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大阪よどがわ市民生協 山田 サキ子

2010年NPT再検討会議生協代表団の一員として派遣していただき貴重な体験が出来たこと感謝いたします。
平和グループから送り出していただくのが決まった時、グループの一員として何をすれば良いのか考えました。そして毎月私たちも参加している6.9行動での署名集めをすることにしました。仕事をしながら一人一人に会議を開催されることも含めて訴えました。305筆でしたが平和パレード到着点のパーショルド広場に積み上げられた690万余りの署名の上に積んできました。日本全国の草の根の力強さを再確認しました。私達よどがわ参加者3名は職員手作りの「はっぴ」を着て皆さんと交流をしました。
国連のパス申請の時、共同集会の場で折鶴を手渡し、カンバッチも手渡し交換をして、外国の方と交流「はっぴ」にサインをしてもらいました。今回の私達の目的は被爆者サポート原爆の実情を伝えるお手伝いです。
グループには、12才で被爆された上松さん、4才で被爆の佐藤さん、5才で被爆された広中さんの3人がご一緒でした。初顔合わせの時「5年で父を亡くし語り部にはなりとうなかった。辛いこと思い出したくなかったけど話すことが義務だと思うようになった。亡くなった人の分も伝えていかんと」上松さんはこうおしゃいました。皆さん体験はそれぞれですが気持ちは同じだと思いました。「平均年令76才、お薬を持って杖をついて出席しました。頑張って頑張って、活動して来れなかった先輩の思い、被爆して亡くなられた人の思いを背負って頑張ります」被団協の方の言葉です。
ペットボトルの水も苦労して買うような土地で移動が大変な時も、広中さんには常にテレビ局の方がついておられる。そんな時でさえも嫌な顔ひとつせず、ご自分達がしなければいけないことをきっちりされました。本当に頭が下がりました。
グレースチャーチスクールでは広中さん手作りの紙芝居で証言されました。お父さんとの別れの時、手を握っていればよかったと涙を流して悔まれる。65年経った今もお別れの時のつらさを原爆のむごさを昨日の事のように感じられている。70人の生徒さんが対象でしたがあちこちで目頭を押さえる光景が見られました。「戦争を二度とくり返さないで下さい。核兵器をつくらない。使用しない、させないで下さい。平和と命の尊さを知って命を大切にして下さい、そして全世界の人々話し合い平和な社会を築いてください」最後に訴えられました。生徒さんからは「本や映像でなく直接お話を聞けて胸が痛くなり感動しました」との感想がありましたそれを聞いていて「良かった、来た甲斐があった」と涙を浮かべておっしゃったのを見てこちらも本当に一安心しました。他の学校でも3人の方々の訴えはきっちりと伝わっています。
「戦争はしてはいけない」「核兵器は多くの犠牲者を出すので使ってはいけない」「日本も戦争をしない憲法を守ってください」等多くの感想がよせられました。
米国のボランティアの方々で作られた2010年NPT被爆者サポートチームの方々の助けがあったこと感謝の一言です。政府からの出席がなんで副大臣一人なのかと残念な思いはありますが私達は私達しか出来ないことでどんな結果になっても足を止めることなく前に歩まなくてはと思っています。ニューヨークで一緒に同じ思いで歩いた人々の何万倍何百万倍の人達がいることを力に!草の根の力が大国を動かすことを信じて平和グループでも早速次の行動を予定しています。
2010年NPT再検討会議生協代表団の一員として派遣していただき貴重な体験が出来たこと感謝いたします。
平和グループから送り出していただくのが決まった時、グループの一員として何をすれば良いのか考えました。そして毎月私たちも参加している6.9行動での署名集めをすることにしました。仕事をしながら一人一人に会議を開催されることも含めて訴えました。305筆でしたが平和パレード到着点のパーショルド広場に積み上げられた690万余りの署名の上に積んできました。日本全国の草の根の力強さを再確認しました。私達よどがわ参加者3名は職員手作りの「はっぴ」を着て皆さんと交流をしました。
国連のパス申請の時、共同集会の場で折鶴を手渡し、カンバッチも手渡し交換をして、外国の方と交流「はっぴ」にサインをしてもらいました。今回の私達の目的は被爆者サポート原爆の実情を伝えるお手伝いです。
グループには、12才で被爆された上松さん、4才で被爆の佐藤さん、5才で被爆された広中さんの3人がご一緒でした。初顔合わせの時「5年で父を亡くし語り部にはなりとうなかった。辛いこと思い出したくなかったけど話すことが義務だと思うようになった。亡くなった人の分も伝えていかんと」上松さんはこうおしゃいました。皆さん体験はそれぞれですが気持ちは同じだと思いました。「平均年令76才、お薬を持って杖をついて出席しました。頑張って頑張って、活動して来れなかった先輩の思い、被爆して亡くなられた人の思いを背負って頑張ります」被団協の方の言葉です。
ペットボトルの水も苦労して買うような土地で移動が大変な時も、広中さんには常にテレビ局の方がついておられる。そんな時でさえも嫌な顔ひとつせず、ご自分達がしなければいけないことをきっちりされました。本当に頭が下がりました。
グレースチャーチスクールでは広中さん手作りの紙芝居で証言されました。お父さんとの別れの時、手を握っていればよかったと涙を流して悔まれる。65年経った今もお別れの時のつらさを原爆のむごさを昨日の事のように感じられている。70人の生徒さんが対象でしたがあちこちで目頭を押さえる光景が見られました。「戦争を二度とくり返さないで下さい。核兵器をつくらない。使用しない、させないで下さい。平和と命の尊さを知って命を大切にして下さい、そして全世界の人々話し合い平和な社会を築いてください」最後に訴えられました。生徒さんからは「本や映像でなく直接お話を聞けて胸が痛くなり感動しました」との感想がありましたそれを聞いていて「良かった、来た甲斐があった」と涙を浮かべておっしゃったのを見てこちらも本当に一安心しました。他の学校でも3人の方々の訴えはきっちりと伝わっています。
「戦争はしてはいけない」「核兵器は多くの犠牲者を出すので使ってはいけない」「日本も戦争をしない憲法を守ってください」等多くの感想がよせられました。
米国のボランティアの方々で作られた2010年NPT被爆者サポートチームの方々の助けがあったこと感謝の一言です。政府からの出席がなんで副大臣一人なのかと残念な思いはありますが私達は私達しか出来ないことでどんな結果になっても足を止めることなく前に歩まなくてはと思っています。ニューヨークで一緒に同じ思いで歩いた人々の何万倍何百万倍の人達がいることを力に!草の根の力が大国を動かすことを信じて平和グループでも早速次の行動を予定しています。