてやれば、溢れた水の分だけがその体積になるからそれを計ることでできますよね。今世界中で食べられている寿司を使いまして、「魚はどこから輸入されているのだろうか」といった社会科的なアプローチ、寿司の漢字となれば国語的なアプローチ。理科ということで言いますと、「魚はどんなふうに回遊しているんだろうか」とか、「何歳位で産卵するのだろう」といった魚の生態など、いろいろなことがそこから派生して考えられると思うのです。寿司の歴史もありますね。そんなことを考えると、食はいろいろなことと関わっていますので、さまざまな切り口を用意することによって、子供たちあるいは大人たちの興味・関心を引くことができるのではないかと、そんなふうに思っています。生協さんの中でも勉強会もあるでしょうし、食育のコーディネーターとして活躍していらっしゃる方も今日きっといらっしゃるとは思うのですが、そうしたさまざまな視点を是非工夫してみてください。
食を楽しむ姿勢を養う食育ってどんなことだろうか。まず、これからもう少し詳しく考えてみたいと思います。私が行っている「食の探偵団」というワークショップはこれにできるだけ特化してやっていきたいと考えています。先ほど申し上げた、例えば栄養の勉強ですとか調理の実習ですとか、そうしたことが種を蒔くことだとしたら、食を楽しむ姿勢を養うというのは、土を耕すことなのではないかなと考えているのです。
具体的にご紹介しながらお話します。まずは、先入観をそぎ落として、自分の五感を意識してみようというプログラムです。食べるということはそもそもお腹が空いた時に何か食べ物が入ってきて「美味しい」とか「嬉しい」とか「あ~お腹が一杯になった」とか、快感なわけですよね。私たちは食べものを味わうとき、五感を使って感じています。ということで、しっかり自分の五感を意識して、食べ物と付き合ってみようということを最初のスタートに置いています。もともと食の探偵団を始めようと思ったきっかけをお話すると、子供が小さい頃から、自宅で赤ちゃん連れでもOKという料理教室を7年程やっていたんです。7年やっている間に、いろいろなお子さんに会うこともありましたし、いろいろな親御さんを見てきました。そういう中で、これは親への料理教室だけではなく、子供にも直接伝えたいなと思うようになりました。私が手作りの梅ジュースを出したときに、「これ何?」と子どもにきかれて「梅ジュースよ」と言うと「じゃあいらない」と答える。「梅ジュース嫌いなの?」と聞くと「飲んだことない」。飲んだことが無いからいらないというのです。お父さんと小学校1年生のお子さんとが遊びにきてくれたとき、家でお餅を用意していたんです。「何のお餅食べたい?」と聞いたら、その子は「きな粉」と答えました。するとお父さんが「止めとけ」って言ったんです。「きな粉はお前の嫌いな味だから絶対残すから」って言うんですよ(会場笑)。でも、前に嫌いだったとしても、みんなと一緒に食べたら美味しく食べられるかもしれないじゃないですか。今笑われた方が、たくさんいらしたんですけれども、実は私たちって、ついそういうことをやっていることがあるんです。食の探偵団で、ゆで卵をどんなふうに食べたらおいしいか試してみようというプログラムを行なったことがあります。塩、醤油、マヨネーズ、味噌、酢、砂糖等々を用意しまして、あとチュニジアではクミンというスパイスとお塩を混ぜたものを付けて食べるのが普通だときいたのでそれも用意してみました。小学校2年生のあるお嬢さんが一番おいしいと思ったのがクミン塩だったと言うのです。その後、お母様とお話をする機会があったのですけれども、お母様は「ウチの娘はスパイス類なんか大嫌いだと思っていたのに」とおっしゃるんですね。私たちは知らない間に、子供はこういうものが好きだろうと思いこんで、その子の食の世界を狭めてしまっていることってあると思うのです。
ちょっと余談になりますが、山菜で有名な宿に泊まったときのことです。予約の電話の時にお子さんは何歳ですかと聞かれて、「ではお子様用の食事を用意しておきますね」と言われました。私もちゃんと尋ねれば良かったのですけれども、山菜料理のお店なのに、子供の皿の上には山菜は1つもなく、エビフライ、ハンバーグ、コロッケでした。「(山菜料理でも)料理の量を少なくすれば大丈夫ですか?」とか、あるいは「山菜1皿くらいはいけますか?」とか、せめて聞いて欲しかったなと思いました。何も聞かずにエビフライというのはひどいじゃないかと思ったものです。私たちは、つい思い込みで子どもは山菜が嫌いだろうと思ってしまうんですね。でも、食べたら好きな子もいるかもしれないですよね。
ちょっと長くなりましたが、そういったことで、食の探偵団というのは、先入観に縛られ過ぎない、親も子供も先入観に縛られないでもっと直接に食べ物と関わっていこうよと、そんな思いで始めたものですから、自分の五感を意識するというのと、先入観を削ぎ落とすということがプロブラムを考える時の大きな柱なんです。
五感を総動員するというプログラムの写真を見ていただきます。これは「宇宙人に伝えてみよう」というプログラムです。何で宇宙人なのかというと、宇宙人は日本の習慣を知りません。例えば、写真の子はお煎餅を食べているのですが、宇宙人は米のことを知らないので、「米から作られている」といっても意味をなしません。そういうかせを作りまして、五感で今感じたことだけをしゃべろうというものです。でも宇宙人は日本語は堪能じゃないと困るんですが……。この子はお煎餅を食べて「甘くて、美味しい」「じゃりじゃりしている」「色がオレンジっぽい」「形が丸い」「中が白い」「でこぼこしている」というようなことを書いています。ちゃんと五感を使いながら食べるとたくさんの言葉が出てくるわけです。これは、子供だけではなくて、大人にもやっていただいているプログラムなんですが、大人の方が実は大変なんです。つい、ちょっとはかっこつけたいとか、変なことを言って笑われたりしたらどうしようという思いが強いということもあり、また、今まで獲得した知識が子どもよりたくさんあるので、それに引きずられてしまうのです。例えばアンチョビ。いわしを塩漬け、あるいはオイル漬けにした発酵食品です。それを食べてもらった時のことなんですが、普通だったら、最初にしょっぱいとか茶色いとかが出てくると思うのです。ところが一番初めに出てきたのが、「イタリア料理にして食べると美味しいと思います」。これは先入観なんですよね。私はフードコンサルタントとして、レシピを作るのも仕事です。そんなとき、アンチョビはイタリア料理にしか使えないと思っていたら、それ以上広がりません。これは完全に先入観です。例えば誰かに「***はまずい」と言われると、そのまずいというのが頭の中で渦巻いて、どんなに美味しくても、まずいと思ってしまうということもあると思うのです。私たちはつい情報に引きずられがちですので、先入観をできるだけ削ぎ落とすために宇宙人に伝えてみようというプログラムをやっています。
今ご紹介したプログラムでは五感を総動員したんですが、五感のうちの1つだけを使うということもしています。例えば、匂い当てクイズ。これは、嗅覚のみで味わいます。中身が見えない入れ物の中に食べ物を入れていただいて、アルミホイルで蓋をして、楊枝で穴をあけるだけで準備完了です。自分で入れて自分で匂いを嗅いでもしかたがないので、他の方にやっていただくことになります。匂いだけで食べものを当てようと思うと、なかなか難しいんですね。みなさん、毎日ご飯を召し上がっていると思うのですが、ご飯の匂いが分かる方って驚くことに半分以下なんです。ぜひ今度試してみて下さい。例えば3種類用意して、今日はご飯と海苔と鮭が入っていますと言うと、絶対みなさんわかるんです。でも、何にも言わずに食べ物が入っていますから、匂いを嗅いでくださいと言うと、分らないんです。すごく難しいんです。例えばマイタケをいれた時に必ず出てくるのが、ブランデーケーキ。ブランデーケーキの匂いって言うんですよ。蓋を開けると「え~!」ってみなさんおっしゃるんです。ぜひやってみて下さい。たぶんいろんな匂い成分が科学的に分析するとあるんだと思うのです。この匂い当てクイズは当たった当たらないが大事なのではなくて「あっ、この香りは前に嗅いだことがあるな。何の匂いなんだろう。」と探ることとか、自分の中で、「この香りはなにかに似ているような気がする」とか、嗅覚に集中してそれを味わうプロセスが大事だと考えています。
さて、五感のうちの1つを使うということで、触覚のみで味わうということもしています。この写真は横浜で行ったものですが、夏だったのでゴーヤを入れてみました。ゴーヤって知らないお子さんがたくさんいらっしゃるんですよね。「とうもろこし?」「ゴム人形?」とか言いながら触っています。最終的に箱の中からとり出して、これがゴーヤと言うんだと言って、切って、料理して、食べてみます。ゴーヤなので好き嫌いはあってしかたないとは思うのですが、ゴーヤというものが深くインプットされるのは確かだと思うんです。例えば料理教室をする時に、今日の材料はこれだよと手触りクイズをやってみる。あるいは匂い当てクイズをやってみるということをすると、惹きつけられ方が違うので試してみていただければと思います。
1か月ほど前に大人を対象にして触覚のみで味わう「手触りクイズ」をやった時に、新生姜の時期だったので、新生姜を入れてみました。1人1人触って頂くということもあるんですが、人数が多い時は代表の方に来て頂いて、触って感じたことを言葉にして頂くということをするんです。聞いている皆さんには「いったい何を触っているんでしょう?」と当てて貰うのですが、新生姜を触っている方が「毛が生えてる」って言ったんですね。私が箱に入れているので、私には何が入っているか分かっています。「え?生姜に毛なんて生えていたっけ?」と思ったのですが、実際取り出してみたら、その新生姜には毛が生えていたんです。手で分かることって実はたくさんあって、形や温度が分かるし、質感はもちろん分かりますし、大きさも重さも分かります。例えば、皆さんが食事の後片付けをする時に、きれいに見えていても触ったら"ざらっと"とか"ぬめっ"ということがありますよね。実は手の方が目よりも分かることってあると思うんです。
赤ちゃんって、みんな何でも口に持って行きます。それは、きっと口で触った感覚で、これは何だろうと自分の世界を探索していると思うのですが、私たちはだんだん大人になるにつれて、1度経験したことは分かっているので、目で見て通り過ぎてしまうのです。
一度意地悪をしたことがあります。箱の中にトマピーという野菜を入れたことがあったんです。ピーマンやトマトや、形が少しカボチャに似ていますのでカボチャとか、ちょっと触ってすぐにわかったと手をだしてしまう方がほとんどだったんです。その後で、実はこれはトマピーですと言ったら、皆さん「え~!」っておっしゃるんですね。よく触ってみれば、カボチャとは違って中が空洞だし、ピーマンより横に広いし、トマトだったらそんなにデコボコしていないし、わかったと思うのです。でも、通り過ぎてしまうのが癖になっているんでしょうね。たまには立ち止まってみるのも大事かなと思って、こんなプログラムをやっています。
「音当てクイズ」というのもあります。子供たち10人位でやった時、お茶っ葉や米、パン粉などを中の見えない筒に入れて振った音で探るのですが、わかるんですよね。聞き分けます。
それから、例えば自分の好みの味を見つけるというようなこともやっています。この時はある会社が作っている牛乳を5種類集めてみたんです。無脂肪の牛乳とかジャージー牛乳とか、「おいしい牛乳」とか、産地限定の牛乳というのもありました。私も、ジャージー牛乳は濃いというイメージがあったのですが、飲んでみるとジャージー牛乳って他の牛乳に比べてサラッとしていたんですね。やはり自分で食べ物と直に向かい合ってみるのは大事だなと思います。別に牛乳ではなくても、オレンジジュースでもケチャップでも豆腐でも何でもいいんですけれども、こういった事をしてみるのも食べ物との楽しい付き合い方の1つかなと思っています。
さてもう1つここで、感じたことを言葉にしようというプログラムを紹介させていただきます。食の探偵団は、言葉にこだわっています。言葉がどうやってできてきたかということを考えてみますと、例えばイヌイット、昔はエスキモーと呼んでいたのですが、そういう人々には、氷や雪に関する言葉がすごく多いと言われています。それはきっと、そういう環境で暮らしてきたからですよね。私たちが考えるよりずっと細かくその差を見分けることができなければ、もしかしたら命に関わるかもしれなかった。だからこそ、それだけたくさんの言葉が生まれたと思うんです。フランス語では、香りに関わる言葉が多いと言われています。それから日本に在住の韓国料理研究家の方が書いてらっしゃってとても面白いなと思ったのが、韓国語には味わいを表す言葉がとても多いということでした。例を挙げると「甘い」という言葉だけで12種類あるというのです。その12種類の甘いという言葉を言えば、韓国人みんながどういう甘さかということが分かるということですね。日本も例えば修飾語をつけることによって、どういう甘さかということをいろいろに表現できると思うのですが、それにしても12種類も区別がつくかなと考えると、無理な気がするんですね。
それでは、日本語には何が多いと思いますか?実はこれも研究がありまして、触感を表す言葉がとても多いそうなんです。よく考えてみると「しっとり」とか「ふわふわ」とか「ポリッ」とか「カリッ」とか「コリッ」とか「べたべた」とか「ねばねば」とかありますよね。そういう言葉がすごく多いそうなんです。そう考えて来てみますと、それぞれの国でそういう言葉が発達して来ているというのは、そうした事に対して繊細なセンサーを持って人々が暮らしてきたからだと考えられると思うのです。ですから言葉は食文化ではないかと、そういうふうに思います。
