1.Connecting Communities 2.恐るべき尼崎医療生協
3.大阪府生活協同組合連合会の可能性
講演:立命館大学 産業社会学部教授 リム ボン氏
■日時:2006年7月20日(木) ■場所:大阪府社会福祉会館3階第2会議室
3. 大阪府生活協同組合連合会の可能性
今日は医療生協だけではなくて、大阪府生活協同組合連合会全体の可能性について、最後に、ここは私より皆さんの方が詳しいと思いますので、素人の私から見てどう考えるかということなんですけれども、まず一言で言うと、50の生協が結集されている大阪府生活協同組合連合会という組織が、何かをしようとすると、おそらく何でも出来るだろうと思いますね。小さな自治体よりも、おそらく組織力はあると思います。そこで、何でも出来るんですけれども、どういう事をしないといけないかと言うと、地域の人たちや組合員さんたちに夢を与えると、これがやらなければいけない事だと思います。ちょっと、これも後で質疑応答の時に、間違っていたら批判して下さい。むしろ、批判がある方がディスカッション出来ます。
私は20世紀型の生協運動と21世紀型の生協運動はやっぱり違うと思うんです。やっぱり20世紀型というのは高度成長型だけど、21世紀の日本の社会というのは成熟型社会になっていく、だから生協運動もそれから逃れられない。どういう事かというと、たとえば、おそらく生協運動というのは、本格的には50年ぐらいの歴史がおありなんでしょうが、医療生協なんかを見ていましても、やっぱり50年前の医療生協というのは、みんな貧乏だと、それから医療制度も確立されていない、そういった中で労働者たちが、安心して自分たちが医療を受けられるためには、なんとかしなければいけないという事で、取組んだ。公害問題も大変でしたし、深刻な問題があればあるほど、これを何とかしようというエネルギーが爆発しますよ。
街づくりなんかでも、非常に街づくり実践が活発なところは、大体に問題の多い地区です。問題がないところは、街づくりなんて起こらないんですよ。問題が多いから、何かしょうという怒りもありますから、パワーが出てくる。それで、貧しかったかもしれないけれども、高度成長期の時はみんな元気だった。若い人たちもいっぱい結集していた。
だけど、21世紀型の生協運動というのは、そういうパワーではなくて、もうちょっと成熟してきた社会になってきて、やっぱり運動のスタイルも違って来るんではないかというふうに思うんです。そこで、何をするべきか、考え方の問題です。
超高齢社会と言いましたけれども、この超高齢社会というのを、高齢者問題としてとらえるのか、少子化社会としてとらえるのか、大きな違いです。ある先生がおっしゃったんですけれども、高齢者問題の専門家なんですけれども、「超高齢者問題を考える」というタイトルで講演をしたら、やっぱり高齢者の方しか来てない。まったく同じ内容の話を「少子化社会を考える」にしたら、30代のお母さんがたくさん来るんです。そういう事なんですよね。ですから、私は21世紀社会の一つ重要なポイントというのは、多世代交流をどうしかけるかという事なんですね。私はこれを新三世代交流と言ってるんですけれども、三世代同居をして、多世代交流は昔から日本に伝統的にあるのではないかと言われるかもしれません。
かっての多世代交流とこれからの多世代交流の違いは何かというと、かつての日本、中国、朝鮮半島、東アジアの多世代交流というのは、家制度です。血縁関係の中で、多世代交流をしていくという訳です。これは決して悪いわけではなくて、親から子へ、子から孫へ、いろんな知恵も継承されます。私はそういう経験がありませんから、子どもの頃羨ましかったのは、テレビでも宣伝してない、お店にも売ってないおもちゃを近所の子どもが持ってる。なぜそんなの持っているのかと言うと、お祖父ちゃんが作ってくれた。やっぱり、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんがいてくれることによって、生活に非常にいいということです。その代わり、嫁姑という深刻な問題はありますよ。最近はその話をしたら、違うと叱られましたが、最近は姑が我慢していると。鬼嫁だと。(笑)いずれにしても、影で誰かが泣いてなくてはいけない、そういう事ではなくて、良さはあるんですけれども、多世代交流の良さというのは、そういう世代間の交流によって、いろんな生活の知恵とか情報を共有できるということです。