これは、余談なんですが、私の夫は、先ほど申し上げたように、日系のアメリカ人で、2世なんですね。親は2人とも家では日本語をしゃべっていました。夫はアメリカの学校に行っていたわけですが、小学校の1年生に上がる時に語彙力テストがあるそうです。これは、英語ができなくて授業についていくのが大変な子どもをサポートするために、そういう子を見つけるために行なうのだそうです。これは夫の母から聞いたのですが、親2人ともが英語を母国語とするお宅に比べて、そうでないお宅は語彙がとても少なかったのだそうです。もちろん学校に入ってから、勉強したり読書したり、友達と遊ぶ中でどんどん獲得してはいけるはずですが、とくに幼い頃は、周りの大人が話している言葉が子どもにインプットされます。子供たちにたくさんの言葉を投げかけてやらないといけないと思いました。よく食育というと「俺、料理できないから女性におまかせ」という男の方もいらっしゃるんですが、言葉を投げかける事というのは、料理のできない人にもできます。子供たちの周りにいる私たちができるだけたくさんの言葉を使うことによって、子どもたちの語彙は増えていきます。「ほんとに最近の子供たちは語彙が少なくって」っていう批判は、いつの世代にもあることで、私も親にそう言われて育って来ましたが、周りにいる大人の責任でもあると思うんです。聞いて分かる言葉に比べると、使っている言葉はよくよく考えてみると、割と限られているのではないかと思うんです。それを、心がけてできるだけたくさんの言葉を口にだしてみるということもしてみたらいいのではないかなと思って、食の探偵団の中では感じたことを言葉にしてみようということも1つの柱にしています。
さて、「食感をつかむ、語感をつかむ」というプロブラムです。例えば「カリッ」と言ったら、どんな食べ物を想像するか、ちょっと考えてみて下さい。どれだけたくさんの食べものを時間内にあげられるかをゲーム形式でやると盛り上がります。逆に「カステラ」と食べものの名前を言った時に、どんな言葉が出てくるか、どんな言葉でカステラを表すことができるか。例えば「ふわふわ」とか「しっとり」とかいろいろな言葉がでてきますよね。「ザラッ」と言った人がいたんですが、ザラメの部分ですよね。「がさっ」とかいう人もいました。古くなったカステラだったんですかね。というふうに、カステラ1つとっても修飾語によって、いろいろなカステラがイメージできます。
次の写真は身近な食べ物の正体を探ってみようというプログラムです。例えば、ヨーグルトに混ざっているジャムの正体をあててみます。ある時、これも小学生を対象にした会だったのですが、ジャムを5種類用意しました。私は意地悪なので、桃とかブルーベリーとかわかりそうな物を2つ、1つはウチの自家製の生姜ジャム、それとお店で見つけたトマトのジャム、それから紫いものジャムを用意しました。「この5種類を食べてみて、いったい何のジャムか当ててみよう」というわけです。ブルーベリーや桃は正解が出ると予想していましたが、しばらくやっているうちにトマトのジャムも言い当てました。紫いものジャムはかなり手こずったのですが、ある子が「いもの匂いがする」と言ったんですね。そしたら、もう1人が、「じゃあ紫だから紫いもだ」と最終的には当てたんです。生姜のジャムは香りが強烈なので、すぐにわかったのですが、さすが小学生だと思ったのは「これわかるよ。わさびでしょ。」という子もいました。可愛いなと思って聞いていましたが・・・・・・。じっくり探ることでわかるんですよね。私たちは普段感覚をあまり使っていないだけで、じっくり五感を使えば、思っている以上にいろいろなことがわかるものなのです。
ところで、皆さんの中でまつ毛が気になって日常生活に差し支える、何を見るにもまつ毛が目に入って大変という方はいらっしゃいます?ほとんど、いらっしゃらないですよね。でも、前に1人手を挙げた方がいらして困ったなと思ったことがあったのですが(笑)。一生懸命見ようと思えばまつ毛は見えると思うんです。でも、普段は気にならないですよね。それは、なぜかと言いますと、脳科学者によれば、脳が、「まつ毛はここにあるけれど意識しなくていいよ」と命令しているそうなんです。例えば、臭い部屋に入った時に、最初臭いと思っても、そのうち気にならなくなるという経験ってありますよね。それも脳が「もう臭さを気にしなくていいよ」と指令しているというのです。臭いの件はテレビで観たのですが、私たちが実際意識しなくなってからの時間も、脳はずっと臭いと感じているそうです。つまり、どういうことかと言うと、私たちはこれだけ音がたくさんある、臭いがたくさんある、色がたくさんある、形がたくさんある世界の中に生きていると、五感を知らず知らずのうちに閉じているんですね。意識しなければ脳が勝手に閉じてしまう。繁華街を歩いていると、どんな音がしても耳をそばだてることは余りないと思うのですが、山の中にいて遠くの方から鳥の声が聞こえたというと耳を澄ませますよね。意識することによって耳はまた開くと思うのです。
そんな事もあって最初に戻るのですが、五感を意識するというのは大事だなと、毎日食べるという中で、五感を開くということもしていきたいなという思いもあります。
話が前後してしまいましたが、次の写真は味噌を試食しています。お味噌と一口に言ってもいろいろあります。食べてもらったあとで、原料の違いですとか、熟成期間の違いで違うんだよといった話をします。味噌は何から作られているのかという話もします。ちょうどこの時はたまたま手に入ったのですが、タイのタオチオというお味噌に似た調味料と、韓国のテンジャンというこれもお味噌に似たものなんですが、そちらも用意して食べてもらいました。そうしますと、日本だけではなくて、他の国でも似たようなものが食べられているんだなあということも自然と理解してもらえます。これも、味噌だけではなくて、お酢だとか、お醤油ですとか、自分の身近にあるものを改めて探ってみるのは面白いです。恥しい話ですが、私は、成人するまできな粉が何からできているのかを考えたことがなくて、知らなかったのです。身近にあって普通に食べているのに考えもしないことってありますよね。それを顕在化させるということも大事なことだと思っています。
さてこの写真は、雑穀を食べ比べた時のものです。一番左は、日本で伝統的に食べられてきたものではなくて、アメリカやカナダのインディアンが食べていたワイルドライスです。あとは、きびとか粟とかひえとかが並んでいます。今は雑穀米を召し上がる方ってたくさんいらっしゃると思うのですが、混ぜて炊くだけで、それぞれの味を知らないという方も実は多いのではないかと思います。それぞれを食べてみると、もちきびなどは「なかなか美味しいじゃない」とか言って「こんなふうに作ってみたいわ」とか「こんな料理に適していそう」という声も上がりました。その後、それぞれの雑穀をつかってイタリア料理のフルコースを作っていただきました。普段の食事はついマンネリ、という声はよくききますが、食の世界を探検してみようというのも大事な試みではないかと思っています。
さて、自分の手を使い頭を使って、料理を作りだしてみようという調理実習的なプログラムは、食の探偵団でもやっています。ただ、普通の料理教室と違って、自分でレシピを考えてもらうということもしています。例えばおにぎり。ご飯をなんらかの形に形作る、生ものを使わないというだけのルールを作りまして、好きなようにおにぎりを計画しようというプログラムがこの写真です。この子はサイコロの形のおにぎりを描いています。ポケモンのピカチューの形に作りたいという子もいましたし、串刺しおにぎりを作りたいという無謀な(!)計画を立てる子もいました。はじめは作りたいおにぎりを絵にしてもらうのですが、ただ絵を描くだけではなくて、どんな食材で、どんなものを使って、どうしたら自分が思ったとおりのおにぎりが作れるかまで書き出してもらいます。小学校1年生でも書く子は書きます。次の週に実際にそのおにぎりを作ってもらいました。そうすると、自分が書いていた時には全然思いもしなかった、いわゆる「想定外」のでき事に遭遇するわけです。私が見ていた班では、モスバーガーさんのライスバーガーのようなものを作ろうとしていました。ライスパテを焼きおにぎりにしようというわけです。3枚の薄い焼きおにぎりを作り、間にサラダを入れて、3段のライスバーガーにしたいと計画した子がいたのです。まずはどうやって型を取るかということから自分では考えていなかったというので、こちらでセルクルという型抜きを用意しておきました。それでご飯を丸く抜きました。そのあと、抜いたのはいいけれど、そのご飯をフライパンに移すにはどうしたらいいだろうかということになりました。まな板にくっついてとれないとか、フライパンに乗せたのはいいけれど、ひっくり返そうと思ったらひっくり返せない。そういう中で班の中でお互いに協力し、相談して、工夫しながらやっていくわけです。でき上がった時には、半分涙目の子もいたぐらいでした。絵に描く、やり方を想像して書き出してみるというプロセスを入れることによって、準備されたレシピに従ってつくってみるというただの料理教室ではなくなります。
次の写真は、もっと小さい子でもできるお絵かき蒸しパンのプログラムです。蒸しパン生地のレシピはこちらで用意します。先ほどのおにぎり計画と同じで、最初に蒸しパンの絵柄をデザインしてもらうんです。絵柄をデザインするに際しては、いろんな色の甘納豆を集めまして、これでやるんだと見せます。甘納豆の良いところは手でちぎれます、つぶせます。なので、本当に小さいお子さんでもできるのです。実は大人もかなり夢中になってやってくれます。器の中に油をぬりまして、そこに甘納豆で自分の絵柄を描いていきます。その上に蒸しパン生地を流して蒸します。蒸し上がりに竹ぐしを回して取ると、絵が出てきます。思ったとおりにできているかが最後までわからないので、期待感をもって取組んでくれます。
これも余談ですが、甘納豆って食べたことがないお子さんって多いんですよね。普通にお菓子として出したら、豆が嫌いな子は多いので、食べないお子さんは多いと思うんですが、このプログラムで、今までに甘納豆が嫌いで食べたくないと言った子は誰もいません。好き嫌いをなくすにはどうしたらいいんですかとか言う質問を良くいただくのですが、料理の素材として使って一緒に作る経験をさせるというのも一つの手かなと思うのです。
次の写真は、ケチャップを作っているところです。ケチャップって市販で買う方がほとんどだと思うのですが、実際に作ってみると楽しいんですね。この時は地元のトマト農家の方に朝取ったばかりのトマトを持ってきていただいて、トマトケチャップを作るということをしました。写真の一番向こうの男の子は湯むきという作業に感動しまして、1人で7個か8個やりましたね。ちょっと切れ目を入れて、お湯の中に入れると、皮がペロってむけますでしょ。「うわ~!」とか言って喜んでいました。その後、お母さんとお話したとき、「毎年夏にはトマトでケチャップを手作りすることになりました」とおっしゃっていました。というようなことで、食の探偵団のプログラムを紹介しながら、食を楽しむ姿勢を養う食育の例としてお話させていただきました。

2.食卓の以前と以後に目をむける
次に、食卓の以前と以後に目を向ける食育ということで、お話をさせていただきます。今の時代だからこそ必要とされる食育への視線ということであげた1つ目は食を楽しむ姿勢を養う、興味・関心を引き出すといったことだったのですが、その2つ目が食卓の以前と以後に目を向ける食育。これについて考えてみたいと思います。
いきなり政治の話になりますが、ブッシュ大統領がバイオエタノールの事業を進めて行こうという決定をしたことで、日本の豚肉や大豆の値段、小麦の値段が上がっているのは皆さんご存じのことと思います。夏前位から食品の大幅な値上げになってきています。少し前の事になりますが、例えば鳥インフルエンザだとか狂牛病、そうした影響で、例えば吉野家の牛丼が食べられなくなったり、鶏肉がお店から姿を消す時もありました。今朝、日経新聞で読んだのですが、オーストラリアが2年続いてのひどい干ばつとのことです。去年も干ばつで小麦が取れなかったんですよね。皆さんご存じだとは思うのですが、日本は小麦のほとんどを輸入しています。輸入先はアメリカ・カナダ・オーストラリアです。アメリカとカナダで不作が続けば小麦の値段は上がります。あるいは今回のバイオエタノールの件で、とうもろこしが高く売れるからと、とうもろこし農家への鞍替えが進めば、小麦や大豆の畑がとうもろこし畑に変わってしまって、これでもまた小麦の値段が上がります。実はアメリカ・カナダと南半球のオーストラリアとでは小麦が取れる時期が違うのです。アメリカ・カナダがだめならオーストラリアの小麦があるさという気持ちがあったと思うのですが、昨年の干ばつが100年に1回というほどのひどさと言われていたのに、今年はさらにひどくて、日経に書いてあった数字を見てびっくりしたのですが、メルボルンの降水量は平年の33%しかなかったというんですよ。それによって、どういう事が考えられるかというと、草不足で家畜が育たない。小麦もちゃんとできない。だから日本の小麦粉の値段もさらに上がると言われていますし、牛肉の値段も上がると言われていますし、それから、私も記事を読むまで知らなかったのですが、日本で消費されているチーズの6割から7割がニュージーランドも含めてオセアニアからだそうです。ということは、チーズの値段もかなり上がってくるということが考えられるわけです。ここしばらくのいろいろな食のことを考えると、例えばアメリカの政治やオーストラリアの干ばつやといった、社会が私たちの食卓に与える影響というのは顕在化してきています。一方でその反対に、私たちが何を食べるかということが社会を変えている部分も意識していかなければならないと思うのです。

■何を食べるかは個人の問題にとどまらない
ということで、私たちが何を食べるかということで世界が変わって行くということをここに書かせていただきました。最初にお話をしたのですが、私たちが何を食べるかというのは、自分が健康に生きていく為には何を食べたらよいかということだけを考えていたらいいわけではないし、伝統的な料理が継承されていかない、それについてももちろん考えていかなければいけないことですが、それだけではない。何を食べるかということは個人の問題に留まらない時代になっているということを、私たちは、きっちり認識していかなければいけない時代にあるなと思っています。