これを、なにも血縁家族だけの特権にしておくのは勿体ない。地域レベルで多世代交流があれば、交流がいっぱいできるじゃないですか。そうすると、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんのいない子どもさんだって、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんが持っている生活の知恵をいっぱい学ぶ機会が出来るし、それから、1人暮らしの高齢者だって、自分は血縁家族はいないかもしれないが、地域に孫の世代、子どもの世代で交流する人が出来る。
それから、他人同士がいいのは、遠慮しあうんですね。私、京都の白梅町にあるデイサービスセンターにインタビューに行った時に確認したんですね。65歳の女性がボランティアで来られていて、85歳の方を介護してらっしゃるのです。その方は20年間実のお母さんが寝たきりで亡くなられた。半年たって、もう一度このボランティアをしました。私はこの時はもう答えを知っていたんですけれど、あえて意地悪な質問をしたんです。「お母さんを介護していた時と、今赤の他人を介護している時とどっちが充実していますか?」「今のほうが」と言うんですよ。私は答えを知っていたけれど、「なぜですか?」と、また聞いたんです。「他人さんは、ちょっと何かしてあげたら、『ごめんね』とか『いつも有難う』と、こっちも気遣いするけれども、向うも気遣いしてくれる。お母さんを介護していた時は、用もないのにベルを鳴らして呼びつけたり、わがまま言ったりで、だんだん腹がたってくる。自分からしたら、お母さんというのは、非常に元気で、怖いけれども優しくて、頼りになるお母さんがなんでこうなっちゃったんだろうと、歯がゆさもあって、だんだんイライラしてきて、ついつい辛い言葉を言う。辛い言葉を言うと、お母さんが余計落ち込んでいくという、悪循環になっていくんです。ですから、今の方がやりがいはあるんです」と言うのです。私もそうだと思います。うちの母親も、短かったですけれど、4年間程寝たきりになった時は、苦痛だったですね。
私が総理大臣になったら、憲法を改正して、こんなことをしょうと思います。家族の中で誰かが寝たきりになったら、家族が介護するというのを、違法行為とみなす。(笑)家族の介護は他人がしなければいけない。たとえば、近所でAさんが、自分の親を介護してくれていたら、Aさんと仲よくしなければいけない。この人に意地悪をしたら、影でお母さんがいじめられるかもしれない。人質にとられているみたいな、極端な言い方ですが、何を言いたいかというと、超高齢化社会を少子化社会ととらえて、本当の意味での多世代交流が育まれる社会にして行こうということです。
では、こういう事は誰が出来るのかと。自治体では出来ません。さっき言ったアメリカのNPOのように、アメリカのNPOを見ていて、ニューヨーク・サンフランシスコのワークショップを聞いていて、エレファントデザインの300億円の商談をする人たちの話を聞いていて、これは、日本の生協が得意とするところだな思います。特に私は、医療生協しか知りませんけれど、医療生協はそんな事をすぐにやってしまいますよね。だから、日本の生協運動というのは、世界水準ですよ。我々は大学にいますので、研究なんかで、すぐ世界水準とか使います。たとえば、医療生協の組合員さんたちの活動というのは、間違いなく世界水準だと思います。世界を回っていて、本当にそう思います。
では、多世代交流を根付かせるためのCommunity活動というもののキーワードは何かと言うと、教育ですよ。教育であり、生涯学習なんです。特に子育てというのは、地域とのネットワークです。これは日本だけではなくて、アメリカでも言われます。子どもというのは、Communityで育てるものだ。家族だけで育てたら絶対だめだと、教育学の先生が言っていました。Communityで育てようと思えば、地域間の連携がなければいけないということです。
しかも、生協運動はよく考えてみると、Communityとは何かという事を学ぶ。Communityというのは、もう一度言いますよ。何かを共有している集団。この時のCommunityというのは、地域を共有している、地域Communityもありますけれども。生協運動というCommunityでいうと、別に地域だけでなくて、全国になるわけです。それから、学校とのCommunityということで、また別のCommunityがあります。Communityをいろいろつなぐという事は、物凄い学習の場になるわけですよね。だから、生協運動そのものが生涯学習になってくる。組合員さんにとっても生涯学習になる。それが、子どもの教育にも役立つ。それから、たとえば、購買生協があって、医療生協があって、大学生協がありますけれども、それぞれの得意技を見ると、購買生協というのは、消費者保護という意味での安心・安全。医療生協というのは、保健医療、福祉面での安心・安全。大学生協というのは、教育現場に関っている運動体としての、ひとつのプログラムを作れる。