具体的に少しお話をさせて頂きます。例えば、農業と環境との関係ということで例を挙げさせていただきました。稲3株・ご飯が1膳・赤トンボ1匹と書かせていただいたのですが、これは宇根豊さんという方が話していらしたデータをもとに、こんなふうにしたら分かり易いかなと思って私が書いてみたものです。稲3株分の環境があると、赤トンボが1匹育つと言われています。それから、品種によっても多少違うと思うのですが、稲3株分で取れたお米を炊くと大体ご飯1膳分になるといいます。ヤゴが育たないとトンボにならないわけですから、農薬をかけてしまうと困るのですが、農薬のかかっていないお米を炊いて1膳食べるということは、赤トンボを1匹育てることにもつながるのではないかと考えられると思うのです。もしも、食というものを自分の体にとって何がいいかという視点だけで考えていたら、アメリカのオーガニック米を食べても、日本の有機米を食べても同じです。でも環境という視点も考えると、アメリカのお米を食べても日本に赤トンボは増えません。日本のお米を食べることで、はじめて日本に赤トンボが増えるのです。栄養とは違う視点があることで、結果にこんな差が出て来るわけです。今、米のことにだけ触れましたが、農作物それぞれに対してこうした関係が、実はあると思うのです。
「森は海の恋人」という名前で活動しているグループがあります。カキの業者さんが、海を豊かにするためには、森をきちんとしなければいけないということで、森の整備から始めて海をよくする活動を続けています。水田は自然のダムだと言われています。土地が保水力をなくしてしまうことで、土砂が海に流れ込んだり、あるいは森がなくなることでミネラル分が海に届かなくなったり、私たちの回りの自然はつながっているということも意識していかないといけないと思うのです。
さて、こんな例示もしてみましょう。例えば、食べ物と国際関係、どんな関係があるのということで、先ほどチリの輸出用の鮭が90%以上日本向けだというお話をしたのですが、それも日本人がこれだけ鮭を食べるから、「チリではあんまり食べないけど、日本で売れば儲かるぞ」ということで鮭の産業が育ってきて、9割以上が日本に来ているという現状があると思うのです。
また米の例で恐縮ですが、93年の米不足の時に、タイ米を食べたことがある人?はい、ありがとうございます。私も食べました。その当時、私たちは食べ慣れないこともあって、臭いとかまずいとか、大騒ぎでした。こうやったら美味しく食べられるというような料理本も出ましたよね。タイは世界で1番のお米の輸出国なんです。その時実際、外の世界で何が起こっていたかというと、普段タイから米を輸入している国々では、私たち日本人が米を緊急輸入したために、米が足りなくて米の値段があがって大変だったそうなのです。タイでは米がいっぱい穫れるらしいから、お金を払って持ってこようということで私たちは持ってきたわけです。私も当時は外の世界で何がおこっているかなどまったく意識していませんでした。ただ、その後たまたまタイの山村に子供2人を連れてホームステイに行った時に、その話が出まして、そうした事実を意識したことすらなかったことが、日本人としてとても恥ずかしかったです。私はタイの料理が好きなので、「まずい、くさい」というよりは、「タイ米が安く入ってラッキー」と思っていました。でも他の世界で何が起こっているということには考えが及ばなかったことでは、同じです。これだけ世界中からさまざまなものを輸入している日本ですから、同じようなことを、きっといろいろなところで私たち日本人はしていると思うのです。例えば、先ほどちょっと話しましたが、日本人のエビ好きについては問題視されています。マングローブをどんどん伐採して、「日本人がいっぱい食べるから、もっと早くもっと安く作れば儲かるぞ」ということで、抗生物質を入れたり、海の中をコンクリートで埋めてしまったり、栄養剤をいれたり様々やっているらしいのです。それが、今インドネシアのマングローブをどんどん少なくしている原因の1つだと言われています。生協さんではエコシュリンプを取り扱っていらっしゃると思うのですが、エコシュリンプはそうした方法ではなくて、元々の「粗放養殖」というやり方に近いものを行っています。エビを小さい池に入れるのではなく、塩田と同じで海から水が入ってくるような形で、できるだけ自然に近い環境で育てるということをすると、どうしても価格は高くなってしまう。でも、考えてみれば私が子供の頃はエビフライなんて、年に数回しか食べられないご馳走だったんですよね。今は本当に「今日エビ食べたいな~」という感じで買えてしまいます。戻ることはできないのですが、これだけ手軽にエビをたくさん食べられるというのは、おかしいことであるという認識はしないといけないのではないかと考えています。
私たちが何を食べるかということと、国際関係もまた関係しています。食べ物はどこからくるのかを意識したことが無いというのはやはりまずいのではないかと思うのです。この間、娘が通っている中学の宿題で、鶏肉の値段とその鶏肉がどこから来ているかを調べるというのが出ていました。「こんなにいろんなところから来てるんだ~」と娘は改めて驚いていました。子供が幼稚園ぐらいまではお買い物に一緒に行くことも多いと思うのですが、小学校に入ってしまうと、面倒だから子供がいないうちにお買い物をすませてしまおうとか、あるいは子供も遊ぶのに忙しくて買い物に付き合いたがらないと思うのですが、たまには一緒に買い物に行くなどして、そういった現場を見るというのも大事だなと思います。
それから、ゴミはどう処理されるか。これも食の問題だと思うのです。1週間位前だったのですが、セブン&アイ・ホールディングスさんとミニストップさんでしたか、地域を越えてごみ処理について連携するといった記事が出ていました。ゴミをどう処理するのかということも大事なことだと思います。私の住んでいる横浜市では中田宏市長の下「G30」といってゴミを減らして行こうという運動が高まってきています。その中の一つに学校給食の食べ残しをどう処理するかということがあります。栄養士さんに聞くと和食の時にはとくに、6割位食べ残しとして戻ってくるといいます。五目豆などはとくに人気がないそうです。本当は残さずに食べるのが一番なのですが、出てきてしまったゴミをどう処理するのかは大きな問題です。横浜市として進めているのが、「はまぽーく」というプロジェクトです。まずは学校で出た残飯を子供たちに分別させるのです。例えば、お肉・パン・野菜類・果物類というように分別させて、これを冷蔵のコンテナに入れて、ある工場まで運びます。そこでは食べ残しから豚に食べさせる飼料を作っています。おいしい豚を育てるためには栄養のバランスが必要なので、食べ残しの配合バランスを工場で把握できるようにするために、学校で分別が必要なんです。工場を見学してきたのですが、本当にさらさらの粉末飼料が作られています。今、豚肉の値段が上がるのも、海外からの穀物飼料の値段が上がっているから。トウモロコシの値段が上がって、それを原料しているから穀物飼料の値段が上がって、豚肉の値段が上がります。まだ小さな試みですけれども、穀物飼料を食べ残しから作ることができるというのは、面白い動きではないかと思っています。その穀物飼料を食べて育った豚は、「はまぽーく」という名前で売られています。その一部は給食にも入ってきています。とすると、子供たちとしても自分たちが食べる豚肉は、自分たちが分別したものを材料に作られる餌を食べているんだからと思えば、食べ残しをきちんと分別しないといけなくなる。残念ながら、まだ全部の学校では行なわれていなくて、ウチの息子が行っている学校はまだなんですが、横浜市としてはこれを全学校に広げる予定でいるそうです。
さて、食料の自給率がとうとう40%を切ってしまいましたよね。39%を実感するということでお話させていただきます。キューバが有機農業で有名なのを皆さんご存じでしょうか。キューバはキューバ危機の時にいきなり経済封鎖になって、食べ物が入らなくなって大騒ぎだったんです。食糧自給率は当時ちょうど40%程度。経済封鎖で食べ物が入らなくなって何が起こったかと言いますと、都市部を中心に5万人以上の人が一時的に栄養失調で失明したそうなんです。食料自給率40%というのはそのぐらい凄い数字です。その後、国を挙げて有機農業に進んでいきます。穀物飼料を輸入しなくていいようにしよう、国民みんなが農業の基礎ができるようにしよう、ベジタリアンになろうといったさまざまな行動が起こされます。数字をご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、例えば牛肉1キロを作るのに、エサを11キロも牛に食べさせなければいけないと言います。1キロの肉を食べる代わりに11キロの穀物を人間が直接食べるとしたら、もしかして食べ物がなくて困っている人たちの分まで賄えるかもしれないわけですよね。キューバは有機農業国として、今先進的なことをやっています。農業教育も進められていますし、化学や数学の授業も食との関わりの中で行われていると言います。
農水省のホームページで自給率計算ソフトというのがあって、すぐにダウンロードできます。食材だけでなく、メニューごとにも計算できるんです。例えば、カレーライスだと、こんなものが入っているだろうという想定の下での計算なんですが、自分が普段食べているものがおおよそどんな自給率なのか知ってみるだけでも、もしも食べ物が入ってこなかったらどうなるだろうかと考えるきっかけになると思います。
豚肉の値段が上がるのはなぜというのは先ほどお話をしてきましたが、例えばマグロが食べられなくなるという話もあります。今はマグロについては随分いろいろなところで書かれているので、皆さんもお聞きに、あるいはお読みになっていると思うのですが、この間、たまたま北海道の魚について調べていた時に面白いことがわかりました。北海道の西側に留萌(ルモイ)というところがあります。その留萌のちょっと下に増毛(マシケ)という場所があるんです。増毛というのは有名なフランス料理のシェフの三國清三さんの故郷なんですが、もともと留萌・増毛というのはニシン漁ですごく栄えたところなんですね。このあたりは昔はニシン漁がすごく盛んだった。ところが、栄えたのは本当に一時期でその後どんどん衰退して、今はニシンはほとんど揚がらないというような話を聞きました。その原因とは何かと言いますと、一つには乱獲なんですね。あそこに行けばお金が儲かるということで人が集まって来て、ニシンをどんどん取って、取り尽くしてしまった。それから、水温の上昇なんだそうです。どのくらい上がっているんだろうと、気象庁のホームページを見ると、残念ながら西側のデータはなかったのですが、釧路の水温上昇が80年位前から調べられているんです。それでそのグラフを見ましたら、冬と春については、この80年間で平均水温が2度上がっているんです。なんで冬と春というふうに言ったかといいますと、ニシンの産卵時期は春なんですね。3月から5月位。また産卵適温、ふ化適温というのがあるのだそうです。それと、ニシンは卵を浅瀬で産み、おまけに海藻に産み付けるそうなんです。メスが海藻に産卵し、オスが精子をそこに吹きかけることによって受精するそうなんですが、水深1mから、深くても18m位の間でしか産卵をしないといいます。海藻がないと産卵しないし、産卵適温に海水温が合致しなければニシンはこない。留萌や増毛がそういう場所ではなくなってしまったわけなんですね。今、ニシンを戻したいということで、禁漁期間を設けたり、稚魚を放流したり、小さな魚がかからないように網の目を大きくするということをしているそうなんです。それから、海岸線がコンクリートのところもありますので、産卵用に人口の海藻を植えるとか、いろいろな対策を始めています。96年からその取り組みが始まっているそうなんですが、ここのところ、関東でも北海道産のニシンがスーパーでもみられるようになってきているんです。私が気にかけているせいかもしれませんが、他の人に聞いてみてもニシンの生を店でみかけることが多くなったといいます。秋田のハタハタもそうですね。禁漁期間を経て、ハタハタがまた随分取れるようになりました。やはりそういうコントロールが必要なんだなということを改めて考えさせられます。
最近、魚関係の本を続けて2冊読みました。ひとつはイギリス人の人が書いて、もう1つは日本人の方が書いているものだったのですが、どちらでも話題にされていたのが、魚資源の減少です。1950年代に比べて、現在その当時いた魚の量の9割がいなくなってしまったということです。つまり10%になってしまったのだそうです。魚はずっと捕れてきている。食べ物の関係の統計として一番信頼できるのがFAOという機関の統計なんですが、そこではずっと順調に魚が捕れていて問題ないではないかと言われていました。ところが、最近わかったことなのですが、実は中国がいい加減な数字を出していたらしいのです。中国だけ漁獲量がどんどん上がっていっているような数字になっていて、他の客観的な数字から照らし合わせていくと、実は数字が違うのではないかということがわかったそうなんです。FAOが中国に対して抗議をしているそうです。それを適正と思われる数字まで落としていくと、世界の漁獲高はやはりどんどん減っていることになるのだそうです。私たちは魚は無尽蔵にあるような印象をもっています。でも実際にはもう9割がいなくなっているとすると怖いことです。
皆さん、全身トロのマグロがあるというのをご存じですよね。メキシコやスペインから来るのですが、こうした養殖のほとんどは「畜養」です。マグロは泳ぎ続けなければ生きていけない魚です。東京都の葛西の水族館がオープンした時に、ずっと泳いでいるマグロの水槽は一つの売りだったのです。その当時は、そうやってマグロを飼えるということが売りになるくらいだったのに、今はマグロの「畜養」が盛んになって、世界各国から日本にマグロが来ているのです。私は、畜養について、少し前までは「マグロを養殖できるようになったのはすごい」と認識していました。ところが、今はこのマグロの「畜養」は新たな問題とされています。何が問題かといいますと、「畜養」というのは、卵をふ化させて、そこから育てていくのではなくて、海に出て稚魚を片っ端から捕って来て、それを育てている。そうするといつかは天然の環境の中に卵を産めるマグロがいなくなってしまいます。畜養を続けてトロマグロを作れば、簡単で非常に高く売れるので、日本向けの畜養はどんどん盛んになってきているといいます。養殖トロマグロを食べる時、私たちとしてはそのことも少しは考えていかなければいけないなと思いました。ここのところ、魚についてを調べていましたので、ちょっと魚の話が多くなってしまいました。食のむこうにあるさまざまな実態に興味・関心を持っていかなくてはいけないなと思っています。そして、それを子供たちにも伝えていかないといけないなと、そんなふうにも思っています。