ここを私は強調したいのですが、実は今、立命館で職員研修プログラムと言って政策立案を職員がするという演習を立ち上げ、去年それに関与したんですが、生協の職員が1人来ていました。食堂の現場を担当している課長さんでした。彼が取組むべきテーマは何にしようかということで、食堂の担当ですから、もちろん食生活ですが、非常に面白いテーマだったんです。京大生と立命館の学生で、1人暮らしをしている下宿生だけに絞って、生協がやった調査を比較したんです。そうしたら、アルバイト収入は、立命館の学生の方がよく働いていて、少し収入が多いんです。ところが、食費に使っている額をいうと、京大生の方が5千円ぐらい多いんです。学生にとって月々5千円って大きいですよ。アルバイトでは、京大生より稼ぐのに、京大生の方が稼ぎは少ないけど、食費にお金を凄く使っている。この事をもっと分析したら、結論はどうなったかといいますと、京大生は頭で飯を食う。立大生は本能で飯を食っていると。(笑)京大生は、多少お金はかかるけれども、多分計算して、野菜も食べないといけないし、お肉よりもお魚を取ろうとか、品数を考える。立命館の学生は、とりあえずチャーハン大盛りとラーメンにしとこうと、安上がりで腹がいっぱいになるわという、極端な話なんですけれども、結構いるんですよね。スポーツ選手も多いですから。
それから、京大生より立命の学生の方が朝ごはんを食べていない学生が多い。これは、深刻だと、それで、何をしようかというと「朝食プログラム」というのをやろうと。これは、すでに九州大学の学長が下宿生に飯を食べさせないといけないので、無料チケットを配って、成功しています。鳥取大学もやっています。京都府立大学も去年からやりました。その点、立命館は遅れています。
大学当局は全然やってなくて、生協が独自に朝食プログラムというのをこの4月から始めました。食べ放題で250円です。完全に赤字だそうですけれど、これをやると学生がわんさか来てます。それだけ、朝ごはんを食べたいというニーズがあるんですね。悪いやつがいて、パンとかだったら、昼の分まで取って、(笑)それは止めろよと言ってるんですが、持っていく人がいるんですよね。
これを今度は、次どうしようかということですけれども、単に食事プログラムだけだったら面白くない。生協に行って、ただで朝飯食ったら、単位もらえる事にしようと、今画策しているんです。
そこで、留学生もいっぱい来ていますから、たとえば、その留学生と1回生の基礎演習クラスで、産社から1クラス、工学部から1クラス、文学部から1クラス、そういう人たちが集まって、生協に提供してもらって、ただで朝ごはんを食べながら、議論をいろいろするという、パワーブレックファーストです。アメリカでよくやってるじゃあないですか、エグゼクティブたちが、ホテルで朝食をしながら、ビジネスをする。あれを学生バージョンで、朝飯食いながら、生協でただでやろうと。朝ごはんただで食べられて、単位だしたら、もっと学生は来ますと、たとえば、こういう事を大学生協だったら出来るんですよ。
この間、文科省の役人だった人がここに参加していて、その人は生協が大嫌いなんですよ。なぜかというと、大学生協でなくて、ローソンであろうがファミリーマートであろうが、他のスーパーであろうが、学生たちに安くていいものを提供してくれたらそれでいいので、別に生協である必要はない。生協は甘えているのではないかと言うのです。私もある意味で正しいと思うのです。だけど、生協の強みは何かというと、大学生協のいろいろな活動で、学生を育てるところに直接コミットしているのです。平和行進に連れて行ったり、教育的機能を持っているのです。それが無いのであれば、ローソンやファミリーマートと一緒ですよ。教育現場で人づくりに直接コミットしている。生協だから出来ること、生協だから継承してくるものもありますから、それを教育プログラムに転換する。それがすべてだったら、生協は赤字になってしまいますから、そんなものは1%ぐらいでいいんだけれど、あと99%ぐらいはビジネスをやってもらったらいいのですが、そういうところにコミットしている部分が無いと、生協らしさが無いということで、こういう事を提案します。
この間、京都の経済同友会というところに、初めて「若者の教育を考える」ということで、パネルディスカッションに呼ばれました。これまでは、街づくりに関して呼ばれたことはありましたが、教育に関しては呼ばれたことが無くて、最初お断りしたんですけれども、「私は教育が専門じゃない」と言ったら「あなた、教育現場で教員をしていて、何が専門じゃあないんですか」と、そう言われるとそうですから、行って議論してきました。