最初の方でもお話したのですが、食に興味や関心をもつ、そして食べることを楽しむというのは、とても大事なことだと思うのです。一番の食育は、楽しい食の記憶を日々積み重ねていくことではないかと思います。生きていく中では、いろいろなことがあります。辛いこともあります。それでも、少しでも多く、楽しいな、美味しいなという食の記憶を積み重ねていけることが大事ではないかと思うのです。そういう記憶を積み重ねて暮らしていくことができれば、そんな楽しい、美味しい機会を持続させていけるような社会であって欲しいなという方に、最終的には気持ちが向いていくのではないかなと思っています。
イタリアのスローフード運動というのは、あれも結局、イタリアには各地にこんな美味しいものがあるのに、それが食べられなくなったらどうしようと、そこから始まっていると思うのです。スローフード運動は、もともとはフランスの食育を真似て立ち上がったものなんです。フランスではどういうことをやっているかというと、味覚の授業というものを小学校5年生を対象に、いろいろな学校で行っています。先ほどの五感で味わうというのと似通ったところがあるのですが、味覚の授業というのをやったり、地方ごとに伝わる伝統食を若い人たちが安く味わえるようにということで、毎年一定期間安く食べられるような工夫をして、伝統食を見直すきっかけ作りをしたりもしています。フランスの食育の柱は、味覚の授業を行なうことによって、きちっと作られたものの味が分かる人間を育てようというものです。美味しいものを美味しいと分かるというのは個人の趣味でももちもんあるわけですが、実はフランス政府が思っているのは、その先にあります。そういう味が分かる人間を育てていくことによって、そういうものを作る生産者、職人さんたちがこれからも生きていけると、そういった社会を作っていかなければいけないというわけです。フランスは観光大国でもありますし、農業大国でもあります。フランス料理を食べたいがためにフランスを訪れる人というのがたくさんいるわけです。それを国としてやはり守っていかなくてはいけないというのがあるわけです。少し前にも触れましたが、北欧は共働きが多い、離婚するケースも多いということで、いかに子供たちが自分で自分の食を確立していくかということを第一義に食育を進めています。
さて、日本ではどういうことを考えていったらいいのか。私たち一人一人が様々な食の側面から、これからどういうふうにしていったらいいかを考えなければいけなくなっていると思うのです。私たちが何を食べるかというのは、私たちの健康の問題だけではないということを、もう一度確認したいと思います。今日長い時間お話を聞いていただいたのですが、皆さんがそれぞれご自宅に帰られて、あるいは地域に帰られて、食育の試みをしていっていただければなと思います。栄養大学の先生とこの間お話をしていたのですが、その先生が一番懸念していらっしゃるのは、食育という言葉がこれだけ浸透してきていて、いろいろなところで食育の講座が行われているのですが、例えば、今日にしても食に興味のない方はいらしてないと思うのです。そして、私が食の探偵団をやっていても、そこにお子さんを送り込んでくる親御さんとか、あるいはお父様お母様ご自身で参加して下さる方々はすでに食に興味を持っていらっしゃる、あるいは自分の食をもっとこういうふうにしていきたいと、何かそういう問題意識をもっていて、さらに学ぼうという気持ちを持っていらっしゃる方々なんです。そういう方々の中ではどんどん食育が広がっていって、いい動きになっていると思うのですが、一番の問題は、そういったことに全く興味のないご家庭もあるわけですし、興味のない人たちにどうやって広げていくかというと、やはり私は学校だと思っているのですね。公立の学校で食育がきちっと楽しく行われていくならば、そのお子さんの家庭環境に関わらず、食の楽しさとか食の大切さということを考える、感じるきっかけの場をもってもらえることになると思うのです。今日は特に学校関係の方がいらっしゃいましたら、学校の先生ではなくても、PTAなどで関わってらっしゃる方はたくさんいらっしゃると思いますので、ぜひぜひ、そういう動きが盛んになっていくように、今日来て下さった一人一人の方が動いて下されば嬉しいなと思っています。
今日は感じる食育・楽しい食育ということで、お話させていただきました。長い間ご静聴どうも有難うございました。
 平成19年度 大阪府消費生活協同組合大会
 記念講演 感じる食育 楽しい食育~新しい食育の視点~

●食育って何?

みなさま、こんにちは。今ご紹介いただきましたフードコンサルタントのサカイと申します。今日は、感じる食育・楽しい食育と題して、お話をさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
食育と言った時よく言われるのは、「食育って昔から家で行われてきたのではないか」ということです。それがちゃんとできていないのは困るというわけです。特に少し年上の方々からすると、今の時代のお母さんたちが悪いというような方向に話が集約してしまうことが少なくありません。昔から家庭で行われていた食育というのは、例えば季節ごとのおかずがちゃんと食卓にのぼるとか、伝統的な家庭料理が継承されるとか、あるいは食卓でのマナーについて知らず知らずのうちに身に付いているとかといったことだと思います。そうした大切なことが家庭の中でうまく行われていないといわれているのです。
確かにそれは食育の大切な柱のひとつですが、今の時代に於いては、家庭の中で今まで行われてきた食育だけでなく、実は食育という範囲はもっと広くて、もっとたくさんのことを考えていかなくてはいけなくなっているのではないか?そんなふうに私は思っています。
今日はまず「食育って何なんだろう?」と私なりに考えてみたことをお話させていただきたいと思っています。
食育とは何だろう、ですが、先ほどご紹介いただいた中にもありましたように、私は2002年に「食の探偵団」というワークショップを立ち上げました。住んでいる横浜で、1年生から6年生までを男女混合で集めて、小学生を対象にしたワークショップとして始めたのです。
その後、横浜市の施設で声をかけていただいて3回連続の講座を行なうことになりました。施設の館長さんは講座中一度もお顔をみせてくださいませんでした。ところが最後の日、講座が終わったあとで私に声をかけていらしたんです。70代ぐらいの方だと思うのですが、「実は、僕は食育というものに反対だ。自分は戦後の食糧難を経験しているのだが、食育というのは、これを食べちゃあだめ、こんなものを食べた方がいいと、そういうことを教えているんだろう。そんなものは贅沢だ。そんなことを子供たちに教えて何になるんだ。」と私に向かっておっしゃいました。実際には、私のワークショップでは、何を食べてはいけないとか何を食べたらいいとか一言も言いません。ただ一般の方が持っている食育のイメージとはそういう感じなのかなと、その時思ったのです。私もまだワークショップを始めて間もなかったこともあって、自分の考えがきちっとまとまっていませんでした。その方にそういうふうに批判された時に、そのままそれを飲み込んで家に帰ってしまったのです。

●私たちは何をすればいいの?

■食育という言葉は100年前にすでにあった
それからしばらく、私が食育をすすめる意味って何なんだろうと考えました。そのことをこれからお話したいのですが、やはりその方の言葉を私は真摯に受け止めなければいけないなと思いました。何を食べるかとか、何を食べてはいけないとか、そういうことを議論できる私たちは、やはり恵まれた立場にいます。そのことを忘れてはいけないなと思いました。
皆さんもご存じの通り2005年の7月に食育基本法という法律ができました。この中では食育の定義として、「食の知識と食を選択する力を習得し、健全な食生活を実践できる人間を育てるもの」とあるのです。お読みになった方もいらっしゃると思うのですが、それを読んで、具体的に何をしたらよいのかを皆さんがイメージできるかというと、なかなか難しいところがあると思うのです。食育という言葉は、実は1903年、もう100年以上も前にベストセラーになった小説の中で使われていました。神奈川県の平塚市に住んでいた村井弦斎さんが書いた「食道楽」というレシピ付きの小説が当時ベストセラーになったそうです。春・夏・秋・冬とありまして、その内の秋の巻の中で食育ということに触れています。食育というのは、知育や体育よりも大事だと、そういったようなことが書かれています。そのまわりを読んでいきますと、村井さんが考えている食育というのは、自分の体の為に、自分が健康に生きていく為にどんな物を食べたらいいのか、ある意味栄養学的なこと、それがこの本の中では食育として捉えられていることがわかります。

■食を巡る状況は、100年前と今とではちがうところがいっぱい
100年前と今とでは、いろいろなことが変わってきています。食を巡る状況の変化ということで言いますと、例えば家族のありかた。私の娘も中学受験を経験しましたけれども、塾に夜遅くまで通って、例えば夜ご飯を週に3回ぐらい塾で済ませるという小学生のお子さんも、周りに珍しくありません。お父さんが仕事で遅いというだけではなくて、お母さんもフルタイムで働いているお宅もありますし、朝ご飯を食べる時間もそれぞれバラバラというお宅もあります。だんだん食卓で顔を合わせる時間は少なくなります。夜ご飯を家族みんなで食べたいと思っても、お父さんが毎晩11時過ぎに帰って来るので、どうやって子供たちと一緒に食べられるっていうんだ、そういった思いを持ってらっしゃる方がこの中にもきっといらっしゃると思います。そのように、家族のあり方というのは変わってきています。
次に、社会のしくみということを考えてみます。例えば私が子供の頃には、8時にもなればお店はみんな閉まってしまいました。夜になってお腹が空いたなといっても、お家に何かがあって、それを作って食べるということをしなければいけなかったのに、今だと、マンションの下のコンビニに行って何か買って来ようかなというだけで、夜食が食べられてしまうわけです。例えば中学生・高校生になると学校帰りにお腹が空いたら、お小遣いさえあれば好きな物を買って食べられますし、お父さんお母さんにしても、お店にいけば美味しいお惣菜が揃っていますから、今日は面倒くさいからとなれば、買ってきたものを食べることもできます。日本は今、手軽に世界中の美味が手に入る、そういう社会になっています。私の母の世代ですと、今日は疲れたから外食にしたいなと思ってもお姑さんの目も気になるし、なかなかそういうことはできなかったと思うのです。いい悪いはあると思うのですが、今の時代にあっては疲れたから、面倒だからと外食や中食にすることに対する罪悪感は、とても希薄になってきているのではないかと思うのです。また、外食グルメは、勿論楽しいことですが、今の日本ではそれが必要以上に強調されているようにも思えるのです。それから、例えば先ほど会長のお話の中にもありましたが、「赤福」、「白い恋人」、「ミートホープ」の話ですとか、溯れば雪印さんですとか、問題になりました。食品会社が大きくなるにつれて、人が食べるものを作っているんだという意識が薄弱になっている中で、食品会社全体のモラルの低さというのも今かなり取り沙汰されて来ていますし、注目を集めています。
3つめの「溢れる食情報」というところに話を進めさせていただきます。例えば棒寒天を食べると痩せるらしいという話が、去年テレビで盛んに言われていました。食の探偵団のワークショップで棒寒天を使おうと思って、お店に行きましたらどこに行っても無いんですね。みなさんもたぶんご経験なさっていると思うのですが、テレビで「何々が体にいい」とか「これを食べると体に効く」とか言うと、あっという間にスーパーの棚からその食べ物が姿を消すというのは、最近では普通のこととされています。テレビ放映があるということになると、関係の業者さんは前の日からお店に余分に入れる為に準備をしているという話も聞くぐらいです。それで、100年前はどうだったかというと、グルメ情報ですとか栄養情報といったようなものが、少なくともこれ程までに広く伝わるということは無かったと思うのです。
私の名前は片仮名で「サカイ」というのですが、これが本名です。夫が日系のアメリカ人なので、片仮名のサカイというわけです。そんなこともございまして、外国人のお友達が家にくることがとても多いのです。特に日本に長くいる外国人の方々は、日本のテレビも見ています。様々な国の方がおっしゃるには、「日本のテレビ番組には食べ物の情報が多い」とのことなのです。今は100年前と、ということで歴史的に見て話をしているのですが、実は地理的に見ても、日本のテレビ・雑誌その他に於ける食の情報量の多さは際立っているといわれています。これはマスコミ論を研究していらっしゃる大学の先生のデータでも出ています。もちろん悪い面ばかりではありませんが、今の日本における食情報の量の多さは、歴史的にも、地理的も、特異なことと考えられます。

■食べるっていうことにはいろいろな意味がある
さて、食育は、食の教育とか、食を育むとか言いかえられますけれども、食べるということの意味がどのように変わったか、変わらないかということについて、もう少し触れないと食育とは何かというのは分からないと思いますので、このように3つに分けてみました。
1つ目は、生理的・物理的な意味の食べるということ。ちゃんと食べ物を食べないと生きていけないとか、ある程度のバランスをもって食べていかないと健康でいられないというのは、100年前と変わっていないことです。
2つ目、情緒的というところで言いますと、「みなさんコショクという言葉を耳にしたことがある方いらっしゃいますか?」たくさんの方の手が上がっています。ありがとうございます。「コショク」の中でも、特に2つの「コショク」が大きく問題にされています。個人の個と書いて「個食」。それから孤独の孤と書いて「孤食」、2つが特に注目されています。私もこういった食育の仕事をしていますと、学校の栄養士の先生方とお話をする機会が多いのです。そうした方々が、10年以上前から学校の現場で問題になっている事の1つに、「共食観」、共に食べると書いて共食観、この共食観がない子たちがすごく増えているんだとおっしゃるんです。この共食観ってどんなことかと言うと、一緒に食べると美味しいとか、人と一緒に食卓を囲むと楽しいという気持ちで、そういう気持ちを持てないお子さんが年々増えているというふうにおっしゃるんです。先ほど言いました塾通いで夜遅くて、週に3回も外でお弁当を食べている。塾のお友達と食べているとは思いますが、家族で食卓を囲むことはその分少なくなっています。
先ほど個人の個とかいて個食というお話をさせていただきましたが、これは私の中の想定としては、例えば「おばあちゃまが季節の食べ物を作ってくれるんだけれども、茶色っぽい煮物ばかりで、子供たちがあんまりそういうものを好かないから、しかたがない、子供にだけはスパゲティーを茹でてあげるか」といったような状況だと思っていました。少し前に小学生男女8人の少人数の1週間空けて2回ワークショップを行ないました。それで、「来週までに、1週間のうちに食べたお味噌汁の具を書いてきてください」とお願いしたんです。そうしたら、その内の1人の男の子から「はい!」と手が上がりまして、「団長、お父さんが食べた味噌汁とお母さんのと、僕のと違ったらどうしたらいいですか?」というのです(会場笑)。笑いが出たということは、みなさんどういう状況かだいたいお分かりだと思うのですが、今はお湯さえ沸しておけば、私はあさり、私はほうれん草、私はわかめということができてしまうわけですよね。さらに言えば、今晩パスタにしようと言った時に、大鍋でお湯を沸かしてパスタを茹でておけば、私はボンゴレ、私はミートソースができてしまう。これは、立派な個食ですよね。そういうことが普通にできてしまう社会になっているのです。
これからお話することの方がもっと深刻です。孤独の孤と書いて孤食。私がこの仕事を初めてすぐくらいに、東京都の板橋区という所の小学校で栄養士をされている方とお話をしていた時のことです。初めてそういった事例を耳にしたものですから、今でも本当に忘れられません。彼女が私と会う前の日に、小学校4年生のある女のお子さんに元気がないことに気づいたのだそうです。それでいろいろ話を聞いていたら、夕食の話になったそうなんです。そのお宅ではお父さんがどうされているのか私もまた聞きで分からないのですが、お母さんはお仕事でもないのに、毎日家を留守にしているというのです。女の子が家に帰ると500円が置いてあって、その500円でその子は1人で夜ご飯を食べている。まだ4年生なので、たいしたものは作れないので基本的にはコンビニなどで買ってきて食べている。栄養士さんが聞いた話では、それがほぼ毎日だそうなんです。プライバシーの問題もあるので、「お母さんは一体何をやっているんですか?」と本人に尋ねるわけにもいかないし、そこまで立ち入ることができない。じゃあどうしようと思った時に、その子に500円の中でどんなふうに食べていったらいいのか、どうやったら栄養バランスが整って自分の体を作っていけるのか、どんなお店で買ったらいいのかといった話をするしかなかったとおっしゃるのです。
実は北欧の食育というのは、こういうパターンです。離婚も多いですし、共働きの率も高いので、3歳、4歳といった小さい子供のうちから、最低限これだけは食べないといけない、これは食べ過ぎてはいけないといった栄養の知識を身につけさせる。それから調理の知識、技術を身につけさせるというのが北欧の食育のメインになっています。
日本でもこうした食育が必要になってきているのではないかと思ってしまった事例です。板橋区というのは東京の中でも下町なんですね。ですから、ご両親とも実は商売をしてらっしゃるとか、そういうこともあってなのかなあと考えたり、やはり都会の場合はいろいろあるなあとも思ったりもしていました。ですが、その後、地方をいろいろ歩いている内に、例えば福島の山の奥に伺った時もそんな話を伺いましたし、新潟の田園地帯でも学校の先生から似たようなお話を伺ったんです。そういうことを考えると日本全国で、孤食というのも、実は私たちが思っている以上に多くなっているのではないかと、そういう思いを持ちました。
私たち以上の世代ですと、例えば接待で飲みに行った時に何か旨いものでも食わせれば、その後の商談がスムーズにいくかなと考えるとか、同じ釜の飯を食べるという言葉もあるくらい、食がコミュニケーションを育む手段だということが、言葉にしなくてもわかっていたと思うんです。ところが今は「食はコミュニケーションを育むものでもあるんですよ」という話をしないといけない時代になってしまったのかなと、そんな思いも私の中にはあります。
次の3つ目に行きます。社会的な意味での食べるについて例をあげてみます。私が朝ごはんに焼き鮭を食べたとします。そうすると、その鮭はチリから来ているかもしれないし、アラスカから来ているかもしれないし、ノルウェーから来ているかもしれないわけですよね。チリからの鮭ってみなさん召し上がったことがありますよね。この間みつけたデータですが、チリが輸出している鮭の90%以上が日本向けなんだそうです。凄いですよね。日本人が鮭を食べなくなってしまったら、チリの鮭業者さんのほとんどが失業してしまうわけです。
例えば私たちがエビを食べる。そのエビはインドネシアから来ているかもしれないし、フィリピンから来ているかもしれない。仮に、そういった国々に行ったことがあっても、じゃあエビの養殖をしているところを見たことがあるかとかというと、ほとんどの日本人がないと思うのです。たぶん100年前だと、もっと近くて小さな経済圏の中で私たちの食というのは終始していたと思うのです。あの辺りの港で上がったお魚を食べているとか、あの辺のお米を食べているとかが分かる状態だった。その漁師さんの顔が見えないまでも、なんとなく「あの辺の」という所までは分かっていたと思うのですが、今はそれが見えにくくなっていると思うのです。
そんな状況中で、今の時代だからこそ必要とされる視点ということで、2つ挙げてみました。食育ということを考える時に、今までにももちろん、例えば家庭科の時間など、様々な機会に、子供だけでなくて大人にも、栄養のバランスをちゃんと取りましょうという栄養教育ですとか、あるいは調理がちゃんとできないといけないねということで、―最近はもうそろそろ定年退職される年代の男性向けの料理教室もできているくらいですが―、調理の技術を身につけるということは、行なわれてきている食育です。
それから、例えば農業体験しよう、水産の現場を見てみようといったような体験。生協さんでもツアーを組んでやってらっしゃるところが沢山あると思うのですが、そういった体験型の食育もあります。あるいは最近ですと、食の安心・安全にかかわる講座。そういった食育も多く行なわれるようになりました。それもすべて大事なことなんですが、でもその中に視点としてこういったことがあるともっといいだろうなと思うことがこの2つなんです。

■今だからこその食育って?
1.食を楽しむ
まずは、食を楽しむ姿勢を養う。それから2つ目は食卓以前と以後に目を向ける。すでになされているところもあると思うのですが、今後さらに強調して行ければなと考えています。
それで、1番目の食を楽しむ姿勢を養う食育についてです。息子が小学校4年生なんですが、彼が幼稚園の時のことです。ポケモンってみなさんご存じですよね。その頃息子はポケモンがすごく好きで、ポケモンの名前を読みたいがために片仮名をあっという間に憶えてしまったんです。ポケモンの名前はみんな片仮名なんです。それで平仮名は読めないのに片仮名を先に憶えてしまったんです。ところが、小学校に上がってみましたら、漢字のポケモンがいないものですから、今漢字テストは手こずっています。やはり好きっていうのは大事ですよね。
例えばプロ野球が好きなお父さんですと、自分が好きな球団だと10年も前の試合を事細かにしゃべれる方っていらっしゃいますよね。それも一生懸命勉強したからではなくて、好きだから自然に頭に入って来てしまう、そういうものだと思うのです。私も食いしん坊なので、食べ物の名前だけはよく入るんです。食を楽しむ姿勢を養うためには、食に興味や関心を持てるように、そのきっかけを作るということが大事です。栄養学が専門のどんなに偉い先生がいらして、どんなに素晴らしい授業をなさっても、食に全然興味が無いとしたら、その授業を受けたところで何も入ってこないと思うのです。右から左に抜けて行ってしまう。でも、例えば病気を抱えている時に、その病気にはこれを食べるといいといったことを教えてくれる講演会に行ったとします。そうしたら、きっと逐一メモして全部覚えて帰ろうとすると思うのです。興味関心の強さが、成果に大きな影響を与えると思うのです。ということで、食を楽しむ姿勢を養うということを1番目に挙げています。
食卓の以前と以後に目を向けるということについては後ほどお話させていただきます。その前に食育への入り口を増やそうということで、少しお話をさせていただきますと、学校の授業の中でも言えることなんですが、真正面から真面目に説明をされても「……ん?」と思っていたのが、全然違う方向からアプローチした時に、同じことが急に面白く感じられることってあると思うんです。例えば英語の勉強をしている時に、文法は面白くないなと思っていても、お隣に外国の方が越してきて、その方が英語を話すとなると、一生懸命話そうとしますよね。それから、好きなハリウッドの俳優さんがいて、その俳優さんの映画を見て、そのセリフをそのまま聞き取れるようになりたいと思ったら、一生懸命やりますよね。例えば、それは入口が映画だったり隣の人だったりということがあると思うのですが、自分の好きな話題だったら、同じに英語を勉強してもすごく入ってくることがあると思うんです。
ところで、今朝の朝日新聞の朝刊だったか昨日の夕刊だったか忘れてしまったんですけれども、学校の総合学習の時間がゆとり教育の見直しからだんだん短くされようとしているとありました。総合学習の時間すべてとは言わないのですが、これを食育に充てていた学校もずいぶんあったと思うんです。栄養士さんや学校の食育の担当者の方から「総合学習の時間がなくなってしまったら食育もしぼんでしまうのかなあ」というようなご相談を受けることがあります。食育を独立させて時間がとれないのなら、他の教科とのチームティーチングをやったらどうですかとお話しています。私も、学校での食育を想定して、授業案をお出ししたりもしているのです。
例えば「ゆで卵の体積を測るのはどうやったらいいかな」って、すぐ思い浮かびますか?体積を測るという勉強が学校であるとすると、「ゆで卵の体積ってどうやって測るのだろう?」という授業は興味をひくと思います。お水をビーカーの中に入れておいて、外にお水を受ける入れ物を置いておきます。ビーカーの中にゆで卵を入れてやれば、溢れた水の分だけがその体積になるからそれを計ることでできますよね。今世界中で食べられている寿司を使いまして、「魚はどこから輸入されているのだろうか」といった社会科的なアプローチ、寿司の漢字となれば国語的なアプローチ。理科ということで言いますと、「魚はどんなふうに回遊しているんだろうか」とか、「何歳位で産卵するのだろう」といった魚の生態など、いろいろなことがそこから派生して考えられると思うのです。寿司の歴史もありますね。そんなことを考えると、食はいろいろなことと関わっていますので、さまざまな切り口を用意することによって、子供たちあるいは大人たちの興味・関心を引くことができるのではないかと、そんなふうに思っています。生協さんの中でも勉強会もあるでしょうし、食育のコーディネーターとして活躍していらっしゃる方も今日きっといらっしゃるとは思うのですが、そうしたさまざまな視点を是非工夫してみてください。
食を楽しむ姿勢を養う食育ってどんなことだろうか。まず、これからもう少し詳しく考えてみたいと思います。私が行っている「食の探偵団」というワークショップはこれにできるだけ特化してやっていきたいと考えています。先ほど申し上げた、例えば栄養の勉強ですとか調理の実習ですとか、そうしたことが種を蒔くことだとしたら、食を楽しむ姿勢を養うというのは、土を耕すことなのではないかなと考えているのです。
具体的にご紹介しながらお話します。まずは、先入観をそぎ落として、自分の五感を意識してみようというプログラムです。食べるということはそもそもお腹が空いた時に何か食べ物が入ってきて「美味しい」とか「嬉しい」とか「あ~お腹が一杯になった」とか、快感なわけですよね。私たちは食べものを味わうとき、五感を使って感じています。ということで、しっかり自分の五感を意識して、食べ物と付き合ってみようということを最初のスタートに置いています。もともと食の探偵団を始めようと思ったきっかけをお話すると、子供が小さい頃から、自宅で赤ちゃん連れでもOKという料理教室を7年程やっていたんです。7年やっている間に、いろいろなお子さんに会うこともありましたし、いろいろな親御さんを見てきました。そういう中で、これは親への料理教室だけではなく、子供にも直接伝えたいなと思うようになりました。私が手作りの梅ジュースを出したときに、「これ何?」と子どもにきかれて「梅ジュースよ」と言うと「じゃあいらない」と答える。「梅ジュース嫌いなの?」と聞くと「飲んだことない」。飲んだことが無いからいらないというのです。お父さんと小学校1年生のお子さんとが遊びにきてくれたとき、家でお餅を用意していたんです。「何のお餅食べたい?」と聞いたら、その子は「きな粉」と答えました。するとお父さんが「止めとけ」って言ったんです。「きな粉はお前の嫌いな味だから絶対残すから」って言うんですよ(会場笑)。でも、前に嫌いだったとしても、みんなと一緒に食べたら美味しく食べられるかもしれないじゃないですか。今笑われた方が、たくさんいらしたんですけれども、実は私たちって、ついそういうことをやっていることがあるんです。食の探偵団で、ゆで卵をどんなふうに食べたらおいしいか試してみようというプログラムを行なったことがあります。塩、醤油、マヨネーズ、味噌、酢、砂糖等々を用意しまして、あとチュニジアではクミンというスパイスとお塩を混ぜたものを付けて食べるのが普通だときいたのでそれも用意してみました。小学校2年生のあるお嬢さんが一番おいしいと思ったのがクミン塩だったと言うのです。その後、お母様とお話をする機会があったのですけれども、お母様は「ウチの娘はスパイス類なんか大嫌いだと思っていたのに」とおっしゃるんですね。私たちは知らない間に、子供はこういうものが好きだろうと思いこんで、その子の食の世界を狭めてしまっていることってあると思うのです。
ちょっと余談になりますが、山菜で有名な宿に泊まったときのことです。予約の電話の時にお子さんは何歳ですかと聞かれて、「ではお子様用の食事を用意しておきますね」と言われました。私もちゃんと尋ねれば良かったのですけれども、山菜料理のお店なのに、子供の皿の上には山菜は1つもなく、エビフライ、ハンバーグ、コロッケでした。「(山菜料理でも)料理の量を少なくすれば大丈夫ですか?」とか、あるいは「山菜1皿くらいはいけますか?」とか、せめて聞いて欲しかったなと思いました。何も聞かずにエビフライというのはひどいじゃないかと思ったものです。私たちは、つい思い込みで子どもは山菜が嫌いだろうと思ってしまうんですね。でも、食べたら好きな子もいるかもしれないですよね。