その時に、堀場製作所の社長とか京都の経済界の人たちが来ていまして、彼らの話にだんだん腹が立ってきました。近頃の若者は、事なかれ主義で冒険しようとしないし、勉強しようとはしない、学力低下しているだの、いろいろ言われました。他の大学の先生もみんなそうだったので、私だけ孤立してもいいかなと、学生の為に戦おうと思い「50年前の若者と、今の若者を比べて、何が変わっていると思いますか?」と、聞いたんですよ。50年前学生だった人もいるでしょう。私は25年前学生だったんですが、自分が学生だった頃と今と変わらないです。もし、変わっているとしたら、間違いなく今の学生の方が学力があります。教育プログラムが進化しています。私たちが学生の頃受けた教育プログラムは、いい加減な授業ばっかりでした。今の大学の教育は、語学力なんかでも鍛えていて、キャンパスに1回生でもバイリンガルがゴロゴロいますよ。お昼にご飯を食べていたら、隣で留学生と日本人の学生が英語でディスカッションしたり、中国語で話していたりしています。私たちが学生だった頃、そんなの見なかったですよ。ひょっとしたら、今の方が有能かもしれない。
それから、もう1つ、事なかれ主義に学生が落ちるなんて言いますけれど、我々が教育現場で一生懸命正義感をもって社会に出ようと言っても、いざ就職したら、そういうものを全部壊していっているのは、あなた達大人ではないかと。何か若者が提案したら、そんなものは通用しないとか、上司が事なかれ主義ではないですか。
それから、戦争を起こしているのは大人であって、若者ではないですよ。企業の大不祥事は、若者がやっているのではなくて、全部偉い教育を受けたはずの幹部の人がやっているのではないですか。変わらなくてはいけないのは、若者ではなくて、大人なんじゃあないですかと言ったら、みんな納得してきて、大人の教育はどうしたらいいのですかと聞かれて(笑)びっくりしました。
今、大学で1回生や若者たちと一緒に朝食をやろうとしていますが、経済界の社長さんたちも一緒に朝食プログラムをやりませんかと言うと、これがまた受けて、みんなやりたいというのです。
たとえば、堀場製作所で大卒の新入社員が来て、研修とかで入社直後の社員とかとご飯食べて、一緒にやるんだけれども、その時点で壁があるんですよ。さっきのNPOの話ではないですが、私は社長です、あなた達は新入社員ですと、ここでとんでもない壁があるわけです。まともな率直な話なんてしてくれませんよ。ところが、大学で学生たちが朝食をとっているところに、一緒に大企業の社長が来て座って、「私は堀場製作所の社長です」と言ったって、何なんですかみたいなものです。
実はこんな事があったのです。うちの理事長が私の1回生の基礎演習のクラスに5万円出してくれて、一緒にコンパしてくれたんです。その時、1回生の女子学生がビールを飲みながら、泣く子も黙るうちの理事長に「ほんで、理事長って何やってるんですか~」と聞いたんです。(笑)
つまり、何が言いたいかというと、経済界の企業の社長さんたちは、新入社員と交流しようと思っても、まず壁から入ってしまう。だけど、そういう朝食プログラムで何も知らない学生たちと素直に議論してみて、本当に今の若者たちがだめかどうか、チェックしてくれと言ったんです。
そしたら、堀場製作所の社長さんが、実はこの間、母校の山城高校に講演に呼ばれて行ったら、一見やんちゃそうな茶髪の生徒が、おはようございますとみんな挨拶してくれる。礼儀正しいし、一般に世間で言われていることと違うなと思ったと言っていました。
だから、そういう意味で本当に交流をしていないんですね。そういう交流を仕掛けるということが出来るのです。ですから、生協連がやるとすれば、そういう連続講座なんかも提起します。たとえば、大阪の南部の生協の法人合併化問題でやられて凄いのは、いきなり、アスベスト問題で取組んでいる人たちを呼んで講演会をします。その次の週は、有名な誰かさんが来て、憲法9条の問題をする。そういう事を仕掛ける。そういう事を、購買生協と医療生協と大学生協が組んだら、物凄いプログラムが開発出来るということです。しかし、それを今度は生協というCommunityだけに閉じるのではなくて、どんどん公開すればいい。公開講座にして、たとえば、大学と連携して、それで10何回出たら、学生は単位をもらえるし、市民にも公開する。あるいは、安心・安全街づくり関係であれば、大阪府と提携して一緒にやるとか、そういう可能性は無限にあると思うのです。そういった意味で、最後は教育のことに話がつながっていったんですけれども、もう1度言いますと、この生協運動の取り組みの照準は、Communityをつないでいくという事と、その気になれば、何でも出来るだろうという事です。
そういう事で、私の話はこれぐらいにさせて頂きます。
1.Connecting Communities 2.恐るべき尼崎医療生協
3.大阪府生活協同組合連合会の可能性
講演:立命館大学 産業社会学部教授 リム ボン氏
■日時:2006年7月20日(木) ■場所:大阪府社会福祉会館3階第2会議室
3. 大阪府生活協同組合連合会の可能性
今日は医療生協だけではなくて、大阪府生活協同組合連合会全体の可能性について、最後に、ここは私より皆さんの方が詳しいと思いますので、素人の私から見てどう考えるかということなんですけれども、まず一言で言うと、50の生協が結集されている大阪府生活協同組合連合会という組織が、何かをしようとすると、おそらく何でも出来るだろうと思いますね。小さな自治体よりも、おそらく組織力はあると思います。そこで、何でも出来るんですけれども、どういう事をしないといけないかと言うと、地域の人たちや組合員さんたちに夢を与えると、これがやらなければいけない事だと思います。ちょっと、これも後で質疑応答の時に、間違っていたら批判して下さい。むしろ、批判がある方がディスカッション出来ます。
私は20世紀型の生協運動と21世紀型の生協運動はやっぱり違うと思うんです。やっぱり20世紀型というのは高度成長型だけど、21世紀の日本の社会というのは成熟型社会になっていく、だから生協運動もそれから逃れられない。どういう事かというと、たとえば、おそらく生協運動というのは、本格的には50年ぐらいの歴史がおありなんでしょうが、医療生協なんかを見ていましても、やっぱり50年前の医療生協というのは、みんな貧乏だと、それから医療制度も確立されていない、そういった中で労働者たちが、安心して自分たちが医療を受けられるためには、なんとかしなければいけないという事で、取組んだ。公害問題も大変でしたし、深刻な問題があればあるほど、これを何とかしようというエネルギーが爆発しますよ。
街づくりなんかでも、非常に街づくり実践が活発なところは、大体に問題の多い地区です。問題がないところは、街づくりなんて起こらないんですよ。問題が多いから、何かしょうという怒りもありますから、パワーが出てくる。それで、貧しかったかもしれないけれども、高度成長期の時はみんな元気だった。若い人たちもいっぱい結集していた。
だけど、21世紀型の生協運動というのは、そういうパワーではなくて、もうちょっと成熟してきた社会になってきて、やっぱり運動のスタイルも違って来るんではないかというふうに思うんです。そこで、何をするべきか、考え方の問題です。
超高齢社会と言いましたけれども、この超高齢社会というのを、高齢者問題としてとらえるのか、少子化社会としてとらえるのか、大きな違いです。ある先生がおっしゃったんですけれども、高齢者問題の専門家なんですけれども、「超高齢者問題を考える」というタイトルで講演をしたら、やっぱり高齢者の方しか来てない。まったく同じ内容の話を「少子化社会を考える」にしたら、30代のお母さんがたくさん来るんです。そういう事なんですよね。ですから、私は21世紀社会の一つ重要なポイントというのは、多世代交流をどうしかけるかという事なんですね。私はこれを新三世代交流と言ってるんですけれども、三世代同居をして、多世代交流は昔から日本に伝統的にあるのではないかと言われるかもしれません。
かっての多世代交流とこれからの多世代交流の違いは何かというと、かつての日本、中国、朝鮮半島、東アジアの多世代交流というのは、家制度です。血縁関係の中で、多世代交流をしていくという訳です。これは決して悪いわけではなくて、親から子へ、子から孫へ、いろんな知恵も継承されます。私はそういう経験がありませんから、子どもの頃羨ましかったのは、テレビでも宣伝してない、お店にも売ってないおもちゃを近所の子どもが持ってる。なぜそんなの持っているのかと言うと、お祖父ちゃんが作ってくれた。やっぱり、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんがいてくれることによって、生活に非常にいいということです。その代わり、嫁姑という深刻な問題はありますよ。最近はその話をしたら、違うと叱られましたが、最近は姑が我慢していると。鬼嫁だと。(笑)いずれにしても、影で誰かが泣いてなくてはいけない、そういう事ではなくて、良さはあるんですけれども、多世代交流の良さというのは、そういう世代間の交流によって、いろんな生活の知恵とか情報を共有できるということです。