ちょっと長くなりましたが、そういったことで、食の探偵団というのは、先入観に縛られ過ぎない、親も子供も先入観に縛られないでもっと直接に食べ物と関わっていこうよと、そんな思いで始めたものですから、自分の五感を意識するというのと、先入観を削ぎ落とすということがプロブラムを考える時の大きな柱なんです。
五感を総動員するというプログラムの写真を見ていただきます。これは「宇宙人に伝えてみよう」というプログラムです。何で宇宙人なのかというと、宇宙人は日本の習慣を知りません。例えば、写真の子はお煎餅を食べているのですが、宇宙人は米のことを知らないので、「米から作られている」といっても意味をなしません。そういうかせを作りまして、五感で今感じたことだけをしゃべろうというものです。でも宇宙人は日本語は堪能じゃないと困るんですが……。この子はお煎餅を食べて「甘くて、美味しい」「じゃりじゃりしている」「色がオレンジっぽい」「形が丸い」「中が白い」「でこぼこしている」というようなことを書いています。ちゃんと五感を使いながら食べるとたくさんの言葉が出てくるわけです。これは、子供だけではなくて、大人にもやっていただいているプログラムなんですが、大人の方が実は大変なんです。つい、ちょっとはかっこつけたいとか、変なことを言って笑われたりしたらどうしようという思いが強いということもあり、また、今まで獲得した知識が子どもよりたくさんあるので、それに引きずられてしまうのです。例えばアンチョビ。いわしを塩漬け、あるいはオイル漬けにした発酵食品です。それを食べてもらった時のことなんですが、普通だったら、最初にしょっぱいとか茶色いとかが出てくると思うのです。ところが一番初めに出てきたのが、「イタリア料理にして食べると美味しいと思います」。これは先入観なんですよね。私はフードコンサルタントとして、レシピを作るのも仕事です。そんなとき、アンチョビはイタリア料理にしか使えないと思っていたら、それ以上広がりません。これは完全に先入観です。例えば誰かに「***はまずい」と言われると、そのまずいというのが頭の中で渦巻いて、どんなに美味しくても、まずいと思ってしまうということもあると思うのです。私たちはつい情報に引きずられがちですので、先入観をできるだけ削ぎ落とすために宇宙人に伝えてみようというプログラムをやっています。
今ご紹介したプログラムでは五感を総動員したんですが、五感のうちの1つだけを使うということもしています。例えば、匂い当てクイズ。これは、嗅覚のみで味わいます。中身が見えない入れ物の中に食べ物を入れていただいて、アルミホイルで蓋をして、楊枝で穴をあけるだけで準備完了です。自分で入れて自分で匂いを嗅いでもしかたがないので、他の方にやっていただくことになります。匂いだけで食べものを当てようと思うと、なかなか難しいんですね。みなさん、毎日ご飯を召し上がっていると思うのですが、ご飯の匂いが分かる方って驚くことに半分以下なんです。ぜひ今度試してみて下さい。例えば3種類用意して、今日はご飯と海苔と鮭が入っていますと言うと、絶対みなさんわかるんです。でも、何にも言わずに食べ物が入っていますから、匂いを嗅いでくださいと言うと、分らないんです。すごく難しいんです。例えばマイタケをいれた時に必ず出てくるのが、ブランデーケーキ。ブランデーケーキの匂いって言うんですよ。蓋を開けると「え~!」ってみなさんおっしゃるんです。ぜひやってみて下さい。たぶんいろんな匂い成分が科学的に分析するとあるんだと思うのです。この匂い当てクイズは当たった当たらないが大事なのではなくて「あっ、この香りは前に嗅いだことがあるな。何の匂いなんだろう。」と探ることとか、自分の中で、「この香りはなにかに似ているような気がする」とか、嗅覚に集中してそれを味わうプロセスが大事だと考えています。
さて、五感のうちの1つを使うということで、触覚のみで味わうということもしています。この写真は横浜で行ったものですが、夏だったのでゴーヤを入れてみました。ゴーヤって知らないお子さんがたくさんいらっしゃるんですよね。「とうもろこし?」「ゴム人形?」とか言いながら触っています。最終的に箱の中からとり出して、これがゴーヤと言うんだと言って、切って、料理して、食べてみます。ゴーヤなので好き嫌いはあってしかたないとは思うのですが、ゴーヤというものが深くインプットされるのは確かだと思うんです。例えば料理教室をする時に、今日の材料はこれだよと手触りクイズをやってみる。あるいは匂い当てクイズをやってみるということをすると、惹きつけられ方が違うので試してみていただければと思います。
1か月ほど前に大人を対象にして触覚のみで味わう「手触りクイズ」をやった時に、新生姜の時期だったので、新生姜を入れてみました。1人1人触って頂くということもあるんですが、人数が多い時は代表の方に来て頂いて、触って感じたことを言葉にして頂くということをするんです。聞いている皆さんには「いったい何を触っているんでしょう?」と当てて貰うのですが、新生姜を触っている方が「毛が生えてる」って言ったんですね。私が箱に入れているので、私には何が入っているか分かっています。「え?生姜に毛なんて生えていたっけ?」と思ったのですが、実際取り出してみたら、その新生姜には毛が生えていたんです。手で分かることって実はたくさんあって、形や温度が分かるし、質感はもちろん分かりますし、大きさも重さも分かります。例えば、皆さんが食事の後片付けをする時に、きれいに見えていても触ったら"ざらっと"とか"ぬめっ"ということがありますよね。実は手の方が目よりも分かることってあると思うんです。
赤ちゃんって、みんな何でも口に持って行きます。それは、きっと口で触った感覚で、これは何だろうと自分の世界を探索していると思うのですが、私たちはだんだん大人になるにつれて、1度経験したことは分かっているので、目で見て通り過ぎてしまうのです。
一度意地悪をしたことがあります。箱の中にトマピーという野菜を入れたことがあったんです。ピーマンやトマトや、形が少しカボチャに似ていますのでカボチャとか、ちょっと触ってすぐにわかったと手をだしてしまう方がほとんどだったんです。その後で、実はこれはトマピーですと言ったら、皆さん「え~!」っておっしゃるんですね。よく触ってみれば、カボチャとは違って中が空洞だし、ピーマンより横に広いし、トマトだったらそんなにデコボコしていないし、わかったと思うのです。でも、通り過ぎてしまうのが癖になっているんでしょうね。たまには立ち止まってみるのも大事かなと思って、こんなプログラムをやっています。
「音当てクイズ」というのもあります。子供たち10人位でやった時、お茶っ葉や米、パン粉などを中の見えない筒に入れて振った音で探るのですが、わかるんですよね。聞き分けます。
それから、例えば自分の好みの味を見つけるというようなこともやっています。この時はある会社が作っている牛乳を5種類集めてみたんです。無脂肪の牛乳とかジャージー牛乳とか、「おいしい牛乳」とか、産地限定の牛乳というのもありました。私も、ジャージー牛乳は濃いというイメージがあったのですが、飲んでみるとジャージー牛乳って他の牛乳に比べてサラッとしていたんですね。やはり自分で食べ物と直に向かい合ってみるのは大事だなと思います。別に牛乳ではなくても、オレンジジュースでもケチャップでも豆腐でも何でもいいんですけれども、こういった事をしてみるのも食べ物との楽しい付き合い方の1つかなと思っています。
さてもう1つここで、感じたことを言葉にしようというプログラムを紹介させていただきます。食の探偵団は、言葉にこだわっています。言葉がどうやってできてきたかということを考えてみますと、例えばイヌイット、昔はエスキモーと呼んでいたのですが、そういう人々には、氷や雪に関する言葉がすごく多いと言われています。それはきっと、そういう環境で暮らしてきたからですよね。私たちが考えるよりずっと細かくその差を見分けることができなければ、もしかしたら命に関わるかもしれなかった。だからこそ、それだけたくさんの言葉が生まれたと思うんです。フランス語では、香りに関わる言葉が多いと言われています。それから日本に在住の韓国料理研究家の方が書いてらっしゃってとても面白いなと思ったのが、韓国語には味わいを表す言葉がとても多いということでした。例を挙げると「甘い」という言葉だけで12種類あるというのです。その12種類の甘いという言葉を言えば、韓国人みんながどういう甘さかということが分かるということですね。日本も例えば修飾語をつけることによって、どういう甘さかということをいろいろに表現できると思うのですが、それにしても12種類も区別がつくかなと考えると、無理な気がするんですね。
それでは、日本語には何が多いと思いますか?実はこれも研究がありまして、触感を表す言葉がとても多いそうなんです。よく考えてみると「しっとり」とか「ふわふわ」とか「ポリッ」とか「カリッ」とか「コリッ」とか「べたべた」とか「ねばねば」とかありますよね。そういう言葉がすごく多いそうなんです。そう考えて来てみますと、それぞれの国でそういう言葉が発達して来ているというのは、そうした事に対して繊細なセンサーを持って人々が暮らしてきたからだと考えられると思うのです。ですから言葉は食文化ではないかと、そういうふうに思います。
これは、余談なんですが、私の夫は、先ほど申し上げたように、日系のアメリカ人で、2世なんですね。親は2人とも家では日本語をしゃべっていました。夫はアメリカの学校に行っていたわけですが、小学校の1年生に上がる時に語彙力テストがあるそうです。これは、英語ができなくて授業についていくのが大変な子どもをサポートするために、そういう子を見つけるために行なうのだそうです。これは夫の母から聞いたのですが、親2人ともが英語を母国語とするお宅に比べて、そうでないお宅は語彙がとても少なかったのだそうです。もちろん学校に入ってから、勉強したり読書したり、友達と遊ぶ中でどんどん獲得してはいけるはずですが、とくに幼い頃は、周りの大人が話している言葉が子どもにインプットされます。子供たちにたくさんの言葉を投げかけてやらないといけないと思いました。よく食育というと「俺、料理できないから女性におまかせ」という男の方もいらっしゃるんですが、言葉を投げかける事というのは、料理のできない人にもできます。子供たちの周りにいる私たちができるだけたくさんの言葉を使うことによって、子どもたちの語彙は増えていきます。「ほんとに最近の子供たちは語彙が少なくって」っていう批判は、いつの世代にもあることで、私も親にそう言われて育って来ましたが、周りにいる大人の責任でもあると思うんです。聞いて分かる言葉に比べると、使っている言葉はよくよく考えてみると、割と限られているのではないかと思うんです。それを、心がけてできるだけたくさんの言葉を口にだしてみるということもしてみたらいいのではないかなと思って、食の探偵団の中では感じたことを言葉にしてみようということも1つの柱にしています。
さて、「食感をつかむ、語感をつかむ」というプロブラムです。例えば「カリッ」と言ったら、どんな食べ物を想像するか、ちょっと考えてみて下さい。どれだけたくさんの食べものを時間内にあげられるかをゲーム形式でやると盛り上がります。逆に「カステラ」と食べものの名前を言った時に、どんな言葉が出てくるか、どんな言葉でカステラを表すことができるか。例えば「ふわふわ」とか「しっとり」とかいろいろな言葉がでてきますよね。「ザラッ」と言った人がいたんですが、ザラメの部分ですよね。「がさっ」とかいう人もいました。古くなったカステラだったんですかね。というふうに、カステラ1つとっても修飾語によって、いろいろなカステラがイメージできます。
次の写真は身近な食べ物の正体を探ってみようというプログラムです。例えば、ヨーグルトに混ざっているジャムの正体をあててみます。ある時、これも小学生を対象にした会だったのですが、ジャムを5種類用意しました。私は意地悪なので、桃とかブルーベリーとかわかりそうな物を2つ、1つはウチの自家製の生姜ジャム、それとお店で見つけたトマトのジャム、それから紫いものジャムを用意しました。「この5種類を食べてみて、いったい何のジャムか当ててみよう」というわけです。ブルーベリーや桃は正解が出ると予想していましたが、しばらくやっているうちにトマトのジャムも言い当てました。紫いものジャムはかなり手こずったのですが、ある子が「いもの匂いがする」と言ったんですね。そしたら、もう1人が、「じゃあ紫だから紫いもだ」と最終的には当てたんです。生姜のジャムは香りが強烈なので、すぐにわかったのですが、さすが小学生だと思ったのは「これわかるよ。わさびでしょ。」という子もいました。可愛いなと思って聞いていましたが・・・・・・。じっくり探ることでわかるんですよね。私たちは普段感覚をあまり使っていないだけで、じっくり五感を使えば、思っている以上にいろいろなことがわかるものなのです。
ところで、皆さんの中でまつ毛が気になって日常生活に差し支える、何を見るにもまつ毛が目に入って大変という方はいらっしゃいます?ほとんど、いらっしゃらないですよね。でも、前に1人手を挙げた方がいらして困ったなと思ったことがあったのですが(笑)。一生懸命見ようと思えばまつ毛は見えると思うんです。でも、普段は気にならないですよね。それは、なぜかと言いますと、脳科学者によれば、脳が、「まつ毛はここにあるけれど意識しなくていいよ」と命令しているそうなんです。例えば、臭い部屋に入った時に、最初臭いと思っても、そのうち気にならなくなるという経験ってありますよね。それも脳が「もう臭さを気にしなくていいよ」と指令しているというのです。臭いの件はテレビで観たのですが、私たちが実際意識しなくなってからの時間も、脳はずっと臭いと感じているそうです。つまり、どういうことかと言うと、私たちはこれだけ音がたくさんある、臭いがたくさんある、色がたくさんある、形がたくさんある世界の中に生きていると、五感を知らず知らずのうちに閉じているんですね。意識しなければ脳が勝手に閉じてしまう。繁華街を歩いていると、どんな音がしても耳をそばだてることは余りないと思うのですが、山の中にいて遠くの方から鳥の声が聞こえたというと耳を澄ませますよね。意識することによって耳はまた開くと思うのです。
そんな事もあって最初に戻るのですが、五感を意識するというのは大事だなと、毎日食べるという中で、五感を開くということもしていきたいなという思いもあります。
話が前後してしまいましたが、次の写真は味噌を試食しています。お味噌と一口に言ってもいろいろあります。食べてもらったあとで、原料の違いですとか、熟成期間の違いで違うんだよといった話をします。味噌は何から作られているのかという話もします。ちょうどこの時はたまたま手に入ったのですが、タイのタオチオというお味噌に似た調味料と、韓国のテンジャンというこれもお味噌に似たものなんですが、そちらも用意して食べてもらいました。そうしますと、日本だけではなくて、他の国でも似たようなものが食べられているんだなあということも自然と理解してもらえます。これも、味噌だけではなくて、お酢だとか、お醤油ですとか、自分の身近にあるものを改めて探ってみるのは面白いです。恥しい話ですが、私は、成人するまできな粉が何からできているのかを考えたことがなくて、知らなかったのです。身近にあって普通に食べているのに考えもしないことってありますよね。それを顕在化させるということも大事なことだと思っています。
さてこの写真は、雑穀を食べ比べた時のものです。一番左は、日本で伝統的に食べられてきたものではなくて、アメリカやカナダのインディアンが食べていたワイルドライスです。あとは、きびとか粟とかひえとかが並んでいます。今は雑穀米を召し上がる方ってたくさんいらっしゃると思うのですが、混ぜて炊くだけで、それぞれの味を知らないという方も実は多いのではないかと思います。それぞれを食べてみると、もちきびなどは「なかなか美味しいじゃない」とか言って「こんなふうに作ってみたいわ」とか「こんな料理に適していそう」という声も上がりました。その後、それぞれの雑穀をつかってイタリア料理のフルコースを作っていただきました。普段の食事はついマンネリ、という声はよくききますが、食の世界を探検してみようというのも大事な試みではないかと思っています。
さて、自分の手を使い頭を使って、料理を作りだしてみようという調理実習的なプログラムは、食の探偵団でもやっています。ただ、普通の料理教室と違って、自分でレシピを考えてもらうということもしています。例えばおにぎり。ご飯をなんらかの形に形作る、生ものを使わないというだけのルールを作りまして、好きなようにおにぎりを計画しようというプログラムがこの写真です。この子はサイコロの形のおにぎりを描いています。ポケモンのピカチューの形に作りたいという子もいましたし、串刺しおにぎりを作りたいという無謀な(!)計画を立てる子もいました。はじめは作りたいおにぎりを絵にしてもらうのですが、ただ絵を描くだけではなくて、どんな食材で、どんなものを使って、どうしたら自分が思ったとおりのおにぎりが作れるかまで書き出してもらいます。小学校1年生でも書く子は書きます。次の週に実際にそのおにぎりを作ってもらいました。そうすると、自分が書いていた時には全然思いもしなかった、いわゆる「想定外」のでき事に遭遇するわけです。私が見ていた班では、モスバーガーさんのライスバーガーのようなものを作ろうとしていました。ライスパテを焼きおにぎりにしようというわけです。3枚の薄い焼きおにぎりを作り、間にサラダを入れて、3段のライスバーガーにしたいと計画した子がいたのです。まずはどうやって型を取るかということから自分では考えていなかったというので、こちらでセルクルという型抜きを用意しておきました。それでご飯を丸く抜きました。そのあと、抜いたのはいいけれど、そのご飯をフライパンに移すにはどうしたらいいだろうかということになりました。まな板にくっついてとれないとか、フライパンに乗せたのはいいけれど、ひっくり返そうと思ったらひっくり返せない。そういう中で班の中でお互いに協力し、相談して、工夫しながらやっていくわけです。でき上がった時には、半分涙目の子もいたぐらいでした。絵に描く、やり方を想像して書き出してみるというプロセスを入れることによって、準備されたレシピに従ってつくってみるというただの料理教室ではなくなります。
次の写真は、もっと小さい子でもできるお絵かき蒸しパンのプログラムです。蒸しパン生地のレシピはこちらで用意します。先ほどのおにぎり計画と同じで、最初に蒸しパンの絵柄をデザインしてもらうんです。絵柄をデザインするに際しては、いろんな色の甘納豆を集めまして、これでやるんだと見せます。甘納豆の良いところは手でちぎれます、つぶせます。なので、本当に小さいお子さんでもできるのです。実は大人もかなり夢中になってやってくれます。器の中に油をぬりまして、そこに甘納豆で自分の絵柄を描いていきます。その上に蒸しパン生地を流して蒸します。蒸し上がりに竹ぐしを回して取ると、絵が出てきます。思ったとおりにできているかが最後までわからないので、期待感をもって取組んでくれます。
これも余談ですが、甘納豆って食べたことがないお子さんって多いんですよね。普通にお菓子として出したら、豆が嫌いな子は多いので、食べないお子さんは多いと思うんですが、このプログラムで、今までに甘納豆が嫌いで食べたくないと言った子は誰もいません。好き嫌いをなくすにはどうしたらいいんですかとか言う質問を良くいただくのですが、料理の素材として使って一緒に作る経験をさせるというのも一つの手かなと思うのです。
次の写真は、ケチャップを作っているところです。ケチャップって市販で買う方がほとんどだと思うのですが、実際に作ってみると楽しいんですね。この時は地元のトマト農家の方に朝取ったばかりのトマトを持ってきていただいて、トマトケチャップを作るということをしました。写真の一番向こうの男の子は湯むきという作業に感動しまして、1人で7個か8個やりましたね。ちょっと切れ目を入れて、お湯の中に入れると、皮がペロってむけますでしょ。「うわ~!」とか言って喜んでいました。その後、お母さんとお話したとき、「毎年夏にはトマトでケチャップを手作りすることになりました」とおっしゃっていました。というようなことで、食の探偵団のプログラムを紹介しながら、食を楽しむ姿勢を養う食育の例としてお話させていただきました。

2.食卓の以前と以後に目をむける
次に、食卓の以前と以後に目を向ける食育ということで、お話をさせていただきます。今の時代だからこそ必要とされる食育への視線ということであげた1つ目は食を楽しむ姿勢を養う、興味・関心を引き出すといったことだったのですが、その2つ目が食卓の以前と以後に目を向ける食育。これについて考えてみたいと思います。
いきなり政治の話になりますが、ブッシュ大統領がバイオエタノールの事業を進めて行こうという決定をしたことで、日本の豚肉や大豆の値段、小麦の値段が上がっているのは皆さんご存じのことと思います。夏前位から食品の大幅な値上げになってきています。少し前の事になりますが、例えば鳥インフルエンザだとか狂牛病、そうした影響で、例えば吉野家の牛丼が食べられなくなったり、鶏肉がお店から姿を消す時もありました。今朝、日経新聞で読んだのですが、オーストラリアが2年続いてのひどい干ばつとのことです。去年も干ばつで小麦が取れなかったんですよね。皆さんご存じだとは思うのですが、日本は小麦のほとんどを輸入しています。輸入先はアメリカ・カナダ・オーストラリアです。アメリカとカナダで不作が続けば小麦の値段は上がります。あるいは今回のバイオエタノールの件で、とうもろこしが高く売れるからと、とうもろこし農家への鞍替えが進めば、小麦や大豆の畑がとうもろこし畑に変わってしまって、これでもまた小麦の値段が上がります。実はアメリカ・カナダと南半球のオーストラリアとでは小麦が取れる時期が違うのです。アメリカ・カナダがだめならオーストラリアの小麦があるさという気持ちがあったと思うのですが、昨年の干ばつが100年に1回というほどのひどさと言われていたのに、今年はさらにひどくて、日経に書いてあった数字を見てびっくりしたのですが、メルボルンの降水量は平年の33%しかなかったというんですよ。それによって、どういう事が考えられるかというと、草不足で家畜が育たない。小麦もちゃんとできない。だから日本の小麦粉の値段もさらに上がると言われていますし、牛肉の値段も上がると言われていますし、それから、私も記事を読むまで知らなかったのですが、日本で消費されているチーズの6割から7割がニュージーランドも含めてオセアニアからだそうです。ということは、チーズの値段もかなり上がってくるということが考えられるわけです。ここしばらくのいろいろな食のことを考えると、例えばアメリカの政治やオーストラリアの干ばつやといった、社会が私たちの食卓に与える影響というのは顕在化してきています。一方でその反対に、私たちが何を食べるかということが社会を変えている部分も意識していかなければならないと思うのです。

■何を食べるかは個人の問題にとどまらない
ということで、私たちが何を食べるかということで世界が変わって行くということをここに書かせていただきました。最初にお話をしたのですが、私たちが何を食べるかというのは、自分が健康に生きていく為には何を食べたらよいかということだけを考えていたらいいわけではないし、伝統的な料理が継承されていかない、それについてももちろん考えていかなければいけないことですが、それだけではない。何を食べるかということは個人の問題に留まらない時代になっているということを、私たちは、きっちり認識していかなければいけない時代にあるなと思っています。
具体的に少しお話をさせて頂きます。例えば、農業と環境との関係ということで例を挙げさせていただきました。稲3株・ご飯が1膳・赤トンボ1匹と書かせていただいたのですが、これは宇根豊さんという方が話していらしたデータをもとに、こんなふうにしたら分かり易いかなと思って私が書いてみたものです。稲3株分の環境があると、赤トンボが1匹育つと言われています。それから、品種によっても多少違うと思うのですが、稲3株分で取れたお米を炊くと大体ご飯1膳分になるといいます。ヤゴが育たないとトンボにならないわけですから、農薬をかけてしまうと困るのですが、農薬のかかっていないお米を炊いて1膳食べるということは、赤トンボを1匹育てることにもつながるのではないかと考えられると思うのです。もしも、食というものを自分の体にとって何がいいかという視点だけで考えていたら、アメリカのオーガニック米を食べても、日本の有機米を食べても同じです。でも環境という視点も考えると、アメリカのお米を食べても日本に赤トンボは増えません。日本のお米を食べることで、はじめて日本に赤トンボが増えるのです。栄養とは違う視点があることで、結果にこんな差が出て来るわけです。今、米のことにだけ触れましたが、農作物それぞれに対してこうした関係が、実はあると思うのです。
「森は海の恋人」という名前で活動しているグループがあります。カキの業者さんが、海を豊かにするためには、森をきちんとしなければいけないということで、森の整備から始めて海をよくする活動を続けています。水田は自然のダムだと言われています。土地が保水力をなくしてしまうことで、土砂が海に流れ込んだり、あるいは森がなくなることでミネラル分が海に届かなくなったり、私たちの回りの自然はつながっているということも意識していかないといけないと思うのです。
さて、こんな例示もしてみましょう。例えば、食べ物と国際関係、どんな関係があるのということで、先ほどチリの輸出用の鮭が90%以上日本向けだというお話をしたのですが、それも日本人がこれだけ鮭を食べるから、「チリではあんまり食べないけど、日本で売れば儲かるぞ」ということで鮭の産業が育ってきて、9割以上が日本に来ているという現状があると思うのです。
また米の例で恐縮ですが、93年の米不足の時に、タイ米を食べたことがある人?はい、ありがとうございます。私も食べました。その当時、私たちは食べ慣れないこともあって、臭いとかまずいとか、大騒ぎでした。こうやったら美味しく食べられるというような料理本も出ましたよね。タイは世界で1番のお米の輸出国なんです。その時実際、外の世界で何が起こっていたかというと、普段タイから米を輸入している国々では、私たち日本人が米を緊急輸入したために、米が足りなくて米の値段があがって大変だったそうなのです。タイでは米がいっぱい穫れるらしいから、お金を払って持ってこようということで私たちは持ってきたわけです。私も当時は外の世界で何がおこっているかなどまったく意識していませんでした。ただ、その後たまたまタイの山村に子供2人を連れてホームステイに行った時に、その話が出まして、そうした事実を意識したことすらなかったことが、日本人としてとても恥ずかしかったです。私はタイの料理が好きなので、「まずい、くさい」というよりは、「タイ米が安く入ってラッキー」と思っていました。でも他の世界で何が起こっているということには考えが及ばなかったことでは、同じです。これだけ世界中からさまざまなものを輸入している日本ですから、同じようなことを、きっといろいろなところで私たち日本人はしていると思うのです。例えば、先ほどちょっと話しましたが、日本人のエビ好きについては問題視されています。マングローブをどんどん伐採して、「日本人がいっぱい食べるから、もっと早くもっと安く作れば儲かるぞ」ということで、抗生物質を入れたり、海の中をコンクリートで埋めてしまったり、栄養剤をいれたり様々やっているらしいのです。それが、今インドネシアのマングローブをどんどん少なくしている原因の1つだと言われています。生協さんではエコシュリンプを取り扱っていらっしゃると思うのですが、エコシュリンプはそうした方法ではなくて、元々の「粗放養殖」というやり方に近いものを行っています。エビを小さい池に入れるのではなく、塩田と同じで海から水が入ってくるような形で、できるだけ自然に近い環境で育てるということをすると、どうしても価格は高くなってしまう。でも、考えてみれば私が子供の頃はエビフライなんて、年に数回しか食べられないご馳走だったんですよね。今は本当に「今日エビ食べたいな~」という感じで買えてしまいます。戻ることはできないのですが、これだけ手軽にエビをたくさん食べられるというのは、おかしいことであるという認識はしないといけないのではないかと考えています。