これを、なにも血縁家族だけの特権にしておくのは勿体ない。地域レベルで多世代交流があれば、交流がいっぱいできるじゃないですか。そうすると、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんのいない子どもさんだって、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんが持っている生活の知恵をいっぱい学ぶ機会が出来るし、それから、1人暮らしの高齢者だって、自分は血縁家族はいないかもしれないが、地域に孫の世代、子どもの世代で交流する人が出来る。
それから、他人同士がいいのは、遠慮しあうんですね。私、京都の白梅町にあるデイサービスセンターにインタビューに行った時に確認したんですね。65歳の女性がボランティアで来られていて、85歳の方を介護してらっしゃるのです。その方は20年間実のお母さんが寝たきりで亡くなられた。半年たって、もう一度このボランティアをしました。私はこの時はもう答えを知っていたんですけれど、あえて意地悪な質問をしたんです。「お母さんを介護していた時と、今赤の他人を介護している時とどっちが充実していますか?」「今のほうが」と言うんですよ。私は答えを知っていたけれど、「なぜですか?」と、また聞いたんです。「他人さんは、ちょっと何かしてあげたら、『ごめんね』とか『いつも有難う』と、こっちも気遣いするけれども、向うも気遣いしてくれる。お母さんを介護していた時は、用もないのにベルを鳴らして呼びつけたり、わがまま言ったりで、だんだん腹がたってくる。自分からしたら、お母さんというのは、非常に元気で、怖いけれども優しくて、頼りになるお母さんがなんでこうなっちゃったんだろうと、歯がゆさもあって、だんだんイライラしてきて、ついつい辛い言葉を言う。辛い言葉を言うと、お母さんが余計落ち込んでいくという、悪循環になっていくんです。ですから、今の方がやりがいはあるんです」と言うのです。私もそうだと思います。うちの母親も、短かったですけれど、4年間程寝たきりになった時は、苦痛だったですね。
私が総理大臣になったら、憲法を改正して、こんなことをしょうと思います。家族の中で誰かが寝たきりになったら、家族が介護するというのを、違法行為とみなす。(笑)家族の介護は他人がしなければいけない。たとえば、近所でAさんが、自分の親を介護してくれていたら、Aさんと仲よくしなければいけない。この人に意地悪をしたら、影でお母さんがいじめられるかもしれない。人質にとられているみたいな、極端な言い方ですが、何を言いたいかというと、超高齢化社会を少子化社会ととらえて、本当の意味での多世代交流が育まれる社会にして行こうということです。
では、こういう事は誰が出来るのかと。自治体では出来ません。さっき言ったアメリカのNPOのように、アメリカのNPOを見ていて、ニューヨーク・サンフランシスコのワークショップを聞いていて、エレファントデザインの300億円の商談をする人たちの話を聞いていて、これは、日本の生協が得意とするところだな思います。特に私は、医療生協しか知りませんけれど、医療生協はそんな事をすぐにやってしまいますよね。だから、日本の生協運動というのは、世界水準ですよ。我々は大学にいますので、研究なんかで、すぐ世界水準とか使います。たとえば、医療生協の組合員さんたちの活動というのは、間違いなく世界水準だと思います。世界を回っていて、本当にそう思います。
では、多世代交流を根付かせるためのCommunity活動というもののキーワードは何かと言うと、教育ですよ。教育であり、生涯学習なんです。特に子育てというのは、地域とのネットワークです。これは日本だけではなくて、アメリカでも言われます。子どもというのは、Communityで育てるものだ。家族だけで育てたら絶対だめだと、教育学の先生が言っていました。Communityで育てようと思えば、地域間の連携がなければいけないということです。
しかも、生協運動はよく考えてみると、Communityとは何かという事を学ぶ。Communityというのは、もう一度言いますよ。何かを共有している集団。この時のCommunityというのは、地域を共有している、地域Communityもありますけれども。生協運動というCommunityでいうと、別に地域だけでなくて、全国になるわけです。それから、学校とのCommunityということで、また別のCommunityがあります。Communityをいろいろつなぐという事は、物凄い学習の場になるわけですよね。だから、生協運動そのものが生涯学習になってくる。組合員さんにとっても生涯学習になる。それが、子どもの教育にも役立つ。それから、たとえば、購買生協があって、医療生協があって、大学生協がありますけれども、それぞれの得意技を見ると、購買生協というのは、消費者保護という意味での安心・安全。医療生協というのは、保健医療、福祉面での安心・安全。大学生協というのは、教育現場に関っている運動体としての、ひとつのプログラムを作れる。