私たちが何を食べるかということと、国際関係もまた関係しています。食べ物はどこからくるのかを意識したことが無いというのはやはりまずいのではないかと思うのです。この間、娘が通っている中学の宿題で、鶏肉の値段とその鶏肉がどこから来ているかを調べるというのが出ていました。「こんなにいろんなところから来てるんだ~」と娘は改めて驚いていました。子供が幼稚園ぐらいまではお買い物に一緒に行くことも多いと思うのですが、小学校に入ってしまうと、面倒だから子供がいないうちにお買い物をすませてしまおうとか、あるいは子供も遊ぶのに忙しくて買い物に付き合いたがらないと思うのですが、たまには一緒に買い物に行くなどして、そういった現場を見るというのも大事だなと思います。
それから、ゴミはどう処理されるか。これも食の問題だと思うのです。1週間位前だったのですが、セブン&アイ・ホールディングスさんとミニストップさんでしたか、地域を越えてごみ処理について連携するといった記事が出ていました。ゴミをどう処理するのかということも大事なことだと思います。私の住んでいる横浜市では中田宏市長の下「G30」といってゴミを減らして行こうという運動が高まってきています。その中の一つに学校給食の食べ残しをどう処理するかということがあります。栄養士さんに聞くと和食の時にはとくに、6割位食べ残しとして戻ってくるといいます。五目豆などはとくに人気がないそうです。本当は残さずに食べるのが一番なのですが、出てきてしまったゴミをどう処理するのかは大きな問題です。横浜市として進めているのが、「はまぽーく」というプロジェクトです。まずは学校で出た残飯を子供たちに分別させるのです。例えば、お肉・パン・野菜類・果物類というように分別させて、これを冷蔵のコンテナに入れて、ある工場まで運びます。そこでは食べ残しから豚に食べさせる飼料を作っています。おいしい豚を育てるためには栄養のバランスが必要なので、食べ残しの配合バランスを工場で把握できるようにするために、学校で分別が必要なんです。工場を見学してきたのですが、本当にさらさらの粉末飼料が作られています。今、豚肉の値段が上がるのも、海外からの穀物飼料の値段が上がっているから。トウモロコシの値段が上がって、それを原料しているから穀物飼料の値段が上がって、豚肉の値段が上がります。まだ小さな試みですけれども、穀物飼料を食べ残しから作ることができるというのは、面白い動きではないかと思っています。その穀物飼料を食べて育った豚は、「はまぽーく」という名前で売られています。その一部は給食にも入ってきています。とすると、子供たちとしても自分たちが食べる豚肉は、自分たちが分別したものを材料に作られる餌を食べているんだからと思えば、食べ残しをきちんと分別しないといけなくなる。残念ながら、まだ全部の学校では行なわれていなくて、ウチの息子が行っている学校はまだなんですが、横浜市としてはこれを全学校に広げる予定でいるそうです。
さて、食料の自給率がとうとう40%を切ってしまいましたよね。39%を実感するということでお話させていただきます。キューバが有機農業で有名なのを皆さんご存じでしょうか。キューバはキューバ危機の時にいきなり経済封鎖になって、食べ物が入らなくなって大騒ぎだったんです。食糧自給率は当時ちょうど40%程度。経済封鎖で食べ物が入らなくなって何が起こったかと言いますと、都市部を中心に5万人以上の人が一時的に栄養失調で失明したそうなんです。食料自給率40%というのはそのぐらい凄い数字です。その後、国を挙げて有機農業に進んでいきます。穀物飼料を輸入しなくていいようにしよう、国民みんなが農業の基礎ができるようにしよう、ベジタリアンになろうといったさまざまな行動が起こされます。数字をご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、例えば牛肉1キロを作るのに、エサを11キロも牛に食べさせなければいけないと言います。1キロの肉を食べる代わりに11キロの穀物を人間が直接食べるとしたら、もしかして食べ物がなくて困っている人たちの分まで賄えるかもしれないわけですよね。キューバは有機農業国として、今先進的なことをやっています。農業教育も進められていますし、化学や数学の授業も食との関わりの中で行われていると言います。
農水省のホームページで自給率計算ソフトというのがあって、すぐにダウンロードできます。食材だけでなく、メニューごとにも計算できるんです。例えば、カレーライスだと、こんなものが入っているだろうという想定の下での計算なんですが、自分が普段食べているものがおおよそどんな自給率なのか知ってみるだけでも、もしも食べ物が入ってこなかったらどうなるだろうかと考えるきっかけになると思います。
豚肉の値段が上がるのはなぜというのは先ほどお話をしてきましたが、例えばマグロが食べられなくなるという話もあります。今はマグロについては随分いろいろなところで書かれているので、皆さんもお聞きに、あるいはお読みになっていると思うのですが、この間、たまたま北海道の魚について調べていた時に面白いことがわかりました。北海道の西側に留萌(ルモイ)というところがあります。その留萌のちょっと下に増毛(マシケ)という場所があるんです。増毛というのは有名なフランス料理のシェフの三國清三さんの故郷なんですが、もともと留萌・増毛というのはニシン漁ですごく栄えたところなんですね。このあたりは昔はニシン漁がすごく盛んだった。ところが、栄えたのは本当に一時期でその後どんどん衰退して、今はニシンはほとんど揚がらないというような話を聞きました。その原因とは何かと言いますと、一つには乱獲なんですね。あそこに行けばお金が儲かるということで人が集まって来て、ニシンをどんどん取って、取り尽くしてしまった。それから、水温の上昇なんだそうです。どのくらい上がっているんだろうと、気象庁のホームページを見ると、残念ながら西側のデータはなかったのですが、釧路の水温上昇が80年位前から調べられているんです。それでそのグラフを見ましたら、冬と春については、この80年間で平均水温が2度上がっているんです。なんで冬と春というふうに言ったかといいますと、ニシンの産卵時期は春なんですね。3月から5月位。また産卵適温、ふ化適温というのがあるのだそうです。それと、ニシンは卵を浅瀬で産み、おまけに海藻に産み付けるそうなんです。メスが海藻に産卵し、オスが精子をそこに吹きかけることによって受精するそうなんですが、水深1mから、深くても18m位の間でしか産卵をしないといいます。海藻がないと産卵しないし、産卵適温に海水温が合致しなければニシンはこない。留萌や増毛がそういう場所ではなくなってしまったわけなんですね。今、ニシンを戻したいということで、禁漁期間を設けたり、稚魚を放流したり、小さな魚がかからないように網の目を大きくするということをしているそうなんです。それから、海岸線がコンクリートのところもありますので、産卵用に人口の海藻を植えるとか、いろいろな対策を始めています。96年からその取り組みが始まっているそうなんですが、ここのところ、関東でも北海道産のニシンがスーパーでもみられるようになってきているんです。私が気にかけているせいかもしれませんが、他の人に聞いてみてもニシンの生を店でみかけることが多くなったといいます。秋田のハタハタもそうですね。禁漁期間を経て、ハタハタがまた随分取れるようになりました。やはりそういうコントロールが必要なんだなということを改めて考えさせられます。
最近、魚関係の本を続けて2冊読みました。ひとつはイギリス人の人が書いて、もう1つは日本人の方が書いているものだったのですが、どちらでも話題にされていたのが、魚資源の減少です。1950年代に比べて、現在その当時いた魚の量の9割がいなくなってしまったということです。つまり10%になってしまったのだそうです。魚はずっと捕れてきている。食べ物の関係の統計として一番信頼できるのがFAOという機関の統計なんですが、そこではずっと順調に魚が捕れていて問題ないではないかと言われていました。ところが、最近わかったことなのですが、実は中国がいい加減な数字を出していたらしいのです。中国だけ漁獲量がどんどん上がっていっているような数字になっていて、他の客観的な数字から照らし合わせていくと、実は数字が違うのではないかということがわかったそうなんです。FAOが中国に対して抗議をしているそうです。それを適正と思われる数字まで落としていくと、世界の漁獲高はやはりどんどん減っていることになるのだそうです。私たちは魚は無尽蔵にあるような印象をもっています。でも実際にはもう9割がいなくなっているとすると怖いことです。
皆さん、全身トロのマグロがあるというのをご存じですよね。メキシコやスペインから来るのですが、こうした養殖のほとんどは「畜養」です。マグロは泳ぎ続けなければ生きていけない魚です。東京都の葛西の水族館がオープンした時に、ずっと泳いでいるマグロの水槽は一つの売りだったのです。その当時は、そうやってマグロを飼えるということが売りになるくらいだったのに、今はマグロの「畜養」が盛んになって、世界各国から日本にマグロが来ているのです。私は、畜養について、少し前までは「マグロを養殖できるようになったのはすごい」と認識していました。ところが、今はこのマグロの「畜養」は新たな問題とされています。何が問題かといいますと、「畜養」というのは、卵をふ化させて、そこから育てていくのではなくて、海に出て稚魚を片っ端から捕って来て、それを育てている。そうするといつかは天然の環境の中に卵を産めるマグロがいなくなってしまいます。畜養を続けてトロマグロを作れば、簡単で非常に高く売れるので、日本向けの畜養はどんどん盛んになってきているといいます。養殖トロマグロを食べる時、私たちとしてはそのことも少しは考えていかなければいけないなと思いました。ここのところ、魚についてを調べていましたので、ちょっと魚の話が多くなってしまいました。食のむこうにあるさまざまな実態に興味・関心を持っていかなくてはいけないなと思っています。そして、それを子供たちにも伝えていかないといけないなと、そんなふうにも思っています。
最初の方でもお話したのですが、食に興味や関心をもつ、そして食べることを楽しむというのは、とても大事なことだと思うのです。一番の食育は、楽しい食の記憶を日々積み重ねていくことではないかと思います。生きていく中では、いろいろなことがあります。辛いこともあります。それでも、少しでも多く、楽しいな、美味しいなという食の記憶を積み重ねていけることが大事ではないかと思うのです。そういう記憶を積み重ねて暮らしていくことができれば、そんな楽しい、美味しい機会を持続させていけるような社会であって欲しいなという方に、最終的には気持ちが向いていくのではないかなと思っています。
イタリアのスローフード運動というのは、あれも結局、イタリアには各地にこんな美味しいものがあるのに、それが食べられなくなったらどうしようと、そこから始まっていると思うのです。スローフード運動は、もともとはフランスの食育を真似て立ち上がったものなんです。フランスではどういうことをやっているかというと、味覚の授業というものを小学校5年生を対象に、いろいろな学校で行っています。先ほどの五感で味わうというのと似通ったところがあるのですが、味覚の授業というのをやったり、地方ごとに伝わる伝統食を若い人たちが安く味わえるようにということで、毎年一定期間安く食べられるような工夫をして、伝統食を見直すきっかけ作りをしたりもしています。フランスの食育の柱は、味覚の授業を行なうことによって、きちっと作られたものの味が分かる人間を育てようというものです。美味しいものを美味しいと分かるというのは個人の趣味でももちもんあるわけですが、実はフランス政府が思っているのは、その先にあります。そういう味が分かる人間を育てていくことによって、そういうものを作る生産者、職人さんたちがこれからも生きていけると、そういった社会を作っていかなければいけないというわけです。フランスは観光大国でもありますし、農業大国でもあります。フランス料理を食べたいがためにフランスを訪れる人というのがたくさんいるわけです。それを国としてやはり守っていかなくてはいけないというのがあるわけです。少し前にも触れましたが、北欧は共働きが多い、離婚するケースも多いということで、いかに子供たちが自分で自分の食を確立していくかということを第一義に食育を進めています。
さて、日本ではどういうことを考えていったらいいのか。私たち一人一人が様々な食の側面から、これからどういうふうにしていったらいいかを考えなければいけなくなっていると思うのです。私たちが何を食べるかというのは、私たちの健康の問題だけではないということを、もう一度確認したいと思います。今日長い時間お話を聞いていただいたのですが、皆さんがそれぞれご自宅に帰られて、あるいは地域に帰られて、食育の試みをしていっていただければなと思います。栄養大学の先生とこの間お話をしていたのですが、その先生が一番懸念していらっしゃるのは、食育という言葉がこれだけ浸透してきていて、いろいろなところで食育の講座が行われているのですが、例えば、今日にしても食に興味のない方はいらしてないと思うのです。そして、私が食の探偵団をやっていても、そこにお子さんを送り込んでくる親御さんとか、あるいはお父様お母様ご自身で参加して下さる方々はすでに食に興味を持っていらっしゃる、あるいは自分の食をもっとこういうふうにしていきたいと、何かそういう問題意識をもっていて、さらに学ぼうという気持ちを持っていらっしゃる方々なんです。そういう方々の中ではどんどん食育が広がっていって、いい動きになっていると思うのですが、一番の問題は、そういったことに全く興味のないご家庭もあるわけですし、興味のない人たちにどうやって広げていくかというと、やはり私は学校だと思っているのですね。公立の学校で食育がきちっと楽しく行われていくならば、そのお子さんの家庭環境に関わらず、食の楽しさとか食の大切さということを考える、感じるきっかけの場をもってもらえることになると思うのです。今日は特に学校関係の方がいらっしゃいましたら、学校の先生ではなくても、PTAなどで関わってらっしゃる方はたくさんいらっしゃると思いますので、ぜひぜひ、そういう動きが盛んになっていくように、今日来て下さった一人一人の方が動いて下されば嬉しいなと思っています。
今日は感じる食育・楽しい食育ということで、お話させていただきました。長い間ご静聴どうも有難うございました。
[講師]フード・コンサルタント
    食の探偵団・団長
    サカイ優佳子 氏