ここを私は強調したいのですが、実は今、立命館で職員研修プログラムと言って政策立案を職員がするという演習を立ち上げ、去年それに関与したんですが、生協の職員が1人来ていました。食堂の現場を担当している課長さんでした。彼が取組むべきテーマは何にしようかということで、食堂の担当ですから、もちろん食生活ですが、非常に面白いテーマだったんです。京大生と立命館の学生で、1人暮らしをしている下宿生だけに絞って、生協がやった調査を比較したんです。そうしたら、アルバイト収入は、立命館の学生の方がよく働いていて、少し収入が多いんです。ところが、食費に使っている額をいうと、京大生の方が5千円ぐらい多いんです。学生にとって月々5千円って大きいですよ。アルバイトでは、京大生より稼ぐのに、京大生の方が稼ぎは少ないけど、食費にお金を凄く使っている。この事をもっと分析したら、結論はどうなったかといいますと、京大生は頭で飯を食う。立大生は本能で飯を食っていると。(笑)京大生は、多少お金はかかるけれども、多分計算して、野菜も食べないといけないし、お肉よりもお魚を取ろうとか、品数を考える。立命館の学生は、とりあえずチャーハン大盛りとラーメンにしとこうと、安上がりで腹がいっぱいになるわという、極端な話なんですけれども、結構いるんですよね。スポーツ選手も多いですから。
それから、京大生より立命の学生の方が朝ごはんを食べていない学生が多い。これは、深刻だと、それで、何をしようかというと「朝食プログラム」というのをやろうと。これは、すでに九州大学の学長が下宿生に飯を食べさせないといけないので、無料チケットを配って、成功しています。鳥取大学もやっています。京都府立大学も去年からやりました。その点、立命館は遅れています。
大学当局は全然やってなくて、生協が独自に朝食プログラムというのをこの4月から始めました。食べ放題で250円です。完全に赤字だそうですけれど、これをやると学生がわんさか来てます。それだけ、朝ごはんを食べたいというニーズがあるんですね。悪いやつがいて、パンとかだったら、昼の分まで取って、(笑)それは止めろよと言ってるんですが、持っていく人がいるんですよね。
これを今度は、次どうしようかということですけれども、単に食事プログラムだけだったら面白くない。生協に行って、ただで朝飯食ったら、単位もらえる事にしようと、今画策しているんです。
そこで、留学生もいっぱい来ていますから、たとえば、その留学生と1回生の基礎演習クラスで、産社から1クラス、工学部から1クラス、文学部から1クラス、そういう人たちが集まって、生協に提供してもらって、ただで朝ごはんを食べながら、議論をいろいろするという、パワーブレックファーストです。アメリカでよくやってるじゃあないですか、エグゼクティブたちが、ホテルで朝食をしながら、ビジネスをする。あれを学生バージョンで、朝飯食いながら、生協でただでやろうと。朝ごはんただで食べられて、単位だしたら、もっと学生は来ますと、たとえば、こういう事を大学生協だったら出来るんですよ。
この間、文科省の役人だった人がここに参加していて、その人は生協が大嫌いなんですよ。なぜかというと、大学生協でなくて、ローソンであろうがファミリーマートであろうが、他のスーパーであろうが、学生たちに安くていいものを提供してくれたらそれでいいので、別に生協である必要はない。生協は甘えているのではないかと言うのです。私もある意味で正しいと思うのです。だけど、生協の強みは何かというと、大学生協のいろいろな活動で、学生を育てるところに直接コミットしているのです。平和行進に連れて行ったり、教育的機能を持っているのです。それが無いのであれば、ローソンやファミリーマートと一緒ですよ。教育現場で人づくりに直接コミットしている。生協だから出来ること、生協だから継承してくるものもありますから、それを教育プログラムに転換する。それがすべてだったら、生協は赤字になってしまいますから、そんなものは1%ぐらいでいいんだけれど、あと99%ぐらいはビジネスをやってもらったらいいのですが、そういうところにコミットしている部分が無いと、生協らしさが無いということで、こういう事を提案します。
この間、京都の経済同友会というところに、初めて「若者の教育を考える」ということで、パネルディスカッションに呼ばれました。これまでは、街づくりに関して呼ばれたことはありましたが、教育に関しては呼ばれたことが無くて、最初お断りしたんですけれども、「私は教育が専門じゃない」と言ったら「あなた、教育現場で教員をしていて、何が専門じゃあないんですか」と、そう言われるとそうですから、行って議論してきました。
その時に、堀場製作所の社長とか京都の経済界の人たちが来ていまして、彼らの話にだんだん腹が立ってきました。近頃の若者は、事なかれ主義で冒険しようとしないし、勉強しようとはしない、学力低下しているだの、いろいろ言われました。他の大学の先生もみんなそうだったので、私だけ孤立してもいいかなと、学生の為に戦おうと思い「50年前の若者と、今の若者を比べて、何が変わっていると思いますか?」と、聞いたんですよ。50年前学生だった人もいるでしょう。私は25年前学生だったんですが、自分が学生だった頃と今と変わらないです。もし、変わっているとしたら、間違いなく今の学生の方が学力があります。教育プログラムが進化しています。私たちが学生の頃受けた教育プログラムは、いい加減な授業ばっかりでした。今の大学の教育は、語学力なんかでも鍛えていて、キャンパスに1回生でもバイリンガルがゴロゴロいますよ。お昼にご飯を食べていたら、隣で留学生と日本人の学生が英語でディスカッションしたり、中国語で話していたりしています。私たちが学生だった頃、そんなの見なかったですよ。ひょっとしたら、今の方が有能かもしれない。
それから、もう1つ、事なかれ主義に学生が落ちるなんて言いますけれど、我々が教育現場で一生懸命正義感をもって社会に出ようと言っても、いざ就職したら、そういうものを全部壊していっているのは、あなた達大人ではないかと。何か若者が提案したら、そんなものは通用しないとか、上司が事なかれ主義ではないですか。
それから、戦争を起こしているのは大人であって、若者ではないですよ。企業の大不祥事は、若者がやっているのではなくて、全部偉い教育を受けたはずの幹部の人がやっているのではないですか。変わらなくてはいけないのは、若者ではなくて、大人なんじゃあないですかと言ったら、みんな納得してきて、大人の教育はどうしたらいいのですかと聞かれて(笑)びっくりしました。
今、大学で1回生や若者たちと一緒に朝食をやろうとしていますが、経済界の社長さんたちも一緒に朝食プログラムをやりませんかと言うと、これがまた受けて、みんなやりたいというのです。
たとえば、堀場製作所で大卒の新入社員が来て、研修とかで入社直後の社員とかとご飯食べて、一緒にやるんだけれども、その時点で壁があるんですよ。さっきのNPOの話ではないですが、私は社長です、あなた達は新入社員ですと、ここでとんでもない壁があるわけです。まともな率直な話なんてしてくれませんよ。ところが、大学で学生たちが朝食をとっているところに、一緒に大企業の社長が来て座って、「私は堀場製作所の社長です」と言ったって、何なんですかみたいなものです。
実はこんな事があったのです。うちの理事長が私の1回生の基礎演習のクラスに5万円出してくれて、一緒にコンパしてくれたんです。その時、1回生の女子学生がビールを飲みながら、泣く子も黙るうちの理事長に「ほんで、理事長って何やってるんですか~」と聞いたんです。(笑)
つまり、何が言いたいかというと、経済界の企業の社長さんたちは、新入社員と交流しようと思っても、まず壁から入ってしまう。だけど、そういう朝食プログラムで何も知らない学生たちと素直に議論してみて、本当に今の若者たちがだめかどうか、チェックしてくれと言ったんです。
そしたら、堀場製作所の社長さんが、実はこの間、母校の山城高校に講演に呼ばれて行ったら、一見やんちゃそうな茶髪の生徒が、おはようございますとみんな挨拶してくれる。礼儀正しいし、一般に世間で言われていることと違うなと思ったと言っていました。
だから、そういう意味で本当に交流をしていないんですね。そういう交流を仕掛けるということが出来るのです。ですから、生協連がやるとすれば、そういう連続講座なんかも提起します。たとえば、大阪の南部の生協の法人合併化問題でやられて凄いのは、いきなり、アスベスト問題で取組んでいる人たちを呼んで講演会をします。その次の週は、有名な誰かさんが来て、憲法9条の問題をする。そういう事を仕掛ける。そういう事を、購買生協と医療生協と大学生協が組んだら、物凄いプログラムが開発出来るということです。しかし、それを今度は生協というCommunityだけに閉じるのではなくて、どんどん公開すればいい。公開講座にして、たとえば、大学と連携して、それで10何回出たら、学生は単位をもらえるし、市民にも公開する。あるいは、安心・安全街づくり関係であれば、大阪府と提携して一緒にやるとか、そういう可能性は無限にあると思うのです。そういった意味で、最後は教育のことに話がつながっていったんですけれども、もう1度言いますと、この生協運動の取り組みの照準は、Communityをつないでいくという事と、その気になれば、何でも出来るだろうという事です。
そういう事で、私の話はこれぐらいにさせて頂きます